町内会長は引退しても町内パトロールは頑張って欲しいという話。

家からそう遠くない場所に有名私立小学校がある。


雨の日ともなれば、その学校に通う"やんごとないお子さまたち"をお守りするために、壮年の、凛々しい制服姿の男性警備員が何人も現れる。


そうして、信号のある横断歩道や、綺麗に整備された歩道のある通学路のそこかしこに立って、お子さまたちを事故のないように見守り誘導する。


そのような警備の必要性をまるで感じないくらい、お子さまたちは、時にご学友と談笑しながらサザナミのように静かに下校している。


その小学校が出来て以来、駅までの道のりにある歩行者信号が青い時間が少し長くなったような気がしている。



やがて家の近くまで来ると、こちらの小学校も下校時刻だったりする。


信号のない横断歩道や、歩道のない通学路を、傘を振り回しながら歩く小学生たち。


歩行者天国と勘違いしているかのような盛り上がりぶりだ。
数年前まで我が子もその中にいた。


警備員はむしろコチラの子どもたちに必要だ、と思いつつ歩いていると、1人の少年の長靴が足からスポンと抜けてしまった。


隣を歩いていた子がそれを拾い、遠くに放り投げた。


と、その時。


少年たちのヒソヒソ声。


「やばっ。クスノキだ!逃げろ!!」


少年たちの見ている方角に目を向けると、「パトロール」とデカデカとプリントされた黄色いベストを着て猛然とコチラに向かってくるクスノキ会長が見えた。

町内会の役員決めに参加した話。 - onoesanとなんやかんや。


「コラ!ここは公園じゃないぞ!何やってる!!」


年末に救急車で運ばれたとは思えないほど威勢の良い怒鳴り声だった。


「傘を振り回すんじゃないっ!危ないだろう!!さっさとまっすぐ帰れ!」


気持ちが良いくらい叱りつけてくれた。


ムスコが小学生の頃、クスノキさんに叱られた話をよくしていたが、初めて現場を目の当たりにした。


こんな風に叱ってくれていたのか。


クスノキはうるさいけど、草むしり手伝うとサイダー奢ってくれるんだ!」


そう言ってよく公園に遊びに行っていた。


そのたびに私は、

クスノキさん、さんを忘れるな。お礼はちゃんと言え。頂いた時は報告を必ずしろ。」

などとマナーのことばかり気にしていたけれど、
叱ってもらえることへの感謝が足りていなかったと反省した。


クスノキ会長が町内会長を引退してしまったら、誰がこのヤンチャな子どもたちの安全を守ってくれるのだろうか。
警備員さんはタダでは来てくれない。


そう思った瞬間、案の定、チビデブおばさんが頭の中に登場したのだった。

チビデブおばさんの侵略。 - onoesanとなんやかんや。

「アタシがやるわよ。」

とでも言いたいのだろう。


大丈夫。会長は荷が重いかもしれないが、今日の様子ならまだまだパトロールは現役で頑張ってくれそうである。


でも。


たとえチビデブおばさんの侵略を食い止めることに成功しても、あのような場面に出くわしたら、次はワタシもキチンと叱りつけてやろう、と思ったのだった。

保育園で。噛むのにはわけがある。

「小さなお子さまの保育で気をつけなければならないコト」

の上位に常にランクインされるのが「噛みつき」だ。


「ヒトを噛む」

この野生的な行為が保育園ではたびたび繰り広げられる。


生まれ落ちた赤ちゃんは、DNA的には人間だが、まだ「人間のタネ」みたいなモノだ。


生物学的にはヒトだけれど、コミュニケーション能力的にはまだヒトではない生き物であり、人間の元、いずれ人間になる可能性を秘めたタネみたいなものである。


タネみたいなモノだけれど「サカタのタネ」のように「育て方」どおりにすれば想定どおりのモノが育つわけではない。


そもそもどんなタネなのか、袋の裏の解説もない。
双方の親の情報は有力な手がかりだが、それですべてがわかるかと言ったら、話はそんなに単純でない。


どんな肥料が良いのか、環境が良いのかは、どんなタネかによっても違うし、成長スピードも咲かせる花もわからない。

他のタネと比較のしようもない、言わば正体不明のタネなのである。


ただ、寝返りが出来てから座れるようになるし、歩き出す前には、まず立てるようにならなければならない。

逆はあり得ない。

そういった発達の順番自体は、人間に生まれ落ちた時点で決まっている。


では、その人間のタネは「噛む」という行為をなぜ行うのか。


単純に「歯が痒いから」という理由がある。


生え始めてきた歯は何かを噛みたいのだ。

そこに、おともだちのマシュマロのようなほっぺやボンレスハムのような二の腕が目に止まり、気づいたら…ということはある。



しかし、最もスタンダードな理由は「コトバ」を操れない、もしくはまだ使い慣れていないから、というモノ。


オモチャを取られても、とっさに

「やめて」とか、

「何すんだコノヤロ」とか、出てこない。


それで手っ取り早く噛む。


おともだちに興味がある、仲良くなりたい、と思っても、

「一緒に遊ばない?」とか、

「あなたのことをもっと知りたいの」とか、出てこない。


それで手っ取り早く噛む。


月齢が高くなれば、噛む原因はより複雑になる。


先生の注意を引きたいからとか、おともだちの怒った顔が見たいからとか、自分に興味を持って欲しいとか。


ヒトになるのも大変である。


そんな噛みつき事情と少し毛色が違い、私が最もマークするのは、ママが2人目を妊娠された時である。


ご家庭のバックアップ状況で違いはかなりあるのだが、個人的な実感として、これはすごく多いと感じている。


まだコトバを獲得していないようなお子さまは、それだけ大人よりもずっと野生に近い。

2人目の妊娠を、直感的に「危機」と感じるのだろう。

何やら得体の知れないモノが、自分の最重要人物のオナカにいる。


取って代わられるかもしれない。


このポジションを奪われるかもしれない。


母親がいないと到底生きていけない子どもにとって、それは生命の危険に晒されているも同然の恐怖なのかもしれない、と思う。


生き物の本能で、それを敏感に嗅ぎ取った結果、精神状態が極めて不安定になるのかもしれない。


自分でもハッキリした理由がわからない、漠然とした不安感。
モヤモヤ、イライラ、の上での「噛みつき」。


だから実際に、ポコンと誕生し、
「ホンギャアホンギャア」
と、大きな泣き声と共に実体を目の当たりにすれば、
「ああ、コレだったか。こんなものが入っていたのか。へえ〜」

となり、意外なほどあっさりと受け入れて、出産期間中にママ以外の人たちにお世話をされる機会が増えたコトもあいまって、一気に成長したように見えたりもする。

自分がお世話されたので、お世話の真似事を甲斐甲斐しくスタートさせ、パパやママを和ませてくれたりもする。

それが、年子とか2つ違いとか。まだコトバを使わないようなヒトたちの話。



コレとは別に、いわゆる「赤ちゃん返り」といわれる行動がある。

これは意外に、少し離れた年齢差で起きがちなのである。

お腹の中にいた頃には、赤ちゃんに話しかけ、名前を考えたり、生まれてくるのを楽しみにしている。

ところが実際に生まれてくると、うるさいし、事前情報ほど可愛くない。
で、みんながその子に注目する。
ママも忙しい。
まったく面白くない。
悲しい。

ということで、自分のモノを取り返すべく赤ちゃんの真似をする。精神状態はボロボロ、必死なのだ。


が、いずれにせよ一過性。

ひとときを過ぎたら収まっていく。



噛まずにいられない時期はとにかく、

「大切だよ。一番大事だよ。今日も会えて嬉しいよ。来てくれてありがとう。」

と呪文のように語りかけながら、心の中で、

「だから噛まないでね、頼むよ。今日も、噛まないでね…噛まれたら先生、始末書書かなきゃいけないんだからさ、頼むよホント…」

と呟いている。


しかし、たとえどんなに気を付けていても、野生的な能力においては惨敗なので、モノの1秒の隙をついて噛まれてしまうこともある。


そんな時は、どちらのお子さまにも心から申し訳なく思っている。


思うのと同時に、とにかく一分一秒を争い手洗い場に連れて行き、速やかに流水で冷やして、痛みとともにに証拠も消すべく努めるのだった。


※これはあくまで私の体験談をベースとした話です。保育方法をはじめとする諸々は保育園によって千差万別です。

チビデブおばさんの侵略。

男性はよく、
「年を重ねても、心の中には永遠に少年が住んでいる」
などと好意的に言われる。

先日の一件以来、

とうとう、この日が来たという話。 - onoesanとなんやかんや。

私の心の中にはチビデブおばさんが住みついてしまった。

おばさんの中におばさん。少年と違い、少女はキチンと年を重ねたのである。


おばさんの中におばさんなら同じじゃないの?と思われるかもしれないが、性格が全然違うので非常に困惑している。


先日もこんなことがあった。


ATMが混んでいて10人以上並んでいた。

これはかかりそうだと思い、出直すことにした。

「まだ粘って並んでいる人は大変だなぁ…」

そう思いながら向きを変え、歩き出そうとしたその時。


車椅子に乗ったご高齢の女性が、困った顔で並んでいるのを見てしまった。

私だけでなく、私の中のチビデブおばさんも見てしまった。

このおばさんは私よりもずっと人情に厚くおせっかい、正義感を振りかざすタイプである。


早速、並んでいるヒトたちにリサーチを開始する。

「やけに混んでますね。故障でもしたんですかね?」

最後尾から3番目の推定70代の女性が返事をしてくれた。

「おじいさんが入ったきり全然出てこないのよ。急いでるのに困ったわ〜もう。」

話している間にも2人離脱した。

「私、ちょっと見てきますね!」

チビデブおばさんはそう言って、ズカズカと最前列へ進む。

最前列の男性が、屈んで中を覗き込んでいる。

「ちょっと開けてみて、どうしたのか聞いてみましょうよ!」

などと言って、覗き込んでいる方をそそのかす。

「困っているかもしれないし。」

自分の行いを正当化させるべくそう言い放ち、更に前に進み、自動ドアを開けてしまった。


最前列にいた男性の、

「かなりイライラしてるから気をつけたほうが…」

という声がうっすらと聞こえたのはドアを開けてしまってからだ。


とんでもない怒声を浴びた。

「ヒトが使ってるのに勝手に開けるとはなんだ!!」

おじいさんは怒り狂い、勢いで立て掛けていた杖を振りかざしてきた。

私は血の気が引いたはずだが、チビデブおばさんは体型どおり図太かった。

杖を振り上げて向かってくるおじいさんを、後退しながらATMから出るように仕向け、そのままどんどん後退して引き離すのと同時に、最前列の男性に目配せして、「今のうちに」と促したのである。男性は、「ガッテン」とばかりに速やかに中に入った。

その間も、

「ほんと失礼なことしてすみません、ほんとに私ったらごめんなさ〜い」

など、調子よくペラペラと喋って、おじいさんの攻撃力を低下させるべく試みている。

まさしく世間の「おばさん」と呼ばれるヒトたちがやりそうな手口だ。

私はこういうことが出来る性格ではない。

これが「おばさん」になるということなのだろうか。


結局、おじいさんは力尽きて踵を返してくれた。

勝手な推測だが、おじいさんが、公衆の面前でトイレのドアを開けられたかのごとく猛り狂ったのは、手が震えてうまくATMが使えなかったからではないだろうか。

お金のことゆえ、他人に聞くわけにもいかず必死になっていたのかもしれない。

そんなところを人に見られるのは嫌だったし、普通に対応する余裕も持てなかったのではないかという気がする。


最初に返事を返してくれた女性が、

「本当に助かったわ。ありがとう。人間、可愛く年をとらなきゃダメね。ほんと、ああなったら周りが迷惑。私も気をつけなくちゃ。」

と言って帰って行った。


ヒト仕事終えたチビデブおばさんは満足し、大好物の唐揚げを買って家に帰った。

もちろん今日も運動する気なんてさらさらない。

これからもチビデブおばさんは、どんどん前に出しゃばってくる予感しかない。

早く痩せなければ。

かなり焦っている。

六十、今年もこの老猫は相変わらずだという話。

ここ1週間くらい、猫コロナの時のような下痢が続いているソル。


往年の頃は、8キロ近い体重を誇っていた。


父が可愛がっていたインコのピーちゃんに襲いかかり、病院送りにしたこともある。
(ピーちゃんは入院したが復活し、天寿を全うした。)


何が言いたいかと言うと、かつてはパワーが売り物の巨大なデブのオス猫だったということだ。


それが最近、とうとう体重が4キロを切った。


子猫みたいに華奢になった。


キャラ変した。


そう言えば飼い主もキャラ変した。
(方向性は逆)

とうとう、この日が来たという話。 - onoesanと猫と保育となんやかんや。


ひどい下痢はいつものことだ。


原因の特定がムズカシイ。


単なるおなかの風邪か、フードストライキを再開したので繊維が足りないからか、はたまた新たなオビョーキか…。


オビョーキの新規物件をコンスタントに獲得してくるので大変迷惑である。


おなかの風邪であれば、何もしなくても徐々に治るだろう。

新たなオビョーキの線は、もう少し様子を見てみないことには何とも言えない。

今できることは「繊維の補充」だけであろう。

そう思い、ググる

「繊維反応性疾患 ネコ」とか、
「繊維反応性腸症 ネコ」とか。

「ネコ」と入力しているのに、検索して出てくるのはいつも、

フレンチブルドッグのぐーちゃん」のブログ。

ぐーちゃん、犬だし。

いつ検索してもぐーちゃんの記事が出てくる。

それで次第に、ぐーちゃんの下痢がピタリとおさまったとされている「メタムシル」というサプリメントのことが、頭から離れなくなった。

恐るべし広告戦略。

人間用の繊維サプリで、海外ではフツーにドラッグストアで売っているらしい。

通販で買えるのだけれど、海外の製品だけあって量が多すぎる。

値段も、一番小さいのでも4000円近い。

試したいだけなのに。


それで迷うこと数週間。


先生にも相談した。


ネコの結石防止のサプリがあるなら、ネコの食物繊維のサプリはないのかと。


ないと言われた。


人間用のサプリメントをあげても良いかと聞いたら、やめた方が良いと言われた。


人間用だし、繊維にも色々あるからと。


プロの言うことなので、その時はやめた。


しかし彼のフードジプシーが今後も続くと、体重がさらに減りペロンペロンなネコになってしまう。


更なるキャラ変。

ただの華奢なネコから2D的世界観のネコへ。


実害がなければそれもいいだろう。


トムとジェリー」のトムもよくペロンペロンになっている。


しかし、免疫が下がれば、次なる病に対する彼の呼び込み能力がすさまじく上がる。


だから、ここはもう購入して試すことにした。


メタムシルは高いし量が多いので、さんざん悩んだ挙句、国産で成分も近いサイリウムをチョイス。


購入手続き完了。


ああ。こんなことをしていたら休日が終わってしまった。


でも、あとは到着を待つだけだ。


やれやれ。


で、今朝。


下痢が治りました。


最近気に入ってるらしい、合わせる顔もありません風の熟睡。

保育園で。たまの贅沢を味わう。


年明け。


今年は、お仕事のスタートが遅いご家庭が多かった。


新年最初の週末、1才児クラスで登園したのは、2才半のミサトちゃんを含む3人だけだった。


いつもなら、お子さまの人数が少なければ保育に当たる職員を減らす。


そして手の空いた職員は、日頃手を付けづらい場所の掃除や、たまった書類作業を片付ける。


でも年末に大掃除したばかり。
間近に行事もなく、雨も降っている。
しかも長期休暇が明けてから最初の週末だ。


たまにはゆっくりモードでやらせてもらおうということになった。


突如降って湧いた贅沢な時間、私には前からずっとやりたかったことがある。


エンドレス読み聞かせだ。


赤ちゃんの頃からみんな、絵本が大好きだ。

お部屋が騒がしくなってきた時の特効薬でもある。


一番小さな0才さんのお部屋では、先生が適当に選んだ本を掲げながら(掲げていないと皆の手が伸びてきて進まない)みんなで見る。

この時点で既にしっかり好みがある。


進級して1才さんのお部屋になると、自分で気に入った本を選ぶ。
そうして、まだ読むのは難しいから「よんで」と持ってくる。


次の進級を経て年を越すあたりになると、本を物色したらもう自分の世界。
夢中で頁をめくる。
自分なりに熱心に見始める。


本当は、それぞれの「よんで」にもっとしっかりと向き合いたい。
でも到底ムリ。


いつも必ず読む前に、

「1回ね」

と念押しする。

一度読んでもらったくらいでは全然満足できないコトをわかっていながら。


お子さまの方も同じ。

読み終わった後は必ず、

「もう一回」

と言ってみる。

絶対に聞き入れてもらえないコトをわかっていながら。


他にも読みたい本を持ってウズウズしているお子さまがたくさんいる。

「一回ずつ。順番ね。」

いつも、まだまだ全然足りないよね、と内心で思いながら伝える。


でも今日なら、ミサトちゃんがお腹いっぱいになるまで読んであげられる。


ミサトちゃんはいつもの癖で、

「誰よりも先に、急いで先生のところに持っていかなくちゃ!」

と、大して選ぶこともせず、慌てた様子で本棚から1冊持って来た。


ミサトちゃんがほとんど偶然に選んだのは、

「あめふりさんぽ」



本を受け取る。

少しの緊張と、これから出会う新しい世界を思って、ミサトちゃんの頬はほんのりと紅潮している。

いそいそと距離を詰め、膝にちょこんと乗っかった。

おともだちと一緒の時には膝に座ったりしないのに。
どうやら今日は「貸し切り」だと気づいた様子。


ココロは早くも絵本の中だ。


ゆっくりページをめくる。

ミサトちゃんは微動だにしないで絵本をまっすぐ見ている。


やがて最後のページとなり、

「おしまい」

と言うと、私を見上げ、とっても優しく可愛い声で言った。

「もう一回?」


いつもは違う。

さながらトラかクマか、はたまたライオンか…くらいには高圧的かつ好戦的な態度で、絵本をグイグイと、有無を言わさず押し付けてくる。

ライバルがいたら手段を問わず蹴散らそうとするタイプだ。


でも。そうなんだ。


満たされるとココロに余裕が生まれて、ヒトは優しくなれるのだ。


リクエストに頷くと、ミサトちゃんは何も言わず、再び本に目を落とし、絵本の世界に入って行った。


真剣に、真剣に聞いている。

読み終わると、

「もう1回?」


また最初からゆっくり読む。

真剣に聞く。

何度も何度も。


軽く10回は読んだ。

十何回目かの終わりに、

「おしまい」

と言うと、ミサトちゃんはふうっと息を吐いた。


そうしてゆっくり立ち上がり、そおっと、忍び足で本を返しに行った。


まるで、今読んだ絵本の世界が、自分から少しもこぼれ落ちることがないようにしているかのようだった。



「お昼食べようか」

「うん」



本当におしまいにしてお昼ごはんを食べに行った。

いつもは、お着替えするとかしないとか、ごはんをもっと食べるとか食べないとか、イヤダイヤダのオンパレードでちっともお昼寝できないミサトちゃん。
その日はストンと寝た。
どんな夢を見たんだろうか。



お迎えが来て帰る時。

「せんせい、ごほんいっぱいよんで、たのしかったね〜」

と伝えてくれた。


ほんと。
楽しかった!


※これはあくまで私の体験談をベースとした話です。保育方法をはじめとする諸々は保育園によって千差万別です。

矛盾だらけの毎日だ、という話。

どうしたものか。

先日ワタシは、越えてはいけない壁を越えてしまった。

とうとう、この日が来たという話。 - onoesanとなんやかんや。

越えては行けない壁を越えてしまうことで、正気に戻ろうという荒療治的な作戦、のはずだった。

正気に戻るはずだった。

本来ならば今頃、きつくなってしまったトレパンを履き、冬空の下を1人ランニングしていなければいけないはずである。


どうしたものか。


頭がすごく痛い。

お酒だけならカロリーはゼロだろう。
そう思って、昨夜は日本酒をゴクゴクと飲んでしまった。
それが仇となったのか。

二日酔いと飲酒スピードには、相関関係があるのだろうか。


どうしたものか。

とにかく頭がズキズキする。

何もできない。
痛くて動く気になれない。

でも、気持ちは急いている。

何かしないといけない気がしている。

今のワタシに出来ることといったら、食べることくらいだ。
食べることくらいしか出来ない。

一体どうしろと言うのだ。

神様は私に難問を突きつけた。
難問を突きつけられた上、昨夜の唐揚げの残りまで、目の前にある。


その時ふと、ワタシの中にとんでもない考えが生まれた。

そんなことをする必要がどこにあるのか。

そんなことを調べたらいけない。決して。

でも確か、あのあたりにある。

あれ。


主人の30代の頃の健康診断の結果表。

そんなもの見てどうする。

ダメだダメだ見ちゃダメ。


20代の主人は"痩せっぽち"だったかもしれない。

でも30代の主人はそこそこ中肉中背だったはず。
それなら。
そこに到達するにはまだ十分に余裕がある。


恐ろしいことを思いついてしまった。

戻らなければ。

昨夜までの自分に。こんなコトを考えてしまう自分になる前に。


一度落ち着こう。


冷静になるのだ。


ひとたびハードルをそのように設定し直したら、次はどうしようとするだろうか。

火を見るより明らかである。


最終的には行き着く先は、

「おとーさん、今、体重何キロ?」

だ。

そこまで行ったら、もはや戻る道は断たれたも同然である。


あってはならない。


主人に、主人の20代の頃の体重を超えてしまったことを伝えたところ、

「おめでとう。」

と言われた。


30代のころの体重を超えてしまっても、おめでとうと言ってくれるだろうか。


日が過ぎるごとに、チビデブおばさんはワタシの中にドッカリと腰を落ち着け始めている。


最近になって、
「もうアタシ、一生ここから出ていかないわよ」と言い始めた。


「チビデブおばさん」が年老いて、その体重がために膝や腰を悪くし、まだまだ社会人になったばかりのムスコに迷惑をかけるなどという未来はあってはならない。


チビデブおばさんのこれ以上の侵略は是が非でも止めなければならない。


同時に、唐揚げはもったいないので食べるしかない。


世の中と同様、私のオコナイも、日々矛盾だらけである。

鍵をかけながら思い出した話。

中部地方の田舎で育った小さな頃、家の玄関の鍵はいつも開いていた。


家に人がいようがいまいが、玄関の鍵を閉めるようになったのは、いつ頃からだっただろう。


まったく思い出せない。


学校から家に帰ると、近所のおばさんの


「おかえり」


の声が、家の中から聞こえてきたことも一度や二度ではなかった。


学校から帰ってきて一番よくいた場所は、向かいのお宅の縁側だった。


日当たりの良いそこで寝転がるのが大好きだった。


寝転がったまま、そこの家の、定年退職したおじさんとたわいもないおしゃべりをすることが日課だった。


あの頃一番長く一緒にいたヒトは、もしかしたらそのおじさんかもしれない。


一体、いつから世の中は変わったんだろう。


都心に住むようになってから、玄関の戸締まりは当たり前になった。


それでも、育った田舎は半世紀前までそんな風だったのだ。



一方、主人の田舎は関東地方の外れにある。


ヒトは温厚だが、かなり荒っぽい方言を使う。


普通の会話でも「ケンカ!?」と思うような迫力があった。


慣れるまでの間、お茶の間で交わされる会話ですら、いちいち、

「ひっ!」とか、
「ごめんなさい!」とか。

心の中でつぶやいてビクビクしていた。


今にも大喧嘩が始まるのではないか、その予兆ではないか…と、毎回身構えた。


極めて日常の、ありきたりな会話だとわかってからも、慣れるまでにはそれなりの時間がかかった。


実家で義父母と同居している、主人の弟家族と一緒に買い物に出かけたことがある。


義母は近所のお友達の家に行っていた。


買い物から帰宅後、最後に家に入った私は当たり前に玄関の鍵を閉めた。


すると間もなく、烈火の如く怒った義母が台所の勝手口から現れた。

「玄関を閉めるなどという、とんでもないイタズラをした奴がいる!」

と言う内容を、方言で叫んだ。


その迫力に圧倒され、恐怖のあまり声が出なかった。


甥っ子姪っ子たちが皆、順番に、

「おめえか!?おめえだな!」

と詰問されている。


皆、突然のことに呆気にとられており、誰も返事をしない。


義母は、

「夜でもねえのにこったなバカみてえなことすんのは、おめしかいねえ!」

という内容を、更にクオリティーの高い方言で叫び、犯人を勝手に断定した。


断定された甥っ子は、

「え〜。ボク知らないよ〜」

と、まったく興味がない、どうでもいいという気持ち丸出しのテンションでつぶやいた。


「まったくお前と来たら。とんでもねえクソガキに育ってしまって。今度という今度は何としてもキツくお仕置きせねばなるまい。」


と言うようなコトを、鬼のような形相で言った。


私は震え上がり、目の前が真っ暗になった。


しかし当の甥っ子は、寝っ転がったまま煎餅をポリポリと食べながら、夢中でテレビを見ている。


周りの家族も、何事も起きていないという顔で、それぞれに好きなことをやっている。


弟のお嫁さんは、

「おまえ宿題はやったんだろうな。やってなかったらどうなるかわかってるな。」

と、他の甥っ子に詰め寄っていた。


気づいたら怒っていたはずの義母は、甥っ子と一緒にテレビを見ていた。
お笑い芸人を見てケラケラと笑っている。

「このヒトはもう、ほんとにどうしようもないアホだよ」

と言うようなことを、笑いすぎて泣きそうになりながら、満足そうに言った。


それからワタシの方を振り返って、


「リンゴ。食うだろ?」


と言った。


その時、玄関を叩く音が聞こえてきた。


止んだと思ったら今度は、居間の、外の縁側に通じる窓が勢いよく開いた。


「玄関が閉まっとるけど、どしたの?」


と知らないヒトが顔を出した。


近所の人だった。


「イタズラさ。」


ヤレヤレと言いながら義母は鍵を開けに行った。甥っ子は相変わらずテレビに夢中だった。


自分がやった、と言えずじまいだった。


当時、玄関だけでなく、日中の間はトビラは全部開けておくのが当たり前な土地柄だったのだ。


あれから10年。


甥っ子は4月から社会人になる。


年末、義母の3回忌の法要があった。


お寺に行き、お墓参りをし、その帰りに実家に寄った。


一番最後に家の中に入った私に、弟のお嫁さんが、

「お姉さん、鍵、閉めてもらえますか。」

と言った。


鍵をかけながら10年前のことを思い出し、

もういないのか、

と思ったのだった。