10時頃に病院を出て、2時間後の12時頃だった。
家で待っていても何も手につかないだろうと、買い物に出た帰り道、病院から、
「カテーテルが終わって麻酔も切れてきたのでお迎えに来ても大丈夫です。」
と電話が入った。
金額をざっくり教えて欲しいと言うと、さわやかに、
「3万円くらいですかね」
と言われた。
初めての尿路閉塞の時には、かかりつけで約1万円だった。
しかし、初診料、処方料、鎮痛剤、検査代等々で金額が跳ね上がってしまった。
身ぐるみを剥がされる感じである。
ソルは間違いなく、特別に大変な子だ。でも、すべてのネコは15年後にかように大変なことになるかどうか、飼い始めた時にはわからない。
こうなるかもしれないと、もっと啓発がなされたら、おそらく猫を飼う人はグッと減るのではないだろうか。もしくは国民皆保険よろしく、ペットも皆保険になるのではないか。
あの暖かい温もり、モチモチとした皮膚の感触、毛の手触り、可愛い目、ゴロゴロ音…どれほど癒されて来たかわからないし、ネコと暮らす幸せは何物にも代え難いことを十分知っている。
しかし、次にまた飼えるかと聞かれたら、冷静に考えると怖くて飼えないかもしれないと思う。それくらいこの1年間は大変だった。
我が家で引き取ってから1年間、手術も入院もしていない今の段階で、飼育するのに既に50万円は軽くかかっている。
手間暇を考えたら、つまり、病院に連れて行き、手作りごはんを用意し、ところかまわずの下痢便や嘔吐を片付け、療法食を探し求めて何種類も用意するなどの労力を考えたら、癒されるよりも疲弊する方が勝ってしまう時もある。
最初のうちは、治る希望があったから頑張れたし、お金が湯水のように流れても、まだここまでの虚脱感に襲われることもなかった。
けれど、尽くしても尽くしても、あとからあとから飼育の難しさに襲われる。
先が見えず、結果も得られず、必死で節約しているのに大金が一瞬でガバガバと出ていく。
閉まっていないバルブの隙間から流れていくように、恒常的に出費が続く感覚とでも言ったら良いだろうか。
猫の平均寿命は既に超えている、もう十分に生きたソルなのだ。
そんなことを考えるし、口に出す。ソルの前で。
ソルは言葉がわからないけれど、自分が、ソルの前で口に出して言ってることにゲンナリとする。
ソルの大きな瞳がこっちを見ていると、もう勘弁してくださいと言いたくなる。
その一方で当然、ソルがとても大事なのだ。
引き取って1年、大変だったけれど人懐こくてユーモラスな気質、ルナと違って猫のくせに笑わされるようなことがたくさんあった。あったかいソル。
拮抗し合う気持ちをいなしながら、お迎えに向かった。