月曜日。休み明けに登園してきたミチオくんを見た瞬間、その記憶はまるで昨日のことのように私の脳裏によみがえってきた。
ミチオくんの前髪は、生え際からわずか1センチにも満たないところで一直線にザクザクと刈られていた。
それは、
「わぁ!たくさんチョキチョキしてもらったね!」
とか、
「小さな子の前髪って、思いっきり短いくらいが可愛いですよねー!」
などというレベルではなく、明らかに何者かによる犯行であることに疑いの余地がないジョキジョキ加減であった。
そして、その、いまだ悔しさを晴らせていない、わだかまりの残るその表情から、これはおそらく義母、もしくは義父が絡んでいるに違いないと確信し、私はミチオくんのお母さんを抱きしめてあげたい気持ちに駆られた。
と、同時にあの事件のことを思い出し、あれからもう10年近い歳月が流れたことを思った。そう、あれから10年…。
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あれはムスコが2才になる少し前の夏のことだった。
その頃、私は少しずつ散髪技術を磨き、ムスコの髪をナチュラルに仕上げることにこだわりを持ち、ママ友からも散髪の腕を褒められて、いささか調子に乗っていた。
そんなある日、主人の出張に合わせて、ムスコを連れて実家に帰省することになった。
私はムスコを後部座席に乗せ、意気揚々と実家に向かって車を走らせた。
実家では父と母がそれは歓迎してくれた。
幸せな気持ちに包まれた私は、完全にリラックスしていた。
いや、完全に油断していた。
犯行現場は実家リビング、推定時刻は早朝6時。
いつもムスコに強制的に早起きさせられているが、早起きの父が見てくれるという話だったので安心して二度寝してしまった。
ゆっくり寝て、やっぱり実家は最高だと思いながらリビングの扉を開けたその時だった。
「ヒッ…」
喉の奥の方で声がした。
目に飛び込んできたのは「せんせい」を歌っていた頃の森昌子、いや、美川憲一、いやモンチッチ…
横には新聞紙の上に無造作に置かれたハサミと、切ったムスコの髪の毛。
あろうことかムスコは満面の笑みだった。
「あんた何してんの?」
後から来た母が、呆然としている私に向かってそう声をかけ、部屋に入ろうとした。
その瞬間、今度は母が、
「ひっ…」
と口を塞ぎ、
「おとうさん、またやっちゃったの…」
と言った。
そう、私が幼かった頃にも父は同じ犯行に及んでいる。
これは再犯で、私とムスコは同じ被害者だ。
幼い日、まだ若かった母が、まんまと父の口車に乗せられてリアル床屋さんごっこを楽しむ私を見た時の「ヒッ…」の表情をはっきりと覚えている。
同じ悲劇が同一犯によって再び引き起こされたのだ。
「髪の毛が目に入るところだったからオレが切ってやったんだ」
憮然とした顔でそれだけ言うと、父は、母と私を一切無視してムスコと楽しそうに遊び始めた。
変な髪型になったムスコは、楽しさに感極まって変な奇声を上げている。
若かった私は、父に喉が枯れるまで抗議したが、父から謝罪の言葉を聞くことは最後まで出来なかった。
※※※※※※※
あれから約10年。
すっかり年老いた父に、もはや何の怒りもなく私の心は穏やかだ。
思えば非難されそうなことはすべて、家人が起き出す前に済ませるのが常の父であった。
最近では、朝刊に入ってくる広告を、家人が起き出す前に自分だけすべて目を通し、畳んで紙箱にしている。
母は、早くもミカンの皮を入れられた、スーパーの本日の安売り広告だった紙箱を持ち上げ、裏側を必死に見つめている。
ミチオくんのママが一日も早く心の安寧を取り戻すことを願わずにいられない。