恐怖のキクラゲ

 
好き嫌いがまるでなく、食べ物と定義されているモノであれば何だって、ありがたく口に入れてしまう日々を半世紀送ってきた。

が、ここ5年くらい、年に数回、死んじゃうんじゃないかと思うほどの腹痛に襲われるようになった。

決まって食後。

食べ終わる少し前から、かすかな違和感は感じるが、違和感ごときでは私の食に対する本能的な欲求は何も変わらない。

とにかく食卓に並べたモノを、自分の視床下部が納得するまでは食べる。

そして食後になって初めて胃腸のSOSに気づく。
そこから夜中までもだえ苦しみ、時に這いずってトイレに行き、廊下で横になってウンウンと呻き、半ば気絶状態で眠り、朝方ようやく回復する。

原因は一体なんなのか。

自分なりに考えるものの、冷たいものの食べ過ぎ、かき込みすぎ、ただの食べ過ぎ、あたりしか思いつかない(要するに全部、食べ過ぎ)

で、喉元を過ぎてしまえば忘れ、忘れた頃に襲われ、気づけば5年。
似たような体調不良も多く、犯行をキクラゲに断定するにはかなりの月日を要した。
だってキクラゲ、さんざん美味しく食べてきたし。

よもや長い間、懇意にしていた友人にこんな形で牙を剥かれるとは。私がアホだからじゃなく、たとえ賢かったとしても気づかなかったと思う。

いや、賢い人の中には、私は5年で気づけたけれどまだ気づけないでいる人もいるかもしれない。

それくらいキクラゲは、健康優良食材、女性の味方というステイタスを獲得しており、なおかつあのコリコリとした食感や、中国3000年ですから、みたいな雰囲気で女性たちの信頼と愛を獲得している素晴らしい食材なのだから。

私が一連の犯行はキクラゲによるものだと気づいたのは、主人の、
「おかあさん、キクラゲじゃないの?」
という、そのまんまの会話がきっかけだった。

主人の日頃発する会話の9割は、オヤジギャグとスポーツと、会社の隣の席に座る女性の愚痴なので、意識的に脳を通過させないように心がけている。
が、この時はたまたま耳から脳に言葉が飛び込んできた。

「この人、何言ってんの?」

と、そう思った瞬間、私の脳裏にかつての夕食場面の数々がフラッシュバックされた。
苦しんでいる自分の姿…そのもう少し前…食卓に並んだメニュー…中華炒め…春巻き…それから……それから、卵炒め…。
…そのすべてにキクラゲが入っていた。

衝撃だった。

主人が、3年か4年に一度、普段は完全に隠すことに成功しているが実は切れ者なんじゃないかと誤解してしまうくらい鋭い洞察をする。この時がまさにそうだった。

すべての犯行は、私の想像を絶する犯人、キクラゲによるものだった。

ヒトを見る目がないことは自分でもよくわかっていたが、食べ物を見る目はあったつもりだった。しかしそれは完全に思い上がりだった。

ネットを検索すると、めったにいないがキクラゲにアレルギー反応を起こす人がいるという地味な記事を見つけた。

一体全体どうして私の身体が、突如としてキクラゲを毒物とみなすようになったのか。
原因はわからない。
確かなことは、私はもう永遠にキクラゲを食べる喜びを失ってしまったということだけだ。

私はこれから先、大好きな五目そば、大好きな豚骨ラーメン、大好きな春巻きなどを店で注文する時、「可愛がられて育っちゃったんじゃないの?」という色眼鏡で見てしまっていた「キライなモノを皿のはじに除ける人」になるのだ。

というか、先日デビューした。

歯医者でさんざん待たされ時間が遅くなり、仕方なくムスコとバーミヤンに行った時のこと。
アホな私は性懲りもなく五目そばを頼んだ。
普段、おっとりとしていて
「おかあさん、オレすごいこと思いついたよ!」
と言いながらフツウかそれ以下のことを伝えてくるムスコが、

「おかあさん、キクラゲよけなきゃね」

と間一髪、まさに本能に身を任せて食べようとした瞬間に一言。

そう、命を救ってくれたのだ。

で、おもむろに一つ一つキクラゲをつまんでは他の皿に移して行った。
これをやっていた友人、同僚、姪っ子などなどの姿が浮かんできて、とてもこそばゆい、正直言って不思議と鼻歌を歌いたいような気分にすらなった。

だが一方で、食べ物をよけて食べるなどもってのほか、大人として恥ずかしい行動である、という長年の価値観から、不自然に大きな声で、

「キクラゲ大好きなのに、アレルギーで食べられないから仕方ないわ」

と言いながらよけた。

かつての私は知らなかった。

好き嫌いでよけているのではない、食べると死んでしまいそうになるからよけている人がいるということを。
もちろん牛乳や小麦粉を一切食せない人がいることなんて頭では十分知っていた。
でも実際に、自分がその立場を経験しないとその心情にまで思いを寄せることはできなかった。

こうした体のイロイロな変化はこれからも続々と起こるのだろう。

これからもピンチの際には家族や周りの皆様に助けてもらいながら、願わくば私のソウルフードである納豆かけご飯だけは死ぬまで食べられますように。