年末、10年近く放置していた転籍の手続きをしに市役所へ行った。
久しぶりに行った市役所は、大変な混雑ぶりだった。
順番待ちの紙を引っ張ると、電光掲示板に表示されている番号の、なんと16番も後だった。
「一体いつ順番が回ってくるのか…。」
受付を見ると、疲れ切ってウンザリした気持ちを懸命に隠し、ひたすら対応している中年の女性職員さん。
彼女の目の前には、相続の関係で転籍手続きをしに来たらしいオジイサンが「京都に嫁に行った娘が全然帰ってこない」という話を延々としている。
「…接客は大変だ。」
同情はするが、うまいこと切り上げてくれ。うまいこと、そのオジイサンを。早く。
などと、念を送っていると、手前のカウンターにまた新たなヒトがやってきて、順番待ちの紙を引っ張った。
私と同じく、電光掲示板を見て深いため息をつく。
髪を無造作にひとつ縛りにしたその女性は、少し疲れた様子でベビーカーを引いていた。
そこには推定4ヶ月の乳児さんが乗っている。
転籍の届出方法を係の人に聞いて、用紙を出してもらっていた。
転籍届には、世帯主の自著が必要だ。
私はネットでプリントアウトし、主人に書かせて持って来ていた。
だからその様子を見て、
「あー。これはすごくめんどくさいけど、用紙をもらって帰るパターンだ。」
と、お気の毒に思った。
それだけ。
だが、私の隣に腰掛けたオジイサンは速攻で動いた。
係の人が去っていったのを見計らって、すぐさま、その女性に話しかけた。
「オレが書いてやる。こ〜んなちっちゃい子連れて、こ〜んなくっだらないことのためにまた来るなんて、あ〜バカバカしい!こんなのばれっこないからオレ、書いてやるよ。どれ、紙ちょうだい。」
ーえっ!?それ、え?それあり??いや、ナシなんだけど…でも、でも…。そうか!アリかもしれない。確かに。
確かに、必ず自著するようにと書いてあるが、別に筆跡鑑定されるわけではない。
何らかの事件に巻き込まれるなんてことがない限り、いや、あったとしても、この転籍届がどうこう、とはならないだろう。
ーそっかー。オジイサン。アリだね。ほんと、コレ、問題ないわ。でも、若いママはどうするだろうか。小心者の私なら、多分、出直すだろう。そういうことが絶対出来ないから小市民なんだわ〜
と、頭の中で考えながら、2人の様子を伺っていると、果たして、その女性の目がキラッと光った。
「その悪だくみ、ありがたく乗ろうじゃないの。」
と、決めたのが伝わって来た。
こうして女性とオジイサンは、係の人が遠くに行ったのを確認して、ゴソゴソと書類のやりとりを始めた。
私は内心ヒヤヒヤしながらも、
「赤ちゃんが泣いたら、静かにさせることで私も協力しよう。」
と心に決めていた。
しかし赤ちゃんは今のところ、とても良い子で穏やかに過ごしている。
すべからく歳をとると声がデカくなる。
「どれ、ここか?ここに書けばいいんだな。名前は?ずいぶんとハイカラな名前だなぁ。こんな字、書けるかなぁ。最近あんまり字を書く機会がねえからな。手がプルプル震えちゃっていけねえ。」
と、オジイサンは、大きすぎる声を出しながら苦戦気味だ。
ーこんなデカい声を出してモタモタしてたら係のヒトに気づかれるよ…いっそ私の字でも良いだろうか、と、気が気ではない状態で声をかけようか迷っているうちに、オジイサンはなんとかミッションを完了させたようだった。
2人はまったく気づいていないが、私は心の底からホッとしたのだった。
印鑑が必要な書類はだいぶ減ったけれど、自著を必要とする書類はまだまだ残ってる。
これもどんなものだろうか…と、考えさせられたのだった。
オジイサンの書いた「世帯主の自著」は、多分ものすごくプルプルだっただろう。
デカい声は受付にも届いていた可能性がある。
でも、「京都に嫁に行った娘が全然帰ってこない話」をずっと聞いていた受付の女性に、それを突っ込む気力は絶対に残っていない。
奇しくも2人のオジイサンによる連携プレイなのだった。
(※受理されたかどうかは不明です。)