ネコはキライだったという話。

小さな頃から犬が大好きだった。


今も動物病院に行けば、犬の患者さんたちを舐めるように物色してしまう。


もしも自分の飼っている大型犬のカラダに顔をうずめられたら、どんなにか幸せだろう。


華奢でクリクリとした目、赤ちゃんそのもののような小型犬の振る舞いにも目が離せない。


あー。もう、犬!なのである。



一方、ネコはキライ、大っ嫌いだった。


小学校に入学したての頃、父が、庭の生垣の下で弱っていたシジュウカラを保護した。


鳥好きだった父は、庭に大きな専用のケージを自作し、そのまま大切に育てていた(違法です)。


とても賢くキレイな小鳥で、ヒモにエサになるものを吊るすと、器用に託しあげて上手に食べたし、ケージのそばに行けば愛らしい声で鳴いた。


大体このテーマで、この流れで、その後どうなったかは察していただけると思う。

今だに悔しくて泣きそうになるので、略。


ネコにやられた("やられた"を漢字に変換すると泣きそうになるので仮名表記。)のは、この子だけではない。


巣から落ちてきたヒヨドリの雛。

母鳥が迎えに来たまさにその時、目の前で…略。



当時は、あまりの悔しさに、「泥棒バカバカ猫」という曲を作り、毎日ピアノで弾きながら憎々しげに熱唱していた。
(多分今も弾くことが出来る。)



サカリのついたネコには、父にならって水をぶっかけたし、塀の上から睨みつけてくるネコがいたら、全力で睨み返した。



あと、ネコは昔、よく車に轢かれていた…略。



子供心には不気味で、良い思い出がひとつもなかった。



それが、まさか2匹も飼うことになるとは。



本当は犬が飼いたかった。



でも、当時はペット禁止の賃貸に住んでいた。

猫ならばバレないのではないか。

それで猫を飼うことを考え始めた。


不妊治療で精神的に参っていて、とにかく愛情を注げる存在が欲しかったのだ。


バレないのではないか、と考えて猫を飼うことを画策したのに、身体の芯まで小市民の私は、結局は直前で大家さんに相談した。


「あらぁ…。私も飼ってるのにダメなんて言えないわね。」


大家さんは70代の女性で、15軒が入居するその賃貸住宅の真向かいにある一軒家に、雑種の小さな犬と共に1人で住んでいた。


「ダメ」と言えないワケがなかった。



同じ会社の家族ばかりが住む、まるで社宅のようなその住宅の中では、私以外はすべて専業主婦で、小さな子がおり、出産ラッシュでとても仲が良かった。



不妊治療をしながら働く身にはとてもツライ環境だった。



気持ちをわかってくれていたフシもある。


数日後、正面玄関の掲示板に「小型のペット飼育可能とします。」と、達筆で大きく書かれた半紙が貼り出された。


こうしてルナとソルは我が家にやってきた。

一、そして再び飼いネコ2匹。 - onoesanと猫と保育となんやかんや。


あれから15年の歳月が流れ、今では、イヌとかネコとかいうよりも、ただのヨボヨボの家族である。


よく考えたら、あの時、大家さんに許可をもらえたのだから、犬を飼うことも出来たのだ。


でもアホな私は、飼えるという事実で頭がいっぱいになり、「猫を飼える」というところで思考が停止してしまった。


おかげでネコがキライだったのが過去の話になった。


アホで良かった。