鍵をかけながら思い出した話。

中部地方の田舎で育った小さな頃、家の玄関の鍵はいつも開いていた。


家に人がいようがいまいが、玄関の鍵を閉めるようになったのは、いつ頃からだっただろう。


まったく思い出せない。


学校から家に帰ると、近所のおばさんの


「おかえり」


の声が、家の中から聞こえてきたことも一度や二度ではなかった。


学校から帰ってきて一番よくいた場所は、向かいのお宅の縁側だった。


日当たりの良いそこで寝転がるのが大好きだった。


寝転がったまま、そこの家の、定年退職したおじさんとたわいもないおしゃべりをすることが日課だった。


あの頃一番長く一緒にいたヒトは、もしかしたらそのおじさんかもしれない。


一体、いつから世の中は変わったんだろう。


都心に住むようになってから、玄関の戸締まりは当たり前になった。


それでも、育った田舎は半世紀前までそんな風だったのだ。



一方、主人の田舎は関東地方の外れにある。


ヒトは温厚だが、かなり荒っぽい方言を使う。


普通の会話でも「ケンカ!?」と思うような迫力があった。


慣れるまでの間、お茶の間で交わされる会話ですら、いちいち、

「ひっ!」とか、
「ごめんなさい!」とか。

心の中でつぶやいてビクビクしていた。


今にも大喧嘩が始まるのではないか、その予兆ではないか…と、毎回身構えた。


極めて日常の、ありきたりな会話だとわかってからも、慣れるまでにはそれなりの時間がかかった。


実家で義父母と同居している、主人の弟家族と一緒に買い物に出かけたことがある。


義母は近所のお友達の家に行っていた。


買い物から帰宅後、最後に家に入った私は当たり前に玄関の鍵を閉めた。


すると間もなく、烈火の如く怒った義母が台所の勝手口から現れた。

「玄関を閉めるなどという、とんでもないイタズラをした奴がいる!」

と言う内容を、方言で叫んだ。


その迫力に圧倒され、恐怖のあまり声が出なかった。


甥っ子姪っ子たちが皆、順番に、

「おめえか!?おめえだな!」

と詰問されている。


皆、突然のことに呆気にとられており、誰も返事をしない。


義母は、

「夜でもねえのにこったなバカみてえなことすんのは、おめしかいねえ!」

という内容を、更にクオリティーの高い方言で叫び、犯人を勝手に断定した。


断定された甥っ子は、

「え〜。ボク知らないよ〜」

と、まったく興味がない、どうでもいいという気持ち丸出しのテンションでつぶやいた。


「まったくお前と来たら。とんでもねえクソガキに育ってしまって。今度という今度は何としてもキツくお仕置きせねばなるまい。」


と言うようなコトを、鬼のような形相で言った。


私は震え上がり、目の前が真っ暗になった。


しかし当の甥っ子は、寝っ転がったまま煎餅をポリポリと食べながら、夢中でテレビを見ている。


周りの家族も、何事も起きていないという顔で、それぞれに好きなことをやっている。


弟のお嫁さんは、

「おまえ宿題はやったんだろうな。やってなかったらどうなるかわかってるな。」

と、他の甥っ子に詰め寄っていた。


気づいたら怒っていたはずの義母は、甥っ子と一緒にテレビを見ていた。
お笑い芸人を見てケラケラと笑っている。

「このヒトはもう、ほんとにどうしようもないアホだよ」

と言うようなことを、笑いすぎて泣きそうになりながら、満足そうに言った。


それからワタシの方を振り返って、


「リンゴ。食うだろ?」


と言った。


その時、玄関を叩く音が聞こえてきた。


止んだと思ったら今度は、居間の、外の縁側に通じる窓が勢いよく開いた。


「玄関が閉まっとるけど、どしたの?」


と知らないヒトが顔を出した。


近所の人だった。


「イタズラさ。」


ヤレヤレと言いながら義母は鍵を開けに行った。甥っ子は相変わらずテレビに夢中だった。


自分がやった、と言えずじまいだった。


当時、玄関だけでなく、日中の間はトビラは全部開けておくのが当たり前な土地柄だったのだ。


あれから10年。


甥っ子は4月から社会人になる。


年末、義母の3回忌の法要があった。


お寺に行き、お墓参りをし、その帰りに実家に寄った。


一番最後に家の中に入った私に、弟のお嫁さんが、

「お姉さん、鍵、閉めてもらえますか。」

と言った。


鍵をかけながら10年前のことを思い出し、

もういないのか、

と思ったのだった。