ようやく新車がやってきそうな話。

先週末。

「ようやく納車の目処が立ちました!」

と、ヨコタさんから連絡を頂いた。


実に、待つこと一年。

ランドクルーザーでもポルシェでもない、フツーの車である。

ヨコタさんは恐縮しきり、といった様子で我が家に納車手続きの案内にやってきた。


「ヨイショ」の掛け声サービスは購入前限定のサービスだったのか、その日は一度もなかった。

久しぶりに一線交えるような心構えでいたので、正直言って肩透かしであった。

責任はヨコタさんにあると思う、という話。 - onoesanと猫と保育となんやかんや。

加えて六十才前後と見繕っていたヨコタさんの年齢が、主人と同い年で五十代半ばだということが判明して大いに驚いたのだった。


自分を客観視するのは本当にムズカシイ、と常々感じていたが、家族も同様だと実感する。


客観的に並べてみれば、なるほど十分同い年に見える二人なのだった。


書類を何枚か書き、プレートのナンバーを決め、後は振り込みだけである。


車体が黒になってしまったのは完全にヨコタさんの余計なサービスのせいであるが、ヨコタさんはまったく気づいていないので文句を言うことはできない。


ただただ、黒という色に不安を覚えるだけである。


玄関クローゼットには、未使用に近い"黒い車体には使えない"洗車用品がたんまり入っている。


年に一回、洗車をするかしないかの人間に、黒い車をキレイに保てるのだろうか。


不安だ。



その一方で、長らくお世話になった現在の車とはもうすぐお別れである。


最近では、今にも昆虫のようにパーツがすべてバラバラになって、解体してしまいそうな危うさを放っている。


この車には今の家に引っ越す前からずっとお世話になってきたのだから無理もない。


二年間借りた友人の家の駐車場は、何かの罰ゲームのように駐車するのが難しかった。


坂になっている上に、狭く、深く、誰が見てもこの車は入らないだろうというサイズ感であった。


それでも、どこで切り返すのがベストか試行錯誤し、壁に印をつけることで、何とか10回程度の切り返しで停められるようになった。


私のスリル満点の車庫入れの様子は、徐々にご近所の皆さまの知るところとなり、気づけば大勢の目が私を見守るようになっていった。


窓から眺める人、後ろに立って指示してくれる人、向かいの建築中の家で作業をしていた大工さんたちは、無事に停め終わると拍手してくれるのだった。



私はと言えば、衆人環視のなかで駐車するのはストレスフルで、挨拶もそこそこにムスコを抱っこし、そそくさと家の中に入った。


入って、ヤレヤレと着替えていると、カーテンを開けたい盛りのムスコが景気良く全開にしてしまい外の皆さまと目が合うということもしょっちゅうだった。


ほふく前進でカーテンに近づいて必死で閉めたのは一度や二度ではない。



今となっては懐かしい。


残された日々はあと十日余り。


大切に乗ろうと思っている。