何をしている時間が1番好きか。
自分を甘やかしている時間も相当大好きだが、この時期はもう、あれしかない。
呆れ返られてしまうことを承知の上で告白すると、この時期は長毛の飼い猫"ルナ"の毛玉をチマチマとほぐしている時間が1番幸せだ。
冬の終わり頃から、お尻の方に毛の塊がいくつもできる。
それを見つけてはほぐす。
毛の塊を発見すると、おっ!となる。
完全にカチコチ状態のものを見つけた時は、
上玉発見!逃がすものか、と指先に全神経を集中させる。
ほぐして、すでに抜けているのに固まった毛を取り除く作業に恍惚と耽り、頭の中は空になる。
今日あったイヤなコトもいったん頭から外せるし、卒園式を前に今から泣きそうな気持ちもとりあえず脇に置ける。
約100年前にイタリアに生まれた、教育家として名高い医師のマリア・モンテッソーリは、その著作の中で"人間にはいくつかの生まれ持った傾向性がある"ことを示唆している。
単純作業を繰り返しやりたい、身の回りをキレイにしたい…というのもそこに含まれる。
思い立って、夜中、鍋底をひたすら磨く。
するとなぜだかとてもスッキリする…というような行動がまさしくそれだ。
私にとって毛玉をほぐす行為がそれに当たる。
できることなら一日中やっていたい。
ところが世間では、猫の毛玉はとても嫌われている。
毛玉が出来るから長毛猫は飼いたくない、という意見まで散見する。
「わかるわかる!ほぐすの最高過ぎて1時間が一瞬で終わる。」
というヒトは、私の他にいないのだろうか。
いたら今年中に会えますように。
ところでルナは、私のこの行動にとても腹を立てている。
近づくと、「チッ、また来た…」と露骨に顔をしかめ、ハタキのような尻尾をブンブンと不機嫌そうに振る。
それでもめんどくさいのか、ほぐし始めても席を立つところまではいかない。
ほぐさせてもらえなくなると困るので、ルナが怒って席を立とうとしたら一旦退却する。
気もそぞろに家事雑務をし、ルナがまた腰を落ち着けたら再びいそいそと近づき撫でる。
撫でて、ゴロゴロと言い出したタイミングで再びほぐす。
はー。快楽すぎる…と、幸せを噛み締めながらほぐしてほぐしてほぐし続ける。
ルナのイライラが募る。
でももう止められない止まらない。
あまりにも怒り心頭に発した時は、席を立たずに甘噛み、もしくは爪で軽く引っ掻いてくる。
けれどルナの甘噛みは本当に甘いから、正直幸せしか感じない。
ちなみに保育園のお子さまの愛情表現にも時々"噛む"が登場するが、こちらは本気で"ギャッ"と叫びそうになるくらい痛いから幸せを感じる余裕はない。
私が全然怯まないとわかると、ベッドの下やカマクラの中など、手の届かないところに行ってしまう。
そしたら、
「ごめんね、もうしないからね…」
と猫撫で声で言い、一旦退却。
ルナが定位置のベッドの上に戻ったら、折を見てまた近づく。
というコトを無限ループでやり続ける。
ルナの毛玉をほぐす合間に、洗濯して食事を作って風呂を洗う。
すべては合間の時間にやることだ。
この季節、家にいる間はずっと、ルナの毛玉をほぐしたいという気持ちを押し殺しながら生活している。
生活の中心はルナの毛玉ほぐし。
WBCを夢中になって観ているように見せかけて、頭の中では、ほぐしたい、ルナをほぐしたい…とずっと思っている。
この時期だけは許してもらいたいのだった。