先日、中学校から帰宅したムスコが嬉しそうに言った。
「大成功!」
何が大成功かと言うと、担任の先生を泣かせることに大成功したらしい。
その日は終業式で、卒業式ではないのだけれど、1年間お世話になった担任の先生に子どもたちがこっそり色々仕込んでサプライズをしたそうな。
新卒の若い男の先生は、想像を遥かに超える熱量で、泣きに泣いてくれたらしい。
中学生ともなるとそんなことが出来るようになるのか。
ともあれその話を聞いて、
「ああ、先生が泣いているところ、見たかったなぁ!!」
と、大変羨ましく思ったのだった。
「人前だし、ここでこんなに泣いてはいけない」
と、思っているのに感極まって涙を止められない姿って本当にしみじみと、いいですよね。
特に、若ければ若いほどに純真さが増して、もはや神々しいくらい。
じっと、ずっと見入りたい。
でもさすがにそれはイヤだろうな…と思うので、ああ、泣いてるんですね…大丈夫、私はもちろん誰も見ていないから思いっきり泣いてね…と、見ていないフリを全力で演じつつ、瞳孔を限界までひらいて全力でチラ見する。
もはや「美味しい」と味わえるほど大好物である。
そう言えば、幼稚園の卒園時の謝恩会の時も、お母さんたちはいかに自分の子供の担任の先生を泣かせるかに情熱を傾けていた。
「カナ先生は今まで泣いたことがないって言ってたから今年は絶対に泣かせよう!」
と、張り切って準備をしていた。
実際ステージに上がった子どもが、たどたどしい発音で、
「せんせい あのね。
ほんとうは ぼく これからも まいにちずうっと せんせいと あそんでいたいんだ…」
と、喋り出した時には、その場にいたすべての若くて可愛い先生たちが号泣した。
私の大好物のシーンだったけれど、この時は不覚にも子どもたちの姿に感動してしまい、脇役の自分が床に崩れ落ちて泣いてしまったのだった。
ヒトが感極まって泣いてしまう場面に、どうしてヒトはこうも心を動かされるんだろう。
テレビや新聞でも、感極まって泣く姿がたびたび登場する。
ただ、やはりナマには叶わないのだった。
ここ何年間かの間で、最も美味しく頂いた「感極まって泣いている姿」を見せてくれたのはムスコである。
あれは4年前の2019年。
当時、ギャングエイジと言われる時期の真っ只中にいたムスコは、親との外出よりも友だちとの時間に最上の喜びを見出すようになっていた。
それでも長い夏休み、どこにも連れて行けずじまいだったため、せめて何か思い出にと休みの日に2人で映画を観に行くことにした。
観たのは実写版「アラジンと魔法のランプ」
友だちと公園で遊びたいムスコは明らかに乗り気ではなかったけれど、今よりはまだ素直だったため連れ出すことに成功したのだった。
映画が始まると予想どおり、ムスコは大画面に釘付けになった。
ストーリーが進み、物語はいよいよ佳境に入る。
主人公のアラジンが、「3つ目にして最後の願い」をランプの魔人ジーニーに伝えるシーンである。
ジーニーが「人間になって自由になりたい」と望んでいることを知っていたアラジンは、最後の、これっきりの大事なチャンスを、もはや大切な友人となっていたジーニーのために使うのだ。
「ジーニーに自由を!」
とアラジンが言った瞬間。
隣の席から、ものすごい嗚咽が聞こえてきた。
ムスコがもう堪えきれないといった様子でオンオンと、それはもうとんでもなく激しく泣き出した。
あまりに見事な泣きっぷりだったため周りが気になったが、幸いにしてかなり空いている時間帯で辺りは空席、助かった。
ティッシュを渡すと全然足りず、結局袋ごと渡した。
映画が終わってもしゃくりあげており、涙は一向に止まらず、明るくなっても泣き止まないのだった。
私は映画よりも、ムスコの涙に心を動かされてしまった。
これはもう是非とも目に焼き付けたいやつ。
物語の世界にここまで完璧に没入している彼は、本当に眩しく、そして羨ましかった。
私はどんなにあがいても、もうここまで完全に物語の世界に入り込めない。
そして付け加えるなら、あのシーンを観てここまで泣いた彼に、ヒトとして好感が持て、嬉しくなったのだった。
だから当然その姿は、後々も反芻し、そのたびに大変美味しく頂いたのだった。
で、これはもう是非また映画に連れて行くぞと意気込んだのだけれど、それ以来いくら誘っても一度も首を縦に振ってくれない。
どころか、テレビを観ている時でも、決して私の前では泣かないことに決めてしまったらしい。
どうやら私がおいしく味わったのがバレてしまい、大変気に食わなかったようだ。
その代わり、私と同じく涙腺の締まりが悪くなった主人が、このところテレビを見ても新聞を読んでも、またか…というくらい簡単によく泣く。
でもその涙は自分でも簡単に出せるので
「欲しいのはソレじゃないんだよね…」
と、心の中でついついダメ出しをしてしまうのだった。