振り返った時、まるで夢でも見ていたのかというくらい、本来の自分とはかけ離れていることに夢中になった記憶。
ひとつめは阪神タイガース。
トラキチに憑依されていたかもしれないという話。 - onoesanと猫と保育となんやかんや。
ふたつめは熱帯魚だ。
魚は、少し怖い。
子供の頃に読んだ山岸涼子の漫画に出てきた、無数のコイがバクバクと口を開けて、そのうちヒトの手にまで食いつくという場面が印象に残り過ぎたせいかもしれないし、たまたまホームセンターの一角で、大型水槽にエサとして放り込まれた金魚の眼を、見てしまったからかもしれない。
だから魚を調理をする時には、恐怖心はいったん脇に置き、誠実に、的確に、しかるべき部位に包丁を入れ、速やかに調理することに意識を集中する。
保育園の水槽でメダカが水死体になっている時にも、叫び出してしまいそうな気持ちはいったん脇に置き、お子さまが見つける前に、素早く割り箸で掬い取っている。
それが平素の自分である。
私が私じゃないように感じられる遠い記憶。
始まりは、グッピーだった。
引き取らないとどうやら川に流される運命らしい、行き場を失ったグッピーが5匹、ビニール袋に入れられて、借りていたアパートの部屋にやって来た。
そのままだと死んでしまうため、小さな水槽を買った。
やがて、その中の黄色とオレンジの中間くらいの色をした1匹のお腹がどんどん腫れていって、病気かと思っていた。
ある朝水槽を覗くと、その病気のようなお腹のグッピーがいつもより活発に動いていて、なんだか活発だなと思って見ていると、そのうちお腹の下一面に小さな小さなゴミみたいなものが広がり、ワラワラと水中に拡散したのだった。
その時のことは今でも鮮明に目に焼き付いている。
水槽に顔をギリギリまで近づけて、まじまじと見つめた。
勢いよく動き回るゴミのようなモノがグッピーの赤ちゃんだとわかった瞬間、一気に童心に帰ったような感動が押し寄せ、幸せな気持ちに包まれたのだった。
しかしそんな気持ちでいられたのは、本当にほんの一瞬のことで、次の瞬間、目の前で起きた出来事に血の気が引いた。
一体、なぜグッピーはメダカのように卵を水草などに産みつける方法を選択しなかったのだろうか。
今、自分が生み出したばかりの無数の命を、自らの口を最大サイズに開けて食べ始めたのだった。
私は震える手で水槽を掴んで、やめてやめてと絶叫したが止まらない。
あまりのことに手が震えて何もできなかった。
自然の環境であれば、水の流れがあり、身を隠すところは無数にあるため親の餌食になるようなことは起きない。
そうした環境にない水槽の場合は、産む気配があったら1匹だけ分離し、ネットを施し、産み落とされた瞬間に分離されるようにしなければならない、というのはこの後に知った。
深く反省した。
このようなことが二度と起きないよう、妊娠に気づかなかった場合に備えて、水槽に水草を植え、石を置き、水流が出来て温度管理も出来るようにひととおりの飼育セットを導入した。
仕方なく用意したのだが、水槽に水草とライトが設置されると、夜、部屋の中でそこだけがうっとりするくらい幻想的な世界になった。
水草が水の中を優雅にそよぐ姿は、日中の喧騒と程遠い世界観を体現していたし、なんだかこんなことが出来る…自分以外の生き物の実権を完全に握るというような行為にも、大人になった気がしたのだった。
そうして、この世界観に合うのは蛍光色のような赤色と青色が美しいネオンテトラだなと思った。
数匹のネオンテトラを入れた。
ライトに照らされたネオンテトラはとても綺麗だった。
水草を買い足しにお店に行ったら、黒装束の忍者のような風貌の、スタイリッシュ感に溢れる"ナイフフィッシュ"という魚がいた。
なぜか心惹かれて連れて帰って来て水槽に入れた。
次の日から朝になるとネオンテトラが数匹ずつ消えていった。
ナイフフィッシュは夜行性の肉食魚だった。
水槽を追加購入せざるを得なくなった。
ネオンテトラの水槽には、肉食ではない、見た目の美しいエンゼルフィッシュを入れた。
すると今度は同居のグッピーがエンゼルフィッシュのとがった口につつかれて、いじめられるようになった。
水槽を追加購入した。
水槽が増え、掃除が大変になってきたため、別名"掃除屋"とも呼ばれるナマズの一種で、とてもユーモラスな雰囲気の"プレコ"という熱帯魚を入れた。
プレコは丈夫で、とても生真面目に水槽の壁の苔を掃除してくれている様子だったので、数匹足し、清掃アシスタントとして小さなエビも投入した。
このあたりで、キッシンググラミーで有名なグラミーの掛け合わせ、マーブルグラミーを迎えた。
マーブルグラミーも、水色に絶妙にピンクの差し色が入ったとても美しい魚だったが、人工的に作られたものにありがちな気の強さは半端なく、同じく気の強いエンゼルフィッシュ、そして興味本位で迎えたブルーシクリッドとで、三すくみのような状態を形成した。
個体サイズ、先住者のナワバリ意識、水槽のサイズなどが奇跡的にうまく噛み合い、水槽の平和は束の間、かろうじて維持された。
それからも完成形が見えないまま、ある日ふと何かが欠けているような気がしてきて、バランスを求めて新たな種類の魚を求め、結果的に水槽を追加購入する、ということを繰り返した。
普段なら、時間をかけてでも石橋を叩き壊した挙句、これで壊れてしまうような橋なら渡らなくて本当に良かったと考えるような性格なのに、さほどの知識もないままに、小型の様々な熱帯魚では飽き足らず、アロワナやディスカスも迎えた。
水槽は増え続けた。
ある日の朝。
いつもどおり、肺魚の一種であるキノボリウオと同居させていたオスカーという魚にエサをあげていた時のことだった。
オスカーはジャンプが得意で、手から直接エサを食べることができた。
体長10センチを少し超えたところで、元気いっぱいに泳ぐ姿も、表情豊かなところも、餌をねだる様子も好ましく思っていた。
何度目かのエサをあげようと手を伸ばした時に、指を噛まれた。
痛みは大したことなかった。
が、その時、うっすら感じていたけれど頭の真ん中に来ないように気をつけていた違和感をはっきりと意識した。
ー私はいったい、何をしているのだろう。
水槽に囲まれた部屋の中で1人、呆然としたのだった。
その日から徐々に引取先を見つけ、水槽を処分していった。
オスカーがいなくなり、部屋の中はガランとした。
水槽がすべてなくなった時、湿度が下がったその部屋の、開けられなかった窓をすべて開けて風を入れた。
開放感でいっぱいになった。
あれ以来、一度も魚を飼おうと思ったことはない。
魚が苦手なのに、なぜか熱帯魚の飼育に明け暮れた日々のことは、今だに不思議で仕方がないのだった。