伝言メモが本人に届いてしまった後の顛末。

今週のお題「メモ」

四半世紀以上前の社会人になってまもなくのこと。

担当営業の机の上に、取引先の社長からの伝言メモを置いた。

それがうっかり社長本人に届いてしまったことがあった。

たったそれだけのことなのだけれど、それが起こった前後で、その社長との関係性が大きく変化したことがある。


当時60代の後半だったその社長は、とんでもなく怖かった。
そのスジの方ではないかと噂されていた。
うっかり電話をとって、その社長だったらと思うと足がすくんだし、話している時に怒鳴られると頭の中が真っ白になった。


社長の担当営業だったKさんは、社長からの電話に出ると声が出なくなるという症状に陥り休職してしまった。


そんな戦々恐々の日々だったので、社長から伝言を預かる時には、少しでもストレスがかからないように語調を和らげてメモ書きするのが慣例になっていた。


社長の下の名前がマサオであることから電話元の欄には「マサオちゃん」と書き、一番下の伝言を預かった人の欄に自分の名前を書く。


「おまえじゃねえよ、H(Kさんの後の担当)を出せっつってんだろコノヤロ。あ?いない??ふざけんな!いいか、Hが戻ったらすぐ来いって言っとけよ!すぐだからな。オレはあと30分でココを出るからな。それまでにアイツが来なかったら契約全部ナシ、な。そうだ、あと、アレ送っとけよアレ。ガチャッ…ツー、ツー、ツー」


というような内容だった場合、伝言メモは大体以下のようになる。


「マサオちゃん 様よりお電話がありました。

戻られたらすぐにお顔を見せて欲しい、30分以内に来て頂けたらとのこと。それ以降は不在の可能性があり、契約がムズカしくなるのでご注意くださいとのこと。

※アレを送るようにと依頼されましたが、確認する前に電話が切れてしまいました。心当たり、ありますでしょうか?」


といった具合だ。


こんな感じに意訳をするのが常だった。


ちなみにここで「アレ」が何を指すのかわからないと、ボコボコにされることがわかっているリングに再び上がらなければならなくなるため、必死で考えることになる。


そんな中、事件は起きた。


担当の机の上に置いた私の伝言メモが、書類と共に誤って社長の元に発送されてしまったのだった。


その日、社長のところから戻ってきたHさんは、真っ青を通り越して真っ白な顔をしていた。


私のところに来ると、事実だけ伝えて

「終わりましたわー……」

と、力なくそれだけ言って帰っていった。

社長は私が書いた伝言メモをヒラヒラとHさんの足元に落としたそうだ。

視界がグラグラと揺れた。


次の日、出社すると次々に電話が鳴り、私はロシアンルーレットに参加しているような気持ちで電話を取り続けた。

ほどなくして社長から電話が入っているという内線が来て、社長と電話がつながった。


「おい、お前だろ。オレのことなめてんだろ。見たぞ。」

「このたびは大変な失礼を、本当に…。社長のお名前が私の弟と一緒でして(ウソ)、ついつい親近感から、あんな書き方をしてしまって、本当に…」

と、昨夜一生懸命考え、何度も練習した言い訳を口にした。

するとしばらく間があって、私はその間、奈落の底に沈んでいく気がしたのだが、意外にも社長の声は明るくて、楽しげでさえあった。


「…60年ぶり」


「は?」


「だから60年ぶりなんだよ、あの呼び方」


「はぁ」


「あの呼び方するのは死んだオレのおふくろだけなの」


「はぁ」


「懐かしくなっちまったわ。」


「マサオ…ちゃん、ですか。そうですか…。マサオちゃん…」


「…。」


しばらく無言の時間が流れた後、まだ幼い頃にお母さまが亡くなってしまった話をしてくれたのだった。


それ以来、私に対してだけ、急激に態度が軟化した。

そのため担当営業をはじめとして皆が、スキあらば会話の中に「マサオちゃん」を強引にねじ込み始めた。


「マサオちゃんって呼ばれていた頃の社長の可愛い姿が目に浮かびます…」

とか、

「マサオちゃんって呼び方、本当にお優しいお母さまだったんだろうなって皆で話したんです…」

とか。


接待の際には完全に酔っ払った体でマサオちゃん呼ばわりをしたりしていくうちに、マサオちゃんは、いつのまにかすっかり気の良い、話好きなおっちゃんキャラに変貌してくれたのだった。


もしマーちゃんや、マッチーなどと書いていたら、許してもらうことすら出来なかっただろう。


ネーミングがマサオちゃんで奇跡が起きたね、と皆、口々にそう言っては胸を撫で下ろしたのだった。