寒の戻りの朝と、二日酔いの朝。
どちらの朝も思うことはいつも一緒だ。
毎回あんなに後悔するのに、どうして繰り返してしまうのだろう。
反省と後悔にまみれながら、まるで学習することができないという謎のメカニズムが共通して存在している。
暖かさに惑わされ、もう良いだろうと灯油の買い足しを止め、ストーブをしまう。
厚手の寝具、衣類もすべて洗濯し、収納する。
そうしてその後に必ず訪れる。寒の戻り。
かれこれ51回も春を経験しているのに、毎回してやられている。
大人になり、衣替えをするようになってからこの方、後悔しないで済んだ春は一度もない。
「まだまだ油断大敵。わかってる。私ももうさすがにそこまでのアホではないのだよ。」
と、4月の初旬までは、心に少しばかりの余裕を持ちながら静観していられる。
NHKのアナウンサーが、
「いよいよ厚手のコート類、クリーニングに出しても良さそうです。」
と言ったところで、もう間に受けない。
以前、さすがに公共放送のアナウンサーが宣言したんだからとクリーニングに出したとたんに冷え込んだからだ。
焦るな。まだだ。
それが4月も半ばを過ぎてくると、そんな気構え心構えが大変あやしく、心許なくなってくる。
それで今日のように冷え込んだ朝、寒いリビングで、愚かにもまたしても騙された自分と向き合う羽目になる。
毎年、心に刻みつけたつもりなのに情けなくもこの始末である。
昨年は服をしまい込む時、最も目につく場所に、
「STOP衣替え!騙されるな。寒い日は必ずまたやってくる!」
と書いた付箋を貼り付けた。
しかし暖かな陽射しの中、そうした去年の私からの親切なアドバイスは、今年のアホな私に聞く耳を持たれなかったのである。
それで今年の私は現在、来年の私に贈る画期的な対策案を推し進めている。
「なくそう衣替え!もはや1枚も入れ替えない世界観へ。」
服をゴッソリ減らし、衣替えをする必要をなくしてしまえば良い。
今ガシガシと処分している最中だが、処分し過ぎていささか心配にはなってきている。しかし手を緩めるつもりはない。
来年の春の、寒の戻りの朝には、少なくとも今年のように寒い思いをしなくて済む予定である。
そして本丸、二日酔いの朝の方である。
二日酔いで迎えた朝というのは毎回100%、純度の高い地獄である。
この辛さをどうして深く脳裏に刻みつけられないのか。
決して忘れてはいけない。もう二度とこんなに辛い思いはしたくない。
しかし天国に向かっている最中の、あのきらびやかな階段の魔力は強大過ぎて、一度上がり始めれば、引き返すことは控えめに言っても不可能なのだった。
それでもコロナ禍により、
「いっそのこと、どなたか私をラクにしてください…」
と思ってしまうほどの辛い朝は、ここ5年くらいご無沙汰している。
だからこそ、次に外で飲んだ時の翌朝が怖い。
少し前になるが、前回飲みに行った折には、手のひらに油性マジックで
「飲み過ぎません」
とデカデカと書いて出かけた。
が、手のひらに書いたので、そもそも目を止める機会がなかった。
しかも見てしまいそうになると、見えないようについつい固く握ってしまったのだった。
今度は手の甲に書こうと思っている。
他人様の力をお借りするのだ。
この方法は、酔っ払った後に電車に乗る時、どうしても自信がない時に使う方法だった。
○○駅で絶対に降りたいです!
と手の甲に書いておくと、必ず隣や前の人が起こしてくれるのが、ここ日本である(今は知らない)
私は、あくまで今までそうだっただけの話だが、酔っ払っても危険な目に遭ったことがないどころか、助けてもらった記憶しかない。
だからこのような甘えた発想をしてしまうのだと思う。
アルコールと家族について。 - onoesanと猫と保育となんやかんや。
それでももう、ほどよいところで自力で飲むのを止めるなどという芸当が自分に出来るとは到底思えない。
だからどんなに呆れられようと、次回はコレを試したいと思っている。
次こそはリベンジの予感がしているのだった。