初対面のお金持ちらしき女性を家まで送ったら、家でお茶でもどうですか、と誘われた。
お茶でもどうですかと誘われたのに気分はすっかり「渡辺篤史の建もの探訪」、ステキなお宅を見学する渡辺篤史だった。
ワクワクしながら足を踏み入れた。が、リビングにたどり着いた時点で早くもおなかいっぱい、エンディングテーマが頭の中で流れそうになる。
たった10分、だけどもう、十分の撮り高だ。寝室やお風呂、子供部屋なんかは見せてもらわなくて良いだろう。まあ、そもそも見せてもらえるわけないけどね…。
そんなことを考えていたら大事なことに気がついた。
今日はあのCMがないじゃないか。
「渡辺篤史の建もの探訪」は私にとって、それだけでは成立しない。あくまで視聴後に必ず流れるCMまでがセットである。
せっかく素敵なおウチにいる気分だったのに、テレビを消した途端に現実に引き戻されたら、置き去りにされたようなわびしさに包まれかねない。
そんな視聴者にワンクッションおかせてくれるのが、放送後に必ず流れる断捨離番組のCMである。これで心の均整をとってからテレビを消す。
古い団地やアパートなどによくある3LDKの間取りに、捨てられない子供の作品や頂き物の食器、はるか昔に高値で購入した衣類…そんなモノに囲まれて、途方に暮れているごくごく普通の人たち。
そういう人たちがプロの片付ける人たちに叱咤激励されながら必死で部屋の中を片付ける。
そうだよ、これがフツーの暮らしだよ、そうそう。お互い頑張って片づけようじゃないの…
さっきの人たちはさ、どうせ親が裕福なんだよ、あんな人たち、めったにいないんだから、悪いこと、してるのかもよ…。
さてと、そろそろお風呂洗っとくか。ああ、おとうさん、もうテレビ消していいよ…。
今日はあのワンクッションCMがない。私はこの夢の世界から、一体どうやって前を向いて家に帰れば良いのだろう…
女性が赤ちゃんをバウンサーに降ろし、横のスイッチを押した。バウンサーがゆっくりと揺れる。赤ちゃんは不服の泣き声をあげた。
抱き上げて、下のマットに置き直されると、そこで寝返りに挑戦し始めた。あともう一歩のところで手が抜けずに苦戦している。
こちらにどうぞ、と勧められたソファーは薄いグレーの布張りで、5人はゆったりと座れそうである。
来客然としてソファーに座るのが躊躇われて、飽きずに寝返ろうと奮闘している赤ちゃんのそばの床に座る。
「お気に入りの茶葉をブレンドしてもらったものがあるんですけど、苦手なお茶ってあります?」
全然、ありがたくいただきます、と言うと、良かった、お気に入りの茶葉の店なので、行くとついあれもこれも欲張って買ってしまって…。色々種類がありますから、おかわりも是非なさってくださいね、などと言う。
…やめたやめた、家に帰った後の心のケアなんて考えず、今を楽しもう。
お茶の時間はこれからなのだから。