お金持ちオーラを放つ女性の家に突然お邪魔することになった。平日の、お昼ちょっと前の出来事である。
高級な外車が並ぶ駐車場の奥に、2階建ての家が見える。築1,2年といったところだろうか。堅牢そうな外観、きっと憧れのヘーベルハウスだ。地震が来てもびくともしないだろう。
女性が玄関の取っ手を引くと、鍵を開けていないのに扉が開いた。家に誰かいるのだろうか。確かご主人は出張中で家にいないと言っていた気がする…そうだ、だからタクシーで動物病院に来たとかって…
あれ?今、鍵開けました?つい、疑問を口をすると、キーレスなのだと教えてくれた。キーレス?そうです、これ、とスマホをかざしてみせる。そうか、最近は玄関の鍵もスマホで操作する時代なのか…。
玄関、というより玄関ホールは、大理石らしき床で、段差のあまりない上り框は、ゆるい曲線になっている。
その段差のところに、でっぷりと太ったサビ猫がいた。こちらを見て固まっている。出迎えに来たら知らないおばさんがいたのだから無理もない。
まんまるの目でこちらを凝視していたが、そのうちクルリと向きを変え、お尻をユサユサ振りながら階段を上って行ってしまった。
「あの子も保護猫なんです」
そう言いながら茶トラの入っているケージの蓋を開ける。途端に、こちらも一目散に階段を駆け上がって、すぐに階上に消えてしまった。
2匹とも、まれにみる強運、出世運だ。保護猫からここまで来れて本当に良かった。
「結膜炎だったんです。でももうすっかり良くなってますって。さ、どうぞ。お上がりください」
言われて靴を脱いだ。せっかく買ったナイキの運動靴を、息子はたった数か月でサイズアウトしてしまった。もったいないので私が履いている。
当たり前だが中学生男子の運動靴がこの空間になじむわけがない。今更ながら気が引けてしまう。でも動物病院に行くだけのつもりだったのだから仕方がない。
視線を上に戻すと、玄関を入って右に階段、左に奥に続く廊下が見える。促されて、先ほど猫が消えて行った幅の広い、ゆるやかな階段を、女性の後に続いて上がる。
階段の右側の白い壁には額に入った小さな油絵が4枚、等間隔で飾られていた。それぞれに緑の並木道や白馬などが明るい色彩で描かれている。
階段を上がった突き当たりの壁には、20号くらいの、4枚の絵よりは大きなサイズの絵が飾られている。これは一体なんの絵だろう。アメーバ?ミトコンドリア?あんころ餅…?息子も小さな頃は、よくこんな絵を描いていたのを思い出す。
「この絵は一目見て気に入ってしまって。ちょっと無理をして買ってしまったんです。あんまり主人の車のことをうるさく言えないんです…」
ちょっと無理をして買った、外車の購入に文句を言いづらくなる絵の価格というのは、一体おいくらなのだろうか。
息子の画力はあの頃とほとんど変わっていないから、多分似たような絵を描けるはずだけれど…
それから女性は、右側の扉を開けた。途端に柔らかな日差しが差し込む。天井が高い。広いリビングは生活の気配が適度に感じられて、ハウスメーカーのCMを思わせた。
正面の壁に設置されたテレビは、我が家のテレビの倍以上の大きさだった。
夫に購入を任せてしまった我が家のテレビは、来客に驚かれるくらい大きい。だから我が家ではとても窮屈そうにしている。
しかし、大きいか小さいかは、置かれる場所によるのだ。それがよくわかった。
世の中には、こんなに大きなテレビがゆったりと存在できるリビングもあるのか。
少し高台の立地と天井までの高さがあるためだろう、リビングの大きな窓からは、近隣住宅の屋根と、その先の公園のこんもりとした木々まで見渡せた。
2匹の猫はどこにいるのだろう。建物が音を吸収するのか、とても静かだ。出窓に水槽が置かれていて、その水槽の、低いモーター音だけがかすかに聞こえてくる。
それ以外は、床の軋む音も、外から入ってくる物音もまったく聞こえない。
2階にいる猫が、ベッドから降りたことまではっきりとわかる我が家とは、これまた大違いだ。
部屋の中は暖かく、時間の感覚までもが遠くなる。家の近くに、こんなに贅沢な空間があるなんて。
「いやー、今日のお金持ちのお宅、素晴らしかったですね。なんかこう、夢の中にいるような、そんな幸せな気持ちに包まれました」
渡辺篤史ならきっとこんな感じでしめくくるな。
しかし、足を踏み入れてまだ10分足らず。
エンディングを想像するには、まだまだ早過ぎたのだった。