その折々で起きるマイブームというのがある。
ビールの自家醸造だったり(酒税法を遵守し度数は1%未満)、国内外のマラソン大会への参加だったり、部屋一面を埋める観葉植物だったり、色々のめり込んでは飽きるを繰り返してきた。
体力気力、それに時間がない今となっては、あの頃は元気だったな…と思うのみである。
それでも、そのハマったモノの中身は、ほとんどが今の自分と地続きで、あの時にハマった自分の気持ちもなんとなく覚えている。
そうした中にあって
「あの時のあの熱狂ぶり、あれは一体なんだったんだろう…」
と、振り返った時に自分でもサッパリ意味がわからない、自分の記憶ではないような違和感のあるものが2つある。
そのうちの1つが、阪神タイガース。
このブームは社会人2年目にやって来て、私の生活のすべてを飲み込んだ。
それまで、野球のルールも知らなかった。
きっかけは、
「夜風を感じながらナイターで飲むビールは最高にうまい」
という、同じ支社で働いていた同期からの誘いだった。
たまたま取引先からチケットをもらい、一緒に行く相手を探していた彼は、酒好きの私の心を巧みにくすぐってきた。
「あの美味しさはもう、ナイター以外じゃ絶対に味わえないって断言するよ。あの開放感の中、球場のこう、盛り上がった雰囲気…ああ、思い出しただけで仕事が手につかない…」
と言われて仕事が手につかなくなり、退社後2人で横浜スタジアムへと向かったのだった。
その日の対戦カードが横浜×阪神戦だった。
当時、チームの正式名称…どれ(横浜、中日、広島…)と、どれ(スワローズ、タイガース、ジャイアンツ…)がくっつくのかすら知らなかった。
そんな状態で初めて野球観戦したその日、メインテーマであるビールを飲みながら横目に見えたものは、想像を絶するほどに弱い「阪神タイガース」というチームだった。
野球を知らなくても、横目で見ているだけでも、ビックリするくらいに弱いことだけはわかった。
いじめられているようにさえ見えた。
それにも関わらず、観客席からの応援は凄まじく、ホームの横浜ファンを凌駕する勢いだった。
突如として自分の中に使命感のようなものがフツフツと湧き上がった。
「今日ここに来たのは運命かもしれない。私も、このとんでもなく弱いチームを支えなければいけない、いや、支えるのだ。」
と、判官贔屓よろしく、無性にそう思った。
「判官贔屓」…判官贔屓とは、第一義には人々が源義経に対して抱く、客観的な視点を欠いた同情や哀惜の心情のことであり、さらには「弱い立場に置かれている者に対しては、あえて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指す。
(2022年10月7日01:23(UTCの版)『ウィキペディア日本語版』より)
そうしてその日から、私の生活の中心に「阪神タイガース」が突如躍りでたのだった。
野球の知識はすぐに身についた。
バッティングセンターという、それまで存在も知らなかった場所に赴き、いかに彼ら選手たちが天才かを身をもって知った。
月間タイガースを定期購読し、グッズを購入し、選手一人一人のヒッティングマーチを覚え、熱唱した。鼻歌を歌うなら六甲おろしだった。
最善を尽くして可愛く撮った(つもりの)プリクラをベタベタと貼りまくったファンレターを好きな選手に出しまくった。
放映されていない地域に住んでいたためラジオの周波数を必死で合わせ、部屋の中で1人、ジェット風船を飛ばした。
横浜スタジアムへは足繁く通い、時に遠征もし、勝利の日には酔いしれた。
球団が大金を積み、鳴り物入りでアメリカからやって来たグリーンウェルが、神様からのお告げがあったからとかであっけなく帰国した時には膝から崩れ落ちるくらいにショックを受けた。
直属の上司を筆頭に、当時の職場の野球ファンの9割がG党だった。
私は完全に変わり者のレッテルを貼られた。
それでも唯一テレビで放送される対巨人戦は、どんなに忙しくても急いで帰宅してテレビの前に陣取った。
阪神の攻撃になるとコマーシャルになったり、たまに優勢ともなれば、そのタイミングで上司から仕事の連絡(を装った、タイミングをはかった嫌がらせ)が来たりしたが、気持ちが冷めることは全くなかった。
あの時まで。
野村監督が阪神タイガースの監督に就任した。
就任したが、ずっと最下位だった。
けれど3年目、何かが確実に変わった、気がした。
今までとは何かが違う。そういう気配が確実にあった。
その時、ふと頭の中に今までにない思いがよぎった。
もうこのチームは弱小ではない、かもしれない。
実際の戦績は相変わらず最下位だったが、もう大丈夫な気がしたのだった。
そしてそう感じた瞬間、まるで憑き物が落ちたかのように一気に興味を失った。
以来、二度と阪神戦を観ることはなくなった。
そしてその翌年に星野監督がやって来て、その翌々年に悲願の優勝を勝ち取った。
その時にはもう、
「ずっと優勝から離れていた弱小チームが優勝したんだってね。良かったねえ。」
という、一般市民レベルの感想を持ったに過ぎなかった。
今でもあそこまで熱狂し、スッと魂が抜けたようにあのタイミングで興味がなくなったのが不思議過ぎて、本当に阪神ファンが憑依していたのかもしれない、と思うことがある。
ギリギリまで粘り、勝利の兆しを確かに感じ取った瞬間に成仏したのではないか。
そして今。
スポーツ観戦と言えば、スポーツ観戦が大好きな主人が観ているテレビが視界に入ってくる程度である。
WBCやワールドカップ、オリンピックや箱根駅伝…何を観ても、ただただ、真摯に取り組んでいる姿に感動するのみである。
どちらが勝とうと負けようと、すばらしいパフォーマンスを見せてもらえたことに感謝しかなく、感涙しかない。
端的に言ったら年をとって涙もろくなっただけなのだが、本来の自分ってこうだよな…と思うのだった。