お話を聞くときは相手の目を見て、真剣な顔つきができる老猫ソル(15才)。
その姿は、保育園でイタズラをして怒られる時の男の子たちととてもよく似ている、と思っていた。
こちらをマジマジと見ているけれど、頭の中ではまったく別のことを考えている、もしくはボーッとしている、と。
しかし、ちゃんと聞いていてくれていたのかもしれない。
「高い猫缶、いくらでも食べていいから。」
泣きながら伝えたあの時。
「…ふぅん。いいんだ!」
そう思ったのかもしれない。
今、高級猫缶をガツガツ食べている。
余命は、数日から1ヶ月くらい、という先生のお話だった。
1ヶ月コースの方を選んだのかもしれない。
バリバリと爪を研ぐ姿も
ちょーだいちょーだいをする姿も
二度と見られない、見られるわけがなかった。
…はずなんだけど、今朝はどちらもしていた。
極端に激しい嗜好性と疾患のために、カリカリは常に小さな皿に少しずつ、数種類入れていた。
それもルナ(メス猫15才)が食べる分を残して昨日すべて片付けた。
…が、気づくとルナのカリカリをポリポリと食べていた。
懐かしいフレーズを呟いてしまった。
「なんも言えねえ…」
だって、かたや私はこの2日間、気を抜くとすぐに涙が出てしまって大変だったのだ。
そのうえ、辛気臭い記事を最後まで読んでくださっただけでも申し訳ないのに、スターを付けてくださったり、緑色のを付けてくださったり、コメントをくださったり…。
そんな、現実には出会ったこともない人たちからの優しさに、涙腺が完全に崩壊してしまった。
(本当にありがとうございました)
けど。
盛り上がるのが早過ぎたのだろうか。
でも昨日の昼までの丸4日間、ちゅ〜るとペースト状のパウチ以外はほとんど何も食べられなかったのだ。
それも一度に食べられたのはスプーンに1、2杯だったし、トイレに起き上がるのがやっとだった。
あまりにも、数ヶ月前の急性膵炎や10ヶ月前に猫コロナをこじらせた時とかぶり過ぎるソルの様子と一連のブログの内容…。同じ過ぎる…。読み返したら、そのたびに必死で覚悟をしている…。
違うのは、今回は具体的なタイムリミットと今後の経過を先生に伝えられていること。
利尿剤のおかげで、肺に溜まった水が一時的に抜けて楽になっているのだということ。
聞いていなかったら、単純に治ったと思ってしまったかもしれない。
ソルは余命も病気も利尿剤も知ったこっちゃない。ただ、生きている。
だから強いのかもしれない。先のことを知っていたらこうはいかない。
人間も、ものすごく傷ついた時には猫になって、大丈夫になるまでは、ただ生きるだけのモードに切り替えるシステムを備えていれば良かったのに。
ああ、今ネコなんだー、じゃ、きっと大変だったんだね…まずはゴロゴロ言えるようになることだよ…とか。
見た目が猫なら周りもわかりやすいし。
「猫缶もパウチもたくさん買ったよ。悔いのないように食べたいだけ食べて楽しく過ごそう。おしまいは、できるだけコロリとね。」
今はそう言い聞かせてみている。
老猫は神妙に話を聞いている。
…フリをしているだけかもしれないけど、もしかしたら聞いているのかもしれない。