7年くらい前だったか、プランターにサラダ菜の種を蒔いたことがあった。
種は数日のうちに芽を出した。
その小さな芽が毎朝、うっかりすると見逃してしまうくらい少しずつだけれど、背を伸ばす。
その成長を見るのがとても楽しみだった。
朝一番に水をやりに行き、わあ、また大きくなったね、すごいねと話しかけた。
登校時間が刻々とせまっているのにちっとも起きてこない14才の息子の部屋の扉を開ける時、その頃のことを思い出す。
むっくりと起き上がる姿が昨日よりも大きい、気がする。
このところ面白いくらいに毎日成長している、気がする。
わあ、また大きくなったね、すごいね、と話しかけたい。
が、目が覚めたらすぐに、「出てって」と不機嫌な声で言われる。
全身麻酔でも施さない限り、サラダ菜みたいに優雅に観賞するなんてできっこない。
やれやれと扉を閉める毎日だ。
お腹が弱くてすぐ下痢になるのに、3食では足りず、毎日4食食べる。
おやつも健在だ。今日のおやつは何?と、帰宅するなり聞いてくるのは小学生の頃からまるで変わらない。
…お菓子って意外に家計を圧迫するんだな。
甘党の夫が週の半分リモートになってから実感した。
パンパンに膨らんだ袋菓子のパッケージは、心細くなるほど軽く、何かの間違いかと思うほど中身が少ない。
色々買って棚に入れておいても瞬く間になくなっていく。
あまりにも忽然と消えたような時は、大抵2人の机の平たい引き出しの中にしまいこまれている。
手作りは手間だし、日持ちがしないし、案外高くつく。何か良い策はないものか。
そんなことを心の片隅に置いて日々を過ごしていたら、たまたま見たテレビ番組でやっていた。
「好きなお餅の食べ方アンケート」
「きなこ餅」が1位だった。
夫と私は納得がいかない。
きなこ餅は全然悪くない。でも磯部焼きでしょ、雑煮でしょ、それからそれから…きな粉餅は番外編で賞が取れるやつだよねえ。
「きなこ餅、食べたことないんだけど」
珍しく一緒に見ていた息子の言葉に、2人同時に驚く。
うそ、食べたことあるでしょ、ほら、実家行った時にさ、ばあちゃんがさ…言いかけて、その時の様子をありありと思い出した。
その時の息子は、椅子の背もたれにも届かない背の高さだった。
そうか、記憶に残っていないほど幼い頃から食べていないのか。
そのあと、いやいや、幼稚園の餅つき大会でお相撲さんと食べたよね?学校の給食で一度出てきたよね?などの反論も浮かんだけれど、ともあれ、家では一度も食べていない。
そうか、きな粉餅か。
昨年はロールキャベツを食べたことがないと言われた。
ロールキャベツは工程が多いし、キャベツの葉が破れないように柔らかくするのに神経を使うので、息子が生まれてからは一度も作っていなかった。
うちのオカンはロールキャベツとかそーゆーの全然作れなくてさ、え?そうなんだ、じゃ、今度私が作ってあげる…などと会話を交わしている息子と、今のところ空想上の生き物である息子の彼女が話している光景がありありと浮かんだ。
自分で妄想しておきながら心外に思った私は、彼の記憶に刻みつけるために週に何度もロールキャベツを作ったことがあった。
そうか、次はきな粉餅か。
きな粉餅は簡単だ。これは食べさせておく必要がある。そう思い、早速きな粉を買ってきた。
しかし一体、きな粉餅っていつ食べるのが良いのだろう。
おやつは華のあるものが喜ばれる。例えばキレイな袋にパッケージされたワッフルとか、ドーナツとか。
きなこ餅をせっかく用意した挙句、はぁ?という反応は嫌だ。
それで、今日のおやつ何?と聞かれた時に、「棚に入ってるお菓子か、テーブルの菓子パンか…きな粉餅」と、地味めなおやつのラインナップの最後に、小さい声で付け加えた。
間髪入れず、きな粉餅をリクエストされた。
パック入りのお餅をレンジで温め、水にサッと浸して、砂糖をまぶしたきな粉をからめる。
父親に似て甘党の息子は、最後に皿に残ったきな粉までチマチマと手にくっつけて平らげた。感想はなかったが、翌日もリクエストされた。
リモートの夫にも出したところ、驚くほど美味しい、これは1位だよと言う。余っていた黒蜜もかけたので、甘さが倍増していたところが甘党の彼の心をくすぐったのだろう。
私も一つ食べてみた。
きな粉は言わば贖罪、炭水化物に砂糖をまぶして黒蜜を垂らした食べ物は、ただただ悪魔的な美味しさだった。トロトロと柔らかく口に馴染んで溶ける。
ひとつ食べただけでも、カロリーの分だけお腹いっぱいになる。
中年には危険、しかし成長期にはうってつけだ。
腹持ちが良く素材もシンプル、経済的で家計にやさしく、しかも簡単に用意できるのもありがたい。当面は作ってやり、頃合いを見てセルフサービスにしよう。
夫が「もうないの?」とキッチンに来た。
「ないない、とっくにない」と言いながら、息子の皿にこっそり追加する。
夫に対する優しさであるのと同時に、息子に対する母ゴコロでもある。
ともあれ、最近の我が家はすっかりきな粉餅の日々なのだった。