「高い猫缶、好きなだけ食べていいから」
そう伝える私の目を、彼は真剣に見つめ返した。
昨年の、いよいよ酷暑が始まらんとする7月のある日のことだった。
あれから半年と少し。
彼が食べた高級猫缶は、200缶を優に超えた。
今日もまた、猫缶が供されるのを今か今かと待っている。
目が合ったらすかさず立ち上がって、前脚をこすり合わせて拝む。その態勢にいつでも入れるようにしていることが、モゾモゾと動く後ろ脚の気配でわかる。
いつもの朝が始まる。
「…誤診だったんじゃない?」
後から起きてきた夫が、皿に頭ごと突っ込んでワシャワシャと猫缶の中身をかき込む老猫を見つめてつぶやいた。
私もあれから、あの日のことを何度も思い返している。
あの日の夕方、ぐったりとして動けない様子の老猫、ソルをケージに入れて病院に向かった。
ーおそらく少し前に罹った急性膵炎が悪化したのだろう。もしくは他の、いくつもの持病が悪さをしているのかもしれない…
そんなことを考えながら診察室に入った。
触診をする先生の顔が、急に険しくなる。
レントゲンを撮るから待合室で待つように言われた。
ずいぶん待った。
後から来た患者さんたちが、診察を終えて次々と帰っていく。時折り待合室を横切る先生の表情が、心なしか暗い。
とうとう待合室に1人きりになったところで名前を呼ばれたのだった。
先生が診察室の電気を消した。すると、壁に大きく映し出されたレントゲン写真がくっきりと見えた。
獣医師2人体制のこの病院は、大きな診断や施術は2人で行っている。この時も2人だった。
心臓や肺の位置、白くなっている部分がどういう状態にあるか、画像の隅に出ている数値が何を示すのかなど、ひとつずつ説明があった。
結論として、既に抱えきれないほどの病名を頂戴している老猫に、新たに「肥大型心筋症」という病名が加わったのだった。
先生は伝えにくそうに声を落とすと、あと1ヶ月は難しい、ここ数日でお別れになるということも十分あり得ます、と言った。
薬と、最期に呼吸が苦しくなる病気だからと、酸素テントのレンタルカタログを渡された。
家に着くと涙が止まらない。落ち着こう、そう思った。落ち着いて、しかるべき対応をしていくのだ。一緒にいられる時間は、あとほんのちょっとかもしれないのだから。
「もう高い猫缶、好きなだけ食べていいからね」
真っ先にそう伝えた。その後も合わせると、3回は伝えた。
あれから半年と少し。
夫も息子も私のことを疑い始めている。誤診じゃないなら、診断を大袈裟に言ってない?と。
当のソルも納得のいかない顔をしている。
私に騙されたと思っているフシがある。そういう目でこちらを見ている時がある。
確かに、ソルのことは結果的に騙したことになる。好きなだけ食べて良いと言っておきながら1日1缶、懇願に負けても1.5缶だ。今日も大切に食べるんだよ。
薬が切れて通院すると、先生が嬉しそうに驚く。
老猫を何度も撫で、すごいねえと話しかける。
それから上を向き、最後に私に釘を刺す。
「今の状態はなんというか、ラッキーにラッキーが重なった、とにかくものすごくラッキーな状態です」
撫でられた老猫は機嫌良く、ゴロゴロと喉を鳴らし続けている。
さまざまなケアが必要な日々は、慢性的に寝不足だし、どこにも行けない。いつも頭から小さな姿が離れない。経済的な負担に関しては目を覆いたくなる。
それでもやっぱり、ラッキーが続けばいいと思う。
機嫌良く、穏やかに過ごせる日が一日でも長く続いて欲しい。
今日も夢中でちゅ~るに吸い付く彼に、大好きだよ、ありがとう、君はすごい子だねと話しかけている。
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お読みくださりありがとうございました。
ブログを始めてから一年と少し、ひとさまの日常を覗くのはこんなに楽しく、また、さまざまな気づきを得られるものなのかと、日々ワクワクと読ませて頂いております。
しかし、読むのがとても遅い私は、新着の15記事前後が1日に読む限界量で、なかなか更新に追いつけません。
にも関わらず、私の長文気味の、実用性がこれっぽっちもない文章を、互助的なお気遣いから読んで頂いたり、スターを付けてもらうのはとても心苦しく、いっそ更新しない方が負担を減らせるのではないか、などという本末転倒な気持ちが日毎に強くなってしまいました。
そこで、忙しい時には気兼ねなくすっ飛ばして頂けるよう、試しにスターを外してみることにしました。
今後もブログとの程よいお付き合いの仕方を模索していきたいと思います。
それでは感染症が流行っておりますので、皆さまにおかれましては、お身体どうぞご自愛くださいませ。