私だけでなく、世の中の大半の人は、多かれ少なかれ他人の生活が気になるものではないだろうか。
ーたとえ、それが時として目の毒であろうとも。
動物病院でたまたま会話を交わした女性は、胸に赤ちゃんを抱き、猫の入ったケージを手にしているにも関わらず、あり得ない優雅さであった。
そのような状況において、優雅なままでいられる人を、多分初めて見た。とても市井の人とは思えない。私の中のエツコイチハラが騒いでいる。
とは言え、その日の私は老猫の常備薬を受け取るために来院しただけだった。エツコがいくら騒ごうと、会計が済んだら帰るほかない。
そのうち、「お薬の準備ができました」と私が呼ばれ、「診察室にお入りください」と彼女が呼ばれた。では、と会釈し合って同時に席を立つ。
赤ちゃんは抱っこ紐の中で依然スヤスヤと眠っている。今日は思いがけず良いものを見ることができた。眼福眼福。さてと、帰ろう。
と、そこへダンボが入ってきた。キャバリアのダンボはフサフサとした垂れ耳で、「ダンボ」と大きく書かれた名札を首輪にぶら下げている。
相変わらず大興奮で、私を見るや飛びかかってきた。飼い主さんが、こら、やめなさい、と声をかけるが私たちは離れない。久しぶりに会えたね、ダンボ。
ダンボの飼い主さんは、私よりも一回り若いが、高校生の息子がいるお父さんだ。今ではすっかり顔馴染みで、会えば立ち話をするようになった。
あれ?ネコちゃんは?あ、今日はね、薬だけもらいに来たの、ほら、うちのは2匹とも年寄りだから、こう寒いとね、体調すぐ崩しちゃうから…
ダンボと戯れつつ、そんな話をして数分が過ぎると、あっさりと診察室の扉が開いて女性が出てきた。診察が終わったらしい。
出てきた女性を見て、ダンボの飼い主の、高校生の息子がいるお父さんの頬が、我慢できずにぴくんと動いた。「おっ!?」という顔になったのを家政婦はしっかり見た。
もしも駅前の駐輪場とかドラッグストアなどで、この人の高校生の息子に会っても、ひょっとしたら顔がわかるかもしれない。
そのくらい、お父さんの顔は瞬時に高校生くらいまで若返った。
かの女性は、お金持ちのオーラもさることながら、髪だけでなく全体的に艶があり、一言で言ったらもう、とにかくとっても美しかったのだ。
正直に告白すると、この時の私はなんというか無性に、言葉が間違っているかもしれないが、多分マウントというものをとりたくてたまらなかったのだと思う。
「なんと私、あのキレイなヒトと既に喋っちゃってるの!実際のところ!!」という素敵な事実を猛烈に彼に知らせたい。
なんなら知り合いみんなに伝えたい。家に帰って家族に自慢したい。それからそれから、この動物病院におけるNo. 1常連は私なのだと認めてもらいたい!!
誰に向いているのか自分でもよくわからなくなってきたこの一連の感情…エツコイチハラ、マウント…それに加えて湧き出てきたもう一つの感情、「親切心」。この3つの要素が頭の中で混ぜこぜに渦巻いた。
これはブログだから、残念ながら証言してもらうことができない。だから信じて頂くよりほかないのだが、私にはとても親切なところがある。
その証拠に、小さな頃、母親に「あんたは親切な子だね」と言われたことがある。
多分、近隣で小さく噂される程度の親切さかげんではないだろうか。親切な少女が50代になり、その年代の女性の多くが得意分野にしている特性、(要らない)お世話が好きとか(余計な)おせっかいとか、そういった類いのセンスがやや溢れ気味なところがある。
頭の中が次の段階に入った。すなわち、車内の状態についての検討である。
昨年納車された車はまだ新しくキズもない、3ナンバーだから狭くもない、この前の日曜日、夫がまた洗車をしていた、今週は、サッカー帰りの汚い息子と、汚い息子のお友達はまだ乗っていない…
よし、いける、大丈夫だ。
心の中でブツブツと呟く。こういうお互い様的なことって私たちの階級では割に普通にあるんですよ、ええ、ええ…そうなんです、もちろん見た目どおりの善良な市民ですからご安心ください…。できるだけ爽やかに、さりげなく、サクッと。
よし、行こう!
「私、車なので、お近くなら送りますよ!良かったら乗って行きませんか?」
女性の肩越しに壁掛け時計が見えた。午前の診察の最終受付がそろそろ終わる時間だった。