おノエ、お金持ちからお茶に誘われる。

 

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「お茶でもいかがですか?」

 

ーん?今この人なんて言った?え?うそ、私、誘われた?

…いや待て、これは言葉のトリックの類かもしれない。もしくはお金持ちのマナーの一種なのかもしれない。ほら、確か京都では、お茶のおかわりを勧めてくるのは、いいかげん帰れよという意味だとテレビでやっていたではないか。

 

でもここは京都ではないし、言葉に熱を感じる。どうやら彼女は本気で言ってくれているように思えた。

 

でもなぜ?さすがに会ったばかりの人間をいきなり家に誘うのはおかしい。しかも今日は、いや、今日も、上から下までユニクロだ。

 

女主人が許可を出しても守衛さんにドレスコードではじかれるだろう。いや、さすがに守衛さんはいないか…

 

はっ!?これはもしや、私の醸し出すエツコイチハラのオーラを感じ取って、家政婦にスカウトされるのでは?おノエは見た!なーんてね…。いやいや、さすがにそれはないだろう。では目的は一体何?

 

どうしよう。どうするのが正解なのだろうか。戸惑っていると私の中のチビデブおばさんが、早く家に帰ってのんびり唐揚げでも食べようよ、と言い出した。私もそれがいいなと思う。すると今度は、私の中の渡辺篤史が、とんでもない!と身を乗り出した。

 

昔から「渡辺篤史の建もの探訪」が大好きで、今はBS朝日放送回を毎週録画予約している。こだわりの詰まったステキな建物と幸せ溢れるステキなご家族のおウチの中身を見せてもらえるこの番組が、onoesanこと私は大好きである。

 

一度で良いから渡辺篤史の役をやってみたいと思っていた。このチャンスを逃したら、現世でお金持ちの家に入るチャンスはもう2度と訪れないだろう。

 

そうして、時間にすると数十秒、気持ちが固まった。

 

「そんな…とんでもないです、赤ちゃんもいるのに…」

 

と、きっちり3回繰り返した後、

 

「そうですか?本当に?なんだか申し訳ないです…そうですか?ではでは…あ、すぐに帰りますからどうぞお構いなく」

 

月面着陸したかのようなフワフワとした足どりで女性の後に続き、いざ、玄関の扉の前に立ったのであった。

おノエ、お金持ちを家まで送る。

 

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動物病院で偶然出会った、お金持ちオーラを放つ女性と赤ちゃんと茶トラの猫を車に乗せて、家まで送り届けることになった。

 

そう言えば先月も初対面の人を車で家まで送っていった。ホームセンターで会ったおばあちゃんだ。

 

1人、大小さまざまなゴミ箱が陳列されたレーンで考え込んでいた。目が合うとかすかに首を傾げながら、独り言のように話しかけてきた。

 

大きくてバケツみたいな形のゴミ箱が欲しいのだけど、家まで歩いて持って帰るのは無理かしら、頼んだらお店の人が持ってきてくれるのかしら…

 

店員さんに聞いてみると、配送代を払えば明日届けられるとのことだった。歩いてきたなら家は近いのだろう、そう思い、送っていくことにした。

 

青色のゴミ箱を車に積むと、おばあちゃんはとても嬉しそうに後部座席に続いて乗り込んだ。何度も何度も「良かったわ〜」と言ってくれた。

 

その時と今回とでは勝手がまるで違う。おばあちゃんの時は全く緊張しなかったし、車内の汚れ具合など気にもとめなかった。

 

今回は「助かります」と言われてから緊張が止まらない。おばあちゃんを乗せた時の、ひたすら良い気分でいられた私とはまったくの別人である。

 

しかも赤ちゃんがいる。決して事故に遭ってはならない。もらい事故も絶対ダメ。石に齧りついても安全に送り届けなければ。

 

まったく、こんな責任の重いことをどうして自ら申し出てしまったんだろう。バカバカ!私のバカ!速やかにミッションを遂行して楽になろう。

 

教習所並みに指差し確認をし、「それでは出発します!」と宣言した。そんな私の様子を見て、後部座席の女性はかすかに動揺の色を見せた。

 

ご自宅はきっと、前に散歩中に迷ったあたりだろう。お城のような家が建ち並び、どこの世界に迷い込んでしまったのかと驚いたあの界隈…。

 

そう予想していたが、意外なほど我が家から近い場所であった。それなら、そこまで浮世離れしたお金持ちではないのかもしれない。

 

あれ?案外、普通の人?…いやでも、この前のおばあちゃんや私とは何かが違う。…余裕?貫禄?私をこんなに緊張させるこの空気は一体何?

 

そもそもの発端は、もちろん誘った私だ。でも、考えれば考えるほど謎は深まる。一体どうして断らなかったのだろう。

 

どう見てもお金には困っていない。タクシーを使ったほうがよほど安心で効率よく、気持ちも楽だっただろうに。善意を断れないとか?

 

グルグル考えていたところに、後部座席で赤ちゃんが起きた気配がした。私の頭の中は瞬時に赤ちゃんに占領された。

 

「赤ちゃん、起きました?」

 

「ええ、今、目が開きました。ね、よく寝たね」

 

「今…5ヶ月くらい?」

 

「ええ、まさにそうです。よくわかりますね。」

 

年が上がるにつれ誤差が大きくなるが、このくらいの月齢なら、ほぼ100%当てる自信がある。

 

「一昨年まで保育園で働いてたんです。このくらいの赤ちゃんは本当に可愛いですよね。見てるだけでこっちも癒されます。」

 

「保育園?保育士さんってことですか?」

 

「そうなんです。でも今、色々事情が重なって、コアタイムで働く契約だと迷惑をかけそうなので、やむなくお気楽な働き方をしちゃってます」

 

「お気楽な働き方…」

 

「ええ、まあ、こっちの都合に合わせてと言いますか…」

 

「保育の…?」

 

「そうですね、お子さまの療育支援やお母さまの産後鬱やお病気で育児が困難な場合のお手伝いですとか…育児周りのお手伝いってところですかね…」

 

「…あの、…あ、そこを右に曲がった角の家です。」

 

女性は何かを言いかけたが、家はすぐそこらしい。ああ、どうやら無事にやり遂げた。ご褒美にスーパーに寄って唐揚げを買って帰ろう。

 

「駐車場に一度入ってもらっても良いですか?」

 

おう、もちろんだとも、路上より安全だしお安い御用だよ…と思ったのと同時にエントランスが見えた。

 

一度バックで入れて、と言われたのは4台置ける駐車場の最も玄関寄り、他の3つの駐車場には既に車が停まっていた。

 

車種は全然興味がないのでさっぱりわからないが、一台は黄色いポルシェだ。横にポルシェと横文字がデザインされていたから間違いない。

 

その隣は、外車なのはわかるけれど、私が知っているベンツとかボルボとかではなかった。うん、なんか外車。高級で上品な雰囲気の外車が2台。

 

ははーん、車関係のお仕事か。するとここは店?いやいや、ただの豪邸にしか見えない。

 

車関係のお仕事なんですか?と聞いてみると、少し驚いた顔で私を見て、それから車を見て、ああ…と笑った。

 

「ああ、そう思いますよね。もう、こんなにいらないのに。夫が好きですぐに買っちゃうんです。これ以上の台数はダメって言い聞かせてます。」

 

と微笑んだ。

 

そして、ケージを運ぶのを手伝おうと運転席から出ようとしたその時、彼女は言った。

 

「良かったら是非、家でお茶でもいかがですか?」

 

おノエ、お金持ちを車に誘う。

 

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私だけでなく、世の中の大半の人は、多かれ少なかれ他人の生活が気になるものではないだろうか。

ーたとえ、それが時として目の毒であろうとも。

 

動物病院でたまたま会話を交わした女性は、胸に赤ちゃんを抱き、猫の入ったケージを手にしているにも関わらず、あり得ない優雅さであった。

 

そのような状況において、優雅なままでいられる人を、多分初めて見た。とても市井の人とは思えない。私の中のエツコイチハラが騒いでいる。

 

とは言え、その日の私は老猫の常備薬を受け取るために来院しただけだった。エツコがいくら騒ごうと、会計が済んだら帰るほかない。

 

そのうち、「お薬の準備ができました」と私が呼ばれ、「診察室にお入りください」と彼女が呼ばれた。では、と会釈し合って同時に席を立つ。

 

赤ちゃんは抱っこ紐の中で依然スヤスヤと眠っている。今日は思いがけず良いものを見ることができた。眼福眼福。さてと、帰ろう。

 

と、そこへダンボが入ってきた。キャバリアのダンボはフサフサとした垂れ耳で、「ダンボ」と大きく書かれた名札を首輪にぶら下げている。

 

相変わらず大興奮で、私を見るや飛びかかってきた。飼い主さんが、こら、やめなさい、と声をかけるが私たちは離れない。久しぶりに会えたね、ダンボ。

 

ダンボの飼い主さんは、私よりも一回り若いが、高校生の息子がいるお父さんだ。今ではすっかり顔馴染みで、会えば立ち話をするようになった。

 

あれ?ネコちゃんは?あ、今日はね、薬だけもらいに来たの、ほら、うちのは2匹とも年寄りだから、こう寒いとね、体調すぐ崩しちゃうから…

 

ダンボと戯れつつ、そんな話をして数分が過ぎると、あっさりと診察室の扉が開いて女性が出てきた。診察が終わったらしい。

 

出てきた女性を見て、ダンボの飼い主の、高校生の息子がいるお父さんの頬が、我慢できずにぴくんと動いた。「おっ!?」という顔になったのを家政婦はしっかり見た。

 

もしも駅前の駐輪場とかドラッグストアなどで、この人の高校生の息子に会っても、ひょっとしたら顔がわかるかもしれない。

そのくらい、お父さんの顔は瞬時に高校生くらいまで若返った。

 

かの女性は、お金持ちのオーラもさることながら、髪だけでなく全体的に艶があり、一言で言ったらもう、とにかくとっても美しかったのだ。

 

正直に告白すると、この時の私はなんというか無性に、言葉が間違っているかもしれないが、多分マウントというものをとりたくてたまらなかったのだと思う。

 

「なんと私、あのキレイなヒトと既に喋っちゃってるの!実際のところ!!」という素敵な事実を猛烈に彼に知らせたい。

 

なんなら知り合いみんなに伝えたい。家に帰って家族に自慢したい。それからそれから、この動物病院におけるNo. 1常連は私なのだと認めてもらいたい!!

 

誰に向いているのか自分でもよくわからなくなってきたこの一連の感情…エツコイチハラ、マウント…それに加えて湧き出てきたもう一つの感情、「親切心」。この3つの要素が頭の中で混ぜこぜに渦巻いた。

 

これはブログだから、残念ながら証言してもらうことができない。だから信じて頂くよりほかないのだが、私にはとても親切なところがある。

 

その証拠に、小さな頃、母親に「あんたは親切な子だね」と言われたことがある。

 

多分、近隣で小さく噂される程度の親切さかげんではないだろうか。親切な少女が50代になり、その年代の女性の多くが得意分野にしている特性、(要らない)お世話が好きとか(余計な)おせっかいとか、そういった類いのセンスがやや溢れ気味なところがある。

 

頭の中が次の段階に入った。すなわち、車内の状態についての検討である。

 

昨年納車された車はまだ新しくキズもない、3ナンバーだから狭くもない、この前の日曜日、夫がまた洗車をしていた、今週は、サッカー帰りの汚い息子と、汚い息子のお友達はまだ乗っていない…

 

よし、いける、大丈夫だ。

 

心の中でブツブツと呟く。こういうお互い様的なことって私たちの階級では割に普通にあるんですよ、ええ、ええ…そうなんです、もちろん見た目どおりの善良な市民ですからご安心ください…。できるだけ爽やかに、さりげなく、サクッと。

よし、行こう!

 

「私、車なので、お近くなら送りますよ!良かったら乗って行きませんか?」

 

女性の肩越しに壁掛け時計が見えた。午前の診察の最終受付がそろそろ終わる時間だった。

おノエ、お金持ちに遭遇する。

ここ数年、あまりにも頻繁に動物病院に通っているonoesanこと私は、もはやすっかり常連気取り、新顔の患者さんには先輩風を吹かしている。

 

ケージを2つ持った人が来院したらすかさずドアを開けに行き、撫でてもらいたそうな犬がいたら、いそいそと隣に移動して全身を撫でまわす。

 

先生もスタッフの女性たちも、そんな余計なお世話を満足げに撒き散らす私を、変わらず冷めた目で見守ってくれている。

 

その日、待合室を見渡したものの手を貸せそうな目ぼしい相手が見つからなかった。それで、お気に入りの、全体がよく見渡せる席に座った。

 

しばらくして入口のドアから女性が入ってきた。艶のある茶色の髪を後ろでアップにし、白いニットのワンピースにスニーカーを合わせている。

 

30代後半くらいだろうか、カジュアルな雰囲気にまとめているが、細部に渡ってまったく隙がない。特に髪の毛の美しさときたらなかった。

 

髪には生活の疲れが出るし、場所柄、私も含めて家着の延長のような服装の人が多い。そのなかにあって、彼女は異彩を放っていた。

 

引っ越してきて約10年、私の住むこの地域は格差が大きく、場所によっては、いわゆる富裕層が多く住んでいる。

 

彼らの居住する邸宅を囲む、堅牢そうな門や高い塀こそすっかり見慣れているものの、中に住んでいる人を拝む機会はほとんどない。

 

しかし通っている動物病院では、ほんの時々、ひょっとしたらあの中に住んでいるのではないかと思われる人たちに遭遇することがある。

 

せちがらい日々をケチケチと、ささやかな贅沢を糧に生きている我々の中にあって、圧倒的な余裕を漂わせて生きる人々。

 

一昨年の夏、ここで会った人たちもそうだった。20代の、兄妹とおぼしき男女と60代の父親らしき人物が、2匹のパグ犬を連れて入ってきた。

 

夏休み直前の平日の午前中、そこにいたのは珍しく私1人だったこともあり、待合室は完全にその親子のためのスペースと化した。

 

チャーターしたプライベートジェットで別荘に向かう前に、ふと思い立ち、連れて行くパグ犬の健康チェックをしてもらいに立ち寄った。

 

悪気は一切なく、彼らは当たり前に私の存在を忘れて、実にのびのびと会話を楽しんでいたため、来院した事情が大体わかってしまったのだった。

 

湿気の残る暑い日だったし、公共機関で移動するわけでもない。ポロシャツにハーフパンツ、ワンピースにサンダルと、ラフな身なりだった。

 

しかし、いくらラフな身なりをしていようと、生まれた時からふんだんにお金をかけて生活してきた人たちのオーラは消すことができない。

 

父親はさておき、子供達は間違いなく生まれつきのお金持ちだった。この人たちは今朝、何を食べてきたんだろう。そんなことを思ったのだった。

 

その日、私の少し後に入ってきたくだんの女性もまた、私の生活圏ではあまり見かけない雰囲気を漂わせていた。

 

この人には話しかけられない。もしもこの女性が1人きりで入ってきたなら、きっとそう思って、それで終わっていた。

 

しかしその女性の肩には丈夫そうな抱っこ紐が装着されており、中には、最高の質感の肌を持つ生き物、赤ちゃんがスヤスヤと眠っていた。

 

さらに、右手にはラタンのケージを持っていた。ケージの下に敷かれた柔らかそうなクッションの上で、茶トラの猫が目をまんまるにしている。

 

もはやおせっかいが体に染み付いた私は、ほとんど反射的に手を伸ばして、ケージを受けとるサインを出した。

 

女性はまったく驚く様子もなく、ごく当たり前のことのようにケージを預けた。それから笑顔で目を合わせ、浅いけれど丁寧におじぎをした。

 

ケージを椅子に置き、その椅子を挟んで隣同士に座った。座る前に横切った窓ガラスに、一瞬自分の姿が映った。

 

生活感いっぱいの、疲れた自分の姿に一気に卑屈な気持ちになってしまった。それきりとても目を上げて彼女の方を向く気になれなかった。

 

ケージの中の猫に「可愛いね」とお決まりの言葉で話しかけ、それでおしまいとでも合図するように、鞄に入れた読みかけの本をガサゴソと探った。すると、

 

「この子、保護猫なんです」

 

彼女はそう言ってケージの中の猫を見つめた。

 

言葉を待っていると、

 

「いつもは主人が連れてくるんですけど仕事で出かけてしまって。無理しなくても良いって言われたんですけど気になるのでタクシーに乗って連れて来たんです」

 

そう続けた。

 

リッチピープルと保護猫。ミスマッチな組み合わせに思えるのは勝手な思い込みだ。でも、赤ちゃんと猫をたった1人で連れてくるというのも意外だった。まあタクシーだけれど。でも。

 

顔を上げると、今度は正面の壁に設置された鏡に自分の顔が映った。先ほど卑屈に見えた自分の顔がすっかり、家政婦は見た!市原悦子みたいな顔になっていたのだった。

チワワのベンツ。

たまに子どものお下がりをくれたり散歩に付き合ってくれたりするご近所さんのサキコさんが子犬を飼い始めて、ちょうど半年が過ぎた。

 

白に近いクリーム色の、オスのチワワの名前はベンツ。由来はメルセデス・ベンツで、外車好きのご主人が命名した。

 

小さなベンツはとても臆病で、初対面の人が来ると歯を剥いて身構える。近づくと怯えて体を震わせながらキャンキャン吠え立てる。

 

ペットショップで売れ残って、売り場をいくつも渡り歩いたらしいんだよ、半額の値札がついていて安くなっていたから買うことにしたんだ。

 

こんなに情けない性格になったのは、たらい回しにされた過去が影響しているのかもしれない、そう言ってサキコさんは足元の子犬を見た。

 

どんな名前を付けるかは飼い主の自由である。しかし「ベンツ」ではない。初めて会った時、震えながら威嚇するチワワを見てそう思った。

 

それで、心の中でこっそり「佐吉」と呼ぶことにした。大物感はないけれど、サキチとサキコは似ているし、真面目に頑張りそうな名前である。

 

2人きりの時に声に出して呼んでみた。佐吉ははっとしたようにこちらを見て、それからおずおずと近づき、私の手の中のおやつを受け取った。

 

程なくして、サキコさんの膝には乗らない佐吉が私の膝には乗ってきて、くつろぐようになった。サキコさんは納得のいかない様子である。

 

名前が気に食わないからだと、本当のことを教えてあげたい。でもサキコさんのご主人は苦手だ。余計なことは言わないでおこう。

 

佐吉はサキコさんの家の、19才になるハルカちゃんを慕っている。ハルカちゃんはベンツの佐吉を「ベンちゃん」と呼ぶ。

 

ハルカちゃんが帰宅すると、サキコさんの前をそそくさと横切り、ハルカちゃんの元へ急ぐ。腕の中におさまって至福の時を過ごす。

 

「ベンちゃん」と優しく呼びかけられると、うっとりと目を細めて微笑む。彼が猫なら間違いなく、喉をゴロゴロ鳴らしているだろう。

 

一方サキコさんはロッテンマイヤーさんのように厳格な口調で「ベンツ!」、時には「こら、メルセデスベンツ!」などと言って声高に叱りつける。

 

佐吉はロッテンマイヤーのサキコさんは苦手だけれど、それでもサキコさんがいないと家がまとまらないことも多分わかっている。

 

なんだかんだ言っても頼りにしているのでサキコさんの言うことはよく聞くし、サキコさんの姿が見えないと心細そうに鼻を鳴らす。

 

散歩に出発すると、なぜか佐吉は別犬のようになって私を驚かせた。意気揚々と機嫌よく先頭を歩く。追い越すと吠え立てて、下がれと言う。

 

途中で他の犬に出くわすと、慌てて後ろに下がってきて震える。そこで抱き上げると、途端にまた威勢が良くなり、相手の犬に吠え掛かる。

 

再び降ろせば大慌てで隠れる佐吉を、サキコさんは恥ずかしい奴だと言う。ハルカちゃんは可愛いと言う。私は、佐吉が犬で良かったと思う。

 

サキコさんを始め、ご近所の知り合いのお宅が、ここのところ立て続けに犬を飼い始めた。皆、子供に手がかからなくなってきた頃合いである。

 

子どもが少しばかり大きくなったところで生活は忙しい。時間はいくらあっても足りない。やりたいこともやりたくないこともたくさんある。

 

でも、世話を焼いてきた相手に少しずつ必要とされなくなってきた。気の抜けたような戸惑っているような、そんな表情になっていた彼女たち。

 

そんな、束の間の放心状態にある彼女たちが見せた小さな隙間に、犬たちはまんまと潜り込んだのだった。

 

そうして現在、彼女たちは一様に、思ったよりも躾が大変だの、世話が焼けるだのと色々文句を言いながら、張りのある顔つきに戻っている。

 

犬はしょせん犬でしかない、私はそう思っていると、サキコさんは繰り返し言う。何度も言うので、まるで自分に言い聞かせているみたいだ。

 

先日サキコさんに、これから届け物を渡しに寄ってもよいかと聞くと、やっとベンツが寝たところだからチャイムは鳴らさないでと言われた。

 

サキコさんにとって、佐吉は初めて飼う動物である。サキコさんはこれから佐吉にいろんなことを教わるのだ。私が2匹の老猫からたくさんのことを教わったように。

たまにはやってもらいなさい。

年末から、灯油缶に差したオレンジ色の給油ポンプの電池が切れかかっていた。

 

「入」の方にスイッチをスライドさせても、うんともすんとも言わない。

 

ノズルごと持ち上げて何度か振り、再び「入」にするとジ〜ッと音がして、ようやく動き始める。

 

毎回、今日のところはどうか最後まで吸い上げてくれ、そう念じながら、タンクが満タンになってポンプが自動的に止まるのを待つ。

 

そんな風に騙し騙し使っていたら、年が明けて、気づいたらもう2月だ。

 

振るだけでこんなに持つとは。電池のポテンシャルを見直すばかりである。

 

とは言え毎度、振らないことには動いてくれないのだった。

 

頼むよ、もう夜更けだし、このまま動いてくれよと念じながら思いきりポンプを振ると、果たして動き出すという日々。

 

ふと、夫も同じことをしているはずだと気がついた。

 

彼も振っているのだろうか。いや、振っているに違いない。振らないことには動かないのだから。

 

夫が補充している時に完全に切れてくれ。

 

オレンジ色の給油ポンプに頼んでみる。

 

頼んだところで、どうせ私の時に止まるのだろうね、君は。きっとそうだろう。みんなそうだ。みんな私にやってもらいたがる。食器棚の蝶番が外れるのも、トイレのドアのワッシャーが擦り減って開閉が出来なくなるのも、選ばれるのはいつも私だ。

 

給油ポンプの置き場所は納戸と決まっている。

 

納戸は寒すぎる。結局その日も最後まで電池がもった。寒くて、取り替え場所や電池のサイズを確認しておく気にもなれない。確かめるのはいよいよ止まってしまった時にしよう。

 

あるいは、次の機会に「入」スイッチを入れた時、もしかしたら軽快に灯油を吸い込むかもしれない。

 

そうしたらそれは、夫が取り替えてくれたということになる。

 

ポンプよ、楽しみだね。次こそお父さんにやってもらうんだよ。

 

毎回、そう声をかけた。

 

この前の金曜日も、夜更けにリビングの石油ストーブに給油サインが出た。納戸に渋々向かう。

 

とうとうピクリとも動かなくなった。今度という今度はいくら振ってもダメだった。

 

それでようやく電池を交換した。交換口はスイッチの真裏にあった。

 

ところが、電池を変えてもポンプは動かなかった。

 

電池を疑い、何本か取り替えて試したものの、動かない。

 

結局その日は諦めて、別の部屋からファンヒーターを引きずってきて使った。

 

土曜の朝、夫に給油ポンプが壊れたようだから買いに行くと伝えると、

 

「ああ、とうとう壊れたか。随分前から接触不良だったからね。」

 

と言った。

 

どうして電池が切れたと思わなかったのか聞いたところ、答えが返ってきた。

しかし、テレビの音で聞き取れなかったので、ふーん、そうなんだと言って、静かにリビングのドアを閉め、ホームセンターに向かった。

 

ホームセンターにはさまざまな給油ポンプが並んでいた。手動のものから高機能な電動のものまであったけれど、前と同じつくりで、少しゴツゴツとしたデザインの、今度は青色の給油ポンプにした。

 

青色の給油ポンプは、電池を入れるとやる気いっぱいな雰囲気をみなぎらせた。

灯油缶に突っ込んでスイッチを入れると、音を立てて美味しそうに灯油を飲み始めた。

私もビールが飲みたくなった。

 

オレンジ色のポンプが動かなくなったのは、やる気の問題だったかもしれない。

次はお父さんにやってもらいなさい、などと言ってないで、もっと応援するべきだった。

 

教訓。切れかけた電池はそこまで持たない。

きな粉餅の日々

 

7年くらい前だったか、プランターにサラダ菜の種を蒔いたことがあった。

 

種は数日のうちに芽を出した。

 

その小さな芽が毎朝、うっかりすると見逃してしまうくらい少しずつだけれど、背を伸ばす。

 

その成長を見るのがとても楽しみだった。

 

朝一番に水をやりに行き、わあ、また大きくなったね、すごいねと話しかけた。

 

登校時間が刻々とせまっているのにちっとも起きてこない14才の息子の部屋の扉を開ける時、その頃のことを思い出す。

 

むっくりと起き上がる姿が昨日よりも大きい、気がする。

 

このところ面白いくらいに毎日成長している、気がする。

 

わあ、また大きくなったね、すごいね、と話しかけたい。

 

が、目が覚めたらすぐに、「出てって」と不機嫌な声で言われる。

 

全身麻酔でも施さない限り、サラダ菜みたいに優雅に観賞するなんてできっこない。

 

やれやれと扉を閉める毎日だ。

 

お腹が弱くてすぐ下痢になるのに、3食では足りず、毎日4食食べる。

 

おやつも健在だ。今日のおやつは何?と、帰宅するなり聞いてくるのは小学生の頃からまるで変わらない。

 

…お菓子って意外に家計を圧迫するんだな。

甘党の夫が週の半分リモートになってから実感した。

 

パンパンに膨らんだ袋菓子のパッケージは、心細くなるほど軽く、何かの間違いかと思うほど中身が少ない。

 

色々買って棚に入れておいても瞬く間になくなっていく。

 

あまりにも忽然と消えたような時は、大抵2人の机の平たい引き出しの中にしまいこまれている。

 

手作りは手間だし、日持ちがしないし、案外高くつく。何か良い策はないものか。

 

そんなことを心の片隅に置いて日々を過ごしていたら、たまたま見たテレビ番組でやっていた。

 

「好きなお餅の食べ方アンケート」

 

「きなこ餅」が1位だった。

 

夫と私は納得がいかない。

きなこ餅は全然悪くない。でも磯部焼きでしょ、雑煮でしょ、それからそれから…きな粉餅は番外編で賞が取れるやつだよねえ。

 

「きなこ餅、食べたことないんだけど」

 

珍しく一緒に見ていた息子の言葉に、2人同時に驚く。

 

うそ、食べたことあるでしょ、ほら、実家行った時にさ、ばあちゃんがさ…言いかけて、その時の様子をありありと思い出した。

 

その時の息子は、椅子の背もたれにも届かない背の高さだった。

 

そうか、記憶に残っていないほど幼い頃から食べていないのか。

 

そのあと、いやいや、幼稚園の餅つき大会でお相撲さんと食べたよね?学校の給食で一度出てきたよね?などの反論も浮かんだけれど、ともあれ、家では一度も食べていない。

 

そうか、きな粉餅か。

 

昨年はロールキャベツを食べたことがないと言われた。

 

ロールキャベツは工程が多いし、キャベツの葉が破れないように柔らかくするのに神経を使うので、息子が生まれてからは一度も作っていなかった。

 

うちのオカンはロールキャベツとかそーゆーの全然作れなくてさ、え?そうなんだ、じゃ、今度私が作ってあげる…などと会話を交わしている息子と、今のところ空想上の生き物である息子の彼女が話している光景がありありと浮かんだ。

 

自分で妄想しておきながら心外に思った私は、彼の記憶に刻みつけるために週に何度もロールキャベツを作ったことがあった。

 

そうか、次はきな粉餅か。

 

きな粉餅は簡単だ。これは食べさせておく必要がある。そう思い、早速きな粉を買ってきた。

 

しかし一体、きな粉餅っていつ食べるのが良いのだろう。

 

おやつは華のあるものが喜ばれる。例えばキレイな袋にパッケージされたワッフルとか、ドーナツとか。

 

きなこ餅をせっかく用意した挙句、はぁ?という反応は嫌だ。

 

それで、今日のおやつ何?と聞かれた時に、「棚に入ってるお菓子か、テーブルの菓子パンか…きな粉餅」と、地味めなおやつのラインナップの最後に、小さい声で付け加えた。

 

間髪入れず、きな粉餅をリクエストされた。

 

パック入りのお餅をレンジで温め、水にサッと浸して、砂糖をまぶしたきな粉をからめる。

 

父親に似て甘党の息子は、最後に皿に残ったきな粉までチマチマと手にくっつけて平らげた。感想はなかったが、翌日もリクエストされた。

 

リモートの夫にも出したところ、驚くほど美味しい、これは1位だよと言う。余っていた黒蜜もかけたので、甘さが倍増していたところが甘党の彼の心をくすぐったのだろう。

 

私も一つ食べてみた。

 

きな粉は言わば贖罪、炭水化物に砂糖をまぶして黒蜜を垂らした食べ物は、ただただ悪魔的な美味しさだった。トロトロと柔らかく口に馴染んで溶ける。

 

ひとつ食べただけでも、カロリーの分だけお腹いっぱいになる。

 

中年には危険、しかし成長期にはうってつけだ。

 

腹持ちが良く素材もシンプル、経済的で家計にやさしく、しかも簡単に用意できるのもありがたい。当面は作ってやり、頃合いを見てセルフサービスにしよう。

 

夫が「もうないの?」とキッチンに来た。

「ないない、とっくにない」と言いながら、息子の皿にこっそり追加する。

夫に対する優しさであるのと同時に、息子に対する母ゴコロでもある。

 

ともあれ、最近の我が家はすっかりきな粉餅の日々なのだった。