ここ数年、あまりにも頻繁に動物病院に通っているonoesanこと私は、もはやすっかり常連気取り、新顔の患者さんには先輩風を吹かしている。
ケージを2つ持った人が来院したらすかさずドアを開けに行き、撫でてもらいたそうな犬がいたら、いそいそと隣に移動して全身を撫でまわす。
先生もスタッフの女性たちも、そんな余計なお世話を満足げに撒き散らす私を、変わらず冷めた目で見守ってくれている。
その日、待合室を見渡したものの手を貸せそうな目ぼしい相手が見つからなかった。それで、お気に入りの、全体がよく見渡せる席に座った。
しばらくして入口のドアから女性が入ってきた。艶のある茶色の髪を後ろでアップにし、白いニットのワンピースにスニーカーを合わせている。
30代後半くらいだろうか、カジュアルな雰囲気にまとめているが、細部に渡ってまったく隙がない。特に髪の毛の美しさときたらなかった。
髪には生活の疲れが出るし、場所柄、私も含めて家着の延長のような服装の人が多い。そのなかにあって、彼女は異彩を放っていた。
引っ越してきて約10年、私の住むこの地域は格差が大きく、場所によっては、いわゆる富裕層が多く住んでいる。
彼らの居住する邸宅を囲む、堅牢そうな門や高い塀こそすっかり見慣れているものの、中に住んでいる人を拝む機会はほとんどない。
しかし通っている動物病院では、ほんの時々、ひょっとしたらあの中に住んでいるのではないかと思われる人たちに遭遇することがある。
せちがらい日々をケチケチと、ささやかな贅沢を糧に生きている我々の中にあって、圧倒的な余裕を漂わせて生きる人々。
一昨年の夏、ここで会った人たちもそうだった。20代の、兄妹とおぼしき男女と60代の父親らしき人物が、2匹のパグ犬を連れて入ってきた。
夏休み直前の平日の午前中、そこにいたのは珍しく私1人だったこともあり、待合室は完全にその親子のためのスペースと化した。
チャーターしたプライベートジェットで別荘に向かう前に、ふと思い立ち、連れて行くパグ犬の健康チェックをしてもらいに立ち寄った。
悪気は一切なく、彼らは当たり前に私の存在を忘れて、実にのびのびと会話を楽しんでいたため、来院した事情が大体わかってしまったのだった。
湿気の残る暑い日だったし、公共機関で移動するわけでもない。ポロシャツにハーフパンツ、ワンピースにサンダルと、ラフな身なりだった。
しかし、いくらラフな身なりをしていようと、生まれた時からふんだんにお金をかけて生活してきた人たちのオーラは消すことができない。
父親はさておき、子供達は間違いなく生まれつきのお金持ちだった。この人たちは今朝、何を食べてきたんだろう。そんなことを思ったのだった。
その日、私の少し後に入ってきたくだんの女性もまた、私の生活圏ではあまり見かけない雰囲気を漂わせていた。
この人には話しかけられない。もしもこの女性が1人きりで入ってきたなら、きっとそう思って、それで終わっていた。
しかしその女性の肩には丈夫そうな抱っこ紐が装着されており、中には、最高の質感の肌を持つ生き物、赤ちゃんがスヤスヤと眠っていた。
さらに、右手にはラタンのケージを持っていた。ケージの下に敷かれた柔らかそうなクッションの上で、茶トラの猫が目をまんまるにしている。
もはやおせっかいが体に染み付いた私は、ほとんど反射的に手を伸ばして、ケージを受けとるサインを出した。
女性はまったく驚く様子もなく、ごく当たり前のことのようにケージを預けた。それから笑顔で目を合わせ、浅いけれど丁寧におじぎをした。
ケージを椅子に置き、その椅子を挟んで隣同士に座った。座る前に横切った窓ガラスに、一瞬自分の姿が映った。
生活感いっぱいの、疲れた自分の姿に一気に卑屈な気持ちになってしまった。それきりとても目を上げて彼女の方を向く気になれなかった。
ケージの中の猫に「可愛いね」とお決まりの言葉で話しかけ、それでおしまいとでも合図するように、鞄に入れた読みかけの本をガサゴソと探った。すると、
「この子、保護猫なんです」
彼女はそう言ってケージの中の猫を見つめた。
言葉を待っていると、
「いつもは主人が連れてくるんですけど仕事で出かけてしまって。無理しなくても良いって言われたんですけど気になるのでタクシーに乗って連れて来たんです」
そう続けた。
リッチピープルと保護猫。ミスマッチな組み合わせに思えるのは勝手な思い込みだ。でも、赤ちゃんと猫をたった1人で連れてくるというのも意外だった。まあタクシーだけれど。でも。
顔を上げると、今度は正面の壁に設置された鏡に自分の顔が映った。先ほど卑屈に見えた自分の顔がすっかり、家政婦は見た!の市原悦子みたいな顔になっていたのだった。