ゆるんで、たるんで。

私の中でチビデブおばさんが生まれたのは、年が明けて間もない、1月のことだった。

とうとう、この日が来たという話。 - onoesanとなんやかんや。

 

月日は瞬く間に流れて、とうとう、年の瀬を迎えてしまった。

 

暑い夏の日々、体重計に乗ることすらサボって怠けまくっていた私を尻目に、彼女は水面下で着々と領土を拡大していった。

 

秋の到来を感じる頃になってようやく、遅まきながらコトの深刻さに気づいたのだった。

 

このまま大人しく彼女の軍門に下るわけにいかない、なぜなら私はまだここにこうして存在しているのだから。

その思いが体の底から湧き上がり、先月から猛然と反撃を開始した。

そういう流れであった。

 

しかし、走れども走れども痩せない。筋トレしても痩せない。若い頃より食べる量を減らしているのにまったく痩せない。

 

もう何をしても痩せる気がしない。

 

私の体は石になってしまったのだろうか。

 

完全に手詰まりとなり、深い、闇のような絶望感に襲われた。しかし諦めたら最後である。何とか考えを巡らせ、時間で管理するという作戦を思いついて実践したのだった。

※時間で管理…1日を3交代制にして食物の摂取タイムを8時間に限定する作戦。私は昼12〜夜8時に設定した。(発想過程は違うものの、やり方はリーゲインズとかオートファジーとか、きちんとした名称の付いているダイエット方法と一緒だということをブクマ他で教えて頂きました。ありがとうございます!!)

 

その作戦を実行したところ、それがプチ断食スタイルであったことから、プチ悟り症状が起きてしまった。

 

感謝が止まらない。止まらないというより爆走を始めた。

 

店で服を買う。

 

すると、その服をデザインした人、縫製した人、タグを付けた人、店舗に搬入した人、平棚に並べた人、店頭で販売した人などなど、考えてみれば膨大な人たちの力によって、今、私はこの服を着ることができている。

その人たちのことを考えているうちに胸がいっぱいになる。

 

なんてありがたいんだろう。合掌。

 

目に映るすべてのものに深い感謝を感じずにはいられなくなった。万物礼賛。日々、心が感謝でいっぱいになり、しみじみしているうちに時がたち、夜になる。そんな毎日。

 

悟りをひらいてしまったことは誰にも言わなかったけれど、悟りのオーラは出てしまっていたのかもしれない。

 

人は、悟りをひらいた人に何かを施したい、もしくは何か食べさせてあげたい…どうやらそう思うようだった。そうでなければ、彼らは実際、チビデブおばさんの放った刺客だったのかもしれない。

 

コストコで買い過ぎた、大根が採れ過ぎた、銀杏をたくさん拾った、みかんが大量に送られて来た、オープンセール大特価だったからお裾分けだよ…さまざまな理由で、あとからあとから私の元に知り合いから食べ物が届けられた。

 

そうしてある夜、とうとう日本酒がやって来て、それにより私のブッダな日々が終わった。

 

箱パックの黄桜のドンを、大切に大切に飲んでいるのが日常の私は、一升瓶に完全に目が眩んでしまった。

 

先日頂いた銀杏を煎り、ハンマーでカチカチと割る。エメラルドグリーンの艶々と光る実を4つずつ楊枝に刺して塩を振った。時すでに23時。

 

やめたやめた。「20時以降は食べないことにしていますから」なんて、私はいつからそんなつまらない人間に成り下がってしまったのか。考えてみれば美味しい頂きものをくださった先方にとても失礼な話じゃないか。

 

そうしてその日から毎晩、いそいそと銀杏を煎り、久しぶりの久保田をうっとりと味わった。

 

数日後、一升瓶が空になった頃にはすっかり還俗していたのだった。

 

現在。

 

私がチビデブおばさんでチビデブおばさんが私で。

 

という状況である。

 

もはや私もチビデブおばさんも存在しない。

なぜなら2人はひとつになったから。

 

平和的共存という出口に私たちは立ち、そして融合した。勝利も敗北もない世界観。

 

心ならずも盛り上がった闘争と悟りの日々の中で気づいたことがある。チビデブおばさんの存在理由だ。

 

彼女が私の中に誕生したこの1年で、私は顕著に正義感が強く、図々しく、細かいことが気にならなくなった(詳細はチビデブおばさんの軌跡カテゴリー)。

 

これまで、この性格は元の私とは相容れないものだと思っていた。

けれど最近、どうやら反抗期のムスコに対峙するにはこのくらいが丁度良いということがわかってきた。いちいち傷つき凹んでいると子供が育たない。

 

また、心身ともにいよいよ老化一直線。何事につけ、気にし過ぎるのが1番いけない。

 

それからこんなこともあった。

先日、家族そろって体調を崩した。

リクエストにより、ひたすら湯気の立つ料理を作るはめになった。おかゆを炊いたりウドンを煮込んだり、である。

 

この手の料理を食べる時というのは体が弱っている時である。そんな料理を作る時に絵になるのは、ある程度の、なんというか余裕のある体つきではないだろうか。

弱っている人間が食べるモノであるからこそ、パワーをお裾分けできるくらいの雰囲気が望ましい。

 

また、自分自身が体調を崩して食べられない時にも備えあれば憂いなし。復旧力が衰えているのだから、備蓄に力を入れることはとても大事である。

 

若い頃と違い、有事の際の瞬発力や適応力がない。別の形でエネルギーを温存し、余力を保ちたい。

 

そんなわけで中高年は、どちらかと言えば、痩せていくよりは太っていく方が健康へのチャンスがある。

腹囲さえキープ出来たら体重増加はむしろ喜ばしいことなのだった。

 

運動が日常に定着した結果、若い頃のプラス2キロくらいで落ち着いている。

 

もうこれでいい。

 

ゆるんでたるんで、若い頃より体重は増えたままだけれど、どうやらこれが現在の私のベスト体重なのだろう。

 

2キロの増量分は、加齢と共にほんの少しだけ広がった知見、それによって得た優しさとか、諦めた分だけ得た余力などが詰まった、必然の結果かもしれない。

 

なんやかんやで年末。私はこうしてチビデブおばさんのライフスタンスを認め、助け合って共に生きていくことにしたのだった。

断食で食い意地とサヨウナラ

食い意地が張っていたのは昔からだった。


朝は食欲がないの…と呟きそうな、竹久夢二の描く細身で雰囲気のある女性に憧れていた。


そんな私が、朝ごはんを食べないという取り組みを始めて半月余りが過ぎた。


きっかけはチビデブおばさん。


なんとか痩せて、彼女におなかから出て行ってもらいたい。体重計にはいつだって、慣れ親しんだ数字を表示してもらいたい。


試行錯誤を繰り返す中で、自分は"一度食べ始めたら最後、腹八分目に抑える理性を持っていない"という事実に遅まきながら気がついた。


それくらいなら、明確に時間で区切った方がうまくコントロールできるのではないだろうか。


摂取→消化吸収→排出の3ステップだから、1日を3分割して、公平に8時間ごとのお当番制にしてみたらどうだろう。


摂取12時〜20時、消化吸収20時〜4時、排出4時〜12時。基本的にこの枠に収まるように生活する。排出タイムの午前中は、具なし汁物を含めた水分のみ。摂取時間は制約一切ナシ。


そう考えた。


自分で考えたはずが、結果的に、前から興味はあったものの自分には到底無理だと思っていた"朝断食"っぽくなったのだった。


最初の3日間は不安で仕方なかった。


ー今もしも突然死んでしまったら、心残りで成仏できないのではないだろうか。


ーおなかが空き過ぎて、道端でフラついて倒れてしまわないだろうか。


ー人と話す時、空腹のあまり失礼な態度をとってしまわないだろうか。


そんな思いが頭を駆け巡り、タイムリミットの20時ギリギリまで食べまくる。


空腹に耐えて昼の12時を迎えると、解禁だとばかりに血糖値などおかまいなしに食べまくる。


その後も夜の8時までスキあらば食べまくる。


そんな生活を送ること3日間。


体重は全く変わらなかった。


当たり前だ。8時間でいつも以上に食べていたのだから逆に太ってもおかしくなかった。


でもその時は途方に暮れた。


ー(プチ)断食までして痩せられないなんて。一体どうしたらいいんだろう。


それでも続けていたところ、1週間を過ぎたあたりから、体重を減らすことしか頭になかった私にとって、思いもよらない変化が起き始めた。


ー頭がスッキリとしている。


空腹を感じながらも、頭はなんというか、いつもより澄んでいる感じ。脳のスペースに余裕があるというか冷静でいられるというか。


ー味覚が鋭くなる。


舌の上で、味の粒がプチプチと割れ、そこから深い味わいが滲み出てくるような感覚。
いつもの食事が謎にランクアップし、米の一粒一粒がなぜか美味しい。
味わって食べるせいか、前より少ない量で満足できるようになった。


ー気持ちに余裕が生まれる。


体も問題なく元気なのだから、そんなに慌てて食べなくても大丈夫だと思えるようになった。
その結果、食べて良い時間が来てもドカ食いをしなくなった。

食に振り回されない、自己コントロールできているという感じが自信となり、結果として、漠然とした不安感が減るのと同時に気持ちの安定にもつながった。


そんないくつかの変化があった。


加えて深い気づきがあった。


今、自分の家でゆっくり食事が摂れることのありがたさ、


そもそも食べないでみる、などということを試みられる状況、


私の大切な飼い猫と同じ、私や息子とも同じ、かけがえのない命を食べているという事実の重さ、


まさに今この時、食事の叶わない人がいる。お腹を空かせた子供達が大勢いる。そういう現実があるのに何もしていない自分。


そうした、いつも頭に浮かんでいることがいつも以上に深く感じられて、グサグサと刺さるようにストレートに腑に落ちてきた。


ほんの2週間あまり、しかも午前中に食べることをやめただけ。それだけなのに一体どうしてこんな感情が湧き起こるんだろう。


不思議に思った。そして気づいた。


断食と言えば宗教じゃないか。


さまざまな宗教で断食行為が取り入れられているのって、こういう気づきを体感で得られるからなのかも。


生きるための、最も根源的な欲求のひとつである食を断つという行為によって、食への感謝、ひいては弱者を労る気持ちや自分の行いを律する気持ちなどを鮮明にする。


もともと食い意地が張っている分、心に大きく影響したのかも。なんちゃってプチ断食でこんなに変化を感じるのなら本格的な断食をしたら悟っちゃうのでは!?


育ち盛りや働き盛りなど、別のタイミングでやっていたら、食い意地がかえってひどくなり健康も損なったかもしれない。


このタイミングで思いついて良かった。これからもゆる〜く、上手に続けていきたい。チビデブおばさんに感謝である。


そんなこんなで体重は少し減ったのだった。


おなかのなかにはなにがある

子育て啓発ダイエット。


"啓発"は自己啓発のことだけれど、"啓発"だけの方が語呂が良いのでそうしている。


この3ジャンルは、本屋さんに行くと、星の数ほどのハウツー本が棚を占拠し、うずたかく平積みされている、と私が信じているBIG3


共通しているのは、


新刊本には事欠かない。


わかりやすい流行がある。


真っ向からバチバチに対立する、正反対のノウハウ、説を提唱する本がある。


一流大学、教授をはじめとする、箔のある権威の名前が表紙や帯を飾っていることが多い。


このことが何を意味するのか。


正解はひとつじゃない、ということを意味するのだろうなと思っている。


人間は1人1人違うのだから、万人に効くやり方なんて存在しません。


そういうことでしょうよ、と。


子育てにしろダイエットにしろ、その道のプロや研究者である著者の皆さんが「こうするといいよ〜」と教えてくれるアドバイスを享受しながら、やはり作戦は自分で立てなければならない。


大丈夫。たとえうまくいかなくても、そのたびに試行錯誤していけば良いのだから。


というわけで、前置きが長くなりましたが、ただ今私は、おなかの中で威張り散らかしているチビデブおばさんを追い出すための試行錯誤を繰り返している。


太めのおばさんがおなかの中に入ってしまった場合について書かれたダイエット本はなく、完全に手探り状態で進めている。


そもそも


摂取→消化吸収→(要らないゴミを)排出


の3ステップを日々こなしている私。


この工程を工場に例えると、


搬入→作業及び製品化→(要らないゴミを)廃棄


といった感じでしょうか。


これでいくと、工場の搬入口のシャッターが人間の"口"ということになる。


口にモノを入れた後は、"おなか"が言わばオートで動いてくれている。


シャッターを開け、適当に持ってきた部品を搬入さえすれば


「あとは現場がなんとかしてくれるでしょ!」


と、捨て台詞を残して引きあげたとしても搬入は搬入。


一方で、搬入後の現場、工場はその時どんな感じなのだろうか。


やみくもに搬入されたあげく、すべての後始末を押し付けてられて怒り爆発、ということにはなってないだろうか。


「搬入がテキトー過ぎてやってられない」


なんといっても本体と同様、現場の作業員たちも高齢化を迎えているのだ。


作業量も作業内容も負荷が大き過ぎる。


飛び込みで不意にやって来る想定外の案件も多過ぎる。気が休まらないし作業に集中できない。


不平不満が募っている。


そうして、いよいよ重過ぎる空気が現場に漂い始めた頃合いで、"彼女"は姿を現したのではないだろうか。


ーチビデブおばさん。


物陰から遠巻きにじっと工場の様子を窺っていた。


最初は少しだけ視線を合わせ、かすかに微笑む。


そのうち、皆の警戒心が薄れてきたタイミングで内部に侵入。
休憩室に入り込み、勝手に茶を入れている。


疲れて休憩所に入ってくる作業員にお茶を出し、さりげなく隣に座って、訳知り顔で愚痴を聞く。


「…わかるわよ」


「…キツいわよね」


などと沁みるセリフを深い相槌とともに返し、最後にポツリと囁く。


「もうやめちゃったら?」


「アンタたちばっかりマジメに働いてるの、私、もう見てられないのよ」


そうして、こう言ったに違いない。


「あそこに積んどきゃいいのよ」


「空いてる場所があるじゃない。あそこに詰め込んどきゃいいのよ。場所がなくなったらね、無理やり押し込んでごらん。広がるのよココ。そういう風に出来てんのよ」


疲れた作業員たちは、最初こそ真面目に、


「そりゃいくらなんでもマズイだろう」


「そんなのすぐにバレるに決まってるよ」


などとざわついていたが、何しろ体がしんどい。


そのうちまんまとチビデブおばさんの企みに乗って仕事をサボりだす。


未許可のバックヤードは広がり続け、もはや最初の広さがどのくらいだったのか誰にもわからない。


この時バックヤードにされている空間こそが、下っ腹とお尻である。そこばかりが集中して太っていく原因はまさにそういうことであった。


そう気づいて以来、私は彼らに「おなかまわり及びお尻の下に空きスペースはありません」ということを断固として伝える活動を始めている。


目下、背中とおなかの一本化に腐心している。本来ここは体幹。固い絆でギュッと一致団結した、太くてしなやかな一本の幹であって欲しい。


ここに在庫を保管してはいけない、ここをバックヤードとして使うのは厳禁であるということを、おなかとお尻に全力で圧をかけて知らしめている。


ギュウッと凹ませて、スペースがないことを繰り返しアピール。


同時に"筋肉"という壁を作る。厚く、硬い壁にして、簡単には広がらないようにしたらどうだろうか。


腹筋背筋ヒップアップ。トレーニングによって硬くすればバックヤードに使えなくなるはずである。


そんなわけで最近やたらと姿勢良く歩いている私。


だがその一方で、頂き物のティラミスを工場に搬入する手が止まらない。


これではいずれストライキが起きるのは確実だろう。


彼らの心を取り戻し、工場のニコニコ経営に向けて、メスを入れるべきはやはり搬入なのだよね。


20年ごとの走り込み。

「なんだこれは。みんなが私を応援している…」


初めて浴びる謎の歓声に、若干の戸惑いと溢れる喜びを胸に抱えて、11才の私は歯を食いしばって懸命にトラックを走った。


小学5年生の夏休み直前のことである。


市の陸上競技会の800メートル走に出場する選手を決めるため、放課後、出席番号順に5人ずつトラックを走らされた。


800メートルはトラック4周。ありえないくらいキツい。どんなに手足をバタつかせてもまるで前に進めなかった平泳ぎよりも嫌いな種目だった。


早く終わらせたい一心だった私は、しょっぱなからフルスロットル、5人グループのトップに躍り出た。


カッコいいトップじゃない。とにかくこの地獄を一刻も早く終わらせるためだけに必死で走った。


でも、あまりにもツラい。トラックを一周しただけであっけなく「もう限界だ…」と思った。ここはもうスピードダウンするしかないな…。


「あれ?右足にちょっと違和感あるかも…」みたいな顔をして最後尾にくだり、ゆっくりと走ることにしよう。


そんな姑息なことを考え始めたちょうどその時。


少年野球をやっていた1学年上の男の子たちが、練習をしにグラウンドにやってきた。


野球少年たちは、当時(私の中で)かなりカッコいい集団だった。


彼らの存在を確認するなり、別人のように復活した私は一転、颯爽とスピードアップした。


すると、


「おお!長島(仮名)速いじゃん!!すげ!」


長島(仮名)は私の姓である。いきなり心の準備もなく名前を出された。


そればかりか、男の子たちはこぞって、


「長島!あと少しだ!行けるぞ!その調子!!」


「イケるイケる!!長島負けんなー!」


などと全員で私の名前を連呼し、応援を始めた。


自分がこんなに有名でモテるということを、その時までこれっぽっちも知らなかった私はとても驚いた。


驚いたが、とにかくこの男の子たちの熱い気持ちを裏切ってはならないと、足がもつれそうになるほど必死で走った。40年経った今でも、あの苦しさは本当に忘れられない。初めてのファンの期待を裏切るわけにはいかなかったのだ。


結果、2位の子と僅差で勝利した。


ゴールした瞬間、歓喜で沸くはずの男の子たちは一様にガッカリとした様子になった。その時初めて、応援されていたのは私との競り合いに僅差で敗れた、私と同じ苗字のケイコちゃんの方であったことを知った。


それを知ったのとほぼ同時に、先生に肩を叩かれた。


「おまえがこんなに頑張ってるとこ、先生初めて見たぞ。たいしたもんだ!感動しちゃったよ!」


先生を感動させた私は、長距離の代表選手に選ばれ、夏休みの間中、地獄の特訓に苦しむ日々を送ったのだった。


ただの勘違いで発揮した馬鹿力なので、それ以降は良いタイムなど出るわけがない。


当然やる気も素質もなく、辛い夏休みの記憶だけが残った。そうして、その夏以降は"走る"という行為とは完全に決別し、走らない平和な日々を送っていた。


ところが突如また走る羽目になったのは、嫁に行き遅れた30才を過ぎてからのことである。


当時の結婚適齢期である27才前後、ちょうど姉に子供が生まれて同居することになった。


私はその姪のことを、当時付き合っていた彼の、軽く数万倍愛してしまった。


姪といる時間が何よりも至福、週末は様々な口実をつけて彼との約束を断り、姪のお世話に明け暮れた。


そうしているうちに当たり前に破局


むしろ姪に没頭できることになり、何の危機感も持たずに幸せに生活している私に対する家族、特に母と祖母の苦悩と焦燥は、日を追うごとに増していった。


マッチングアプリなどもない時代、当時、田舎の職場にも、その界隈にも、恋愛が生まれる要素はこれっぽっちもなかった。


そんな頃、友人のツテで今の主人と知り合った。


正直に言って、打算は、働いた。この人ならば母が納得するだろう。とにかく一度嫁に行きさえすれば、とりあえず納得するはず。安心したら最後、そのあとはどうなろうと良い。離婚、という手もある。


そんな、打算のカタマリと化した私は、めでたくお付き合いまでコトを進めた。


そこでネックになったのが彼の趣味だった。


生粋のオタクの姉が支配する環境で育った私はそこそこのオタク。なのに彼の趣味はスポーツとスポーツ観戦だった。


ある日、ジョギングに誘われた。


ここで断ったらこのお付き合いも終わりだ。私の直感がそう告げている。ここで終わるとまた振り出しに戻る。振り出しは"出会い"。そんなところまで戻ってやり直すなんて考えただけで途方に暮れて倒れてしまいそう…。


走ろう。それしかない。


かくして再び走ることになったのだった。


走り始めた最初の頃は、50メートルも走れば脇腹が痛くなり、もう1メートルも進めません…という状況だった。


これでは振り出しの"出会い"に戻ってしまう。いやだいやだ、せっかく7マスくらい進んだのだ。戻るのはゴメンだ。


そう思った私は、1人、自主練に取り組んだ。
仕事終わりに毎晩走った。


走り始めて割とすぐ、体に変化が起きた。


体の表面、特に太ももが痒くてたまらなくなる。


ずっと使っていなかった、表面を這う毛細血管に血が通い始めたらしい。ムズムズソワソワする。


それから肺。こちらも、今までの容量では足りないと体が認識したらしく、深呼吸をするごとに、まるで肺が大きくなっていくような、そんな感覚を覚えた。


気づいたら、1人で走ることに何とも言えない爽快感を感じるようになっていた。


月200キロを超えて走り込むようになった頃には結婚を手に入れていた。


当時、病に臥せっていた祖母に結婚を報告すると、


「待てば海路の日和あり」


と一言言い、寝ている目からは涙が一筋こぼれた。


大義は果たした。そう思った。


結婚し、国内のハーフマラソンにいくつか参加した後、マウイ島のフルマラソンに参加した。


フルマラソンはさすがにキツく、終わった瞬間に満足した。「完」の文字が頭に浮かんだ。そこからは食べて食べて、とにかく食べまくった。


そうして、走る体型じゃなくなった。


あれから20年。


50才を過ぎ、今回、チビデブおばさんを追い出すため、再び真面目に走り始めた。


最初の数週間は、20年前と違って、走ってもただただ疲れるだけ、顔がやつれるだけだった。


しかし、諦めた頃に再びあの感覚が訪れた。太ももの表面が痒くなり、肺が深呼吸を求めてくる、あの感覚。


体がやっとこさ、目覚めてくれたのかもしれない。


その感覚を得た頃から徐々にまた、走ることで爽快感を得られるようになった。


1時間捻出できたら、10キロ弱程度を走るニコニコペースで続けている。


20年前と違い、今は走れることがありがたい。


腰痛、膝痛、神経痛がいつ襲ってくるか分からない。50才を越えた身体はデリケートなのだ。


過去2回の走り込みの頃とは違い、今回は走れる喜びと感謝がある。


ただ。


体重が減らない。敵は見かけ通りのしぶとさを見せている。


これ以上重い体のまま調子に乗って走り続けたら、体のどこかしらが悲鳴をあげるのは時間の問題だ。


やはり先ずはアイツを追い出さなければ。


このまま楽しい年末に突入してしまったら、来年の正月には新生チビデブおばさんが誕生しており、その時すでに私はいないだろう。


チビデブおばさんの笑い声が脳内にこだまして、焦りがつのる今日この頃なのだった。


13点て。

これも少し前のことになるのだけれど、色々あがいているのに全然痩せない日々が続いていた。


明らかに痩せにくくなっている。これから馬肥ゆる秋まっさかりだというのにどうしたものだろう。


この悩みを持つ人は私だけではない。


雑記ブログを書かれている方の過去記事をさかのぼってみれば、体感にして7割強の人の記事に一度は登場する「痩せたい」「運動しなければ」のフレーズ。加えて「頑張るぞ」「本気で取り組まねば」宣言。


そう。私だけではない。


が、この話は、記事にすることで何らかの満足感を得られてしまうのだろうか。お忙しいということも当然あると思うし、他にも書きたい話題がたくさんおありなのだと思う。


話題は他にうつり、その後どうされたのか、瘦せたのか、痩せなかったのかが待てど暮らせど明らかにならない。


私は、食欲の秋、皆さまの体重がその後どのように推移されているのか、とても気になっています。


そんな中、たまたま「本日の過去記事のイッキ読み!ターゲットはこの方!」と、私に勝手に選ばれてしまったちこくみ (id:hikariuri) さん。


まさに私が現在進行形で抱えている悩みが、7月にアップされた記事にそのまま書かれており、丁寧な文章で経過報告が綴られ、その後めでたく成果を挙げられたという報告記事まできっちり登場する。


すばらしい。高らかなダイエット勝利宣言。しかもお医者様からのお墨付きまで。スマホをいったん置いて拍手したことは言うまでもありません。


その、勝者ちこくみさんのブログで紹介されていたのが「あすけん」さんのレコーディングダイエットアプリである。


これまで"食べたものを入力する"アプリは、どれほどインストールすることを期待する雰囲気が漂っていようと、敬遠する態度を崩さなかった。


食べるたびに思い出してポチポチ入力するなんてズボラな私には絶対ムリだ。


加えて、食べる時は食べることに全力で集中したい。美味しさを、魂で噛み締めたい。栄養バランスを考えながら食べるくらいなら終日動き続けてカロリーを消費しよう、と。


しかし現状が現状。そんな我儘を言えるボディじゃない。


先駆者がいるのだ。やるしかない。


そう思い、意を決してアプリをインストールした。


どれどれ。


新鮮さもあり、軽快に食べたものを入力していった。


初めて入力した日、主観で言えば、まあまあ良い食生活だった。うん、はっきり言ってスキがない食生活。そのくらいの自信を持って「あすけん」の可愛いAIのお姉さんに報告した。


ところが1日の終わりにアプリのお姉さんに言い渡された点数は、なんということだろうか。100点中13点。


13点。


気立ての良さそうな愛らしい顔で辛口が過ぎる、っていうか何かの間違いじゃないの?


最初はお姉さんを疑った。


しかしどうやら、体重計の時と同様、間違った認識を持っていたのは私のようであった。機械たちに直球で現実を突きつけられた。


認めるほかなかった。


一家の台所を預かる立場にして、齢50を越えたベテランの域に入る主婦にして、自信過剰な劣等生主婦。


それが自分だ、認めよう。認めるしかない。


原因は一体何なんだよ…と半べそでダメ出しをされた箇所を確認すると、どうやら塩分と糖分とカロリーが多過ぎるのが問題らしかった。それとおそらくお姉さんは、アルコールを飲む人を嫌っている。


原因がわかったので、そこから1週間の間、食生活を気にかけながら苦手な入力作業を地道に続けた。すると、だんだんコツが掴めてきた。


ここをこうすると点数アップ、というのがぼんやりわかってくる。そして気づく。少しばかり甘めに入力をし、ビールを我慢すると70点台が出せることに。


気を良くして調子づいた私は、そのまま10日あまりポチポチと入力を続けた。自分にしては快挙である。


それにより、どういう食生活が理想なのかの全体像が、おぼろげながら見えてきた。


同時に、ここをこうすると高得点が取れるわけね…という必勝法も着実にモノにしていった。それにより、徐々にアプリ攻略モードになってしまい、気づけば「今日も高得点を狙った入力をして可愛いお姉さんに褒めてもらうぞ」という、完全に誤った方向に目的が向かってしまった。


お姉さんの顔色を窺って虚偽報告を重ねる日々。


これは違う。イマシテルコト、トテモマチガッテイマス。そう気づき、現在は入力をやめている。


でも。


10日間続けて入力したことは大変価値があった。やって良かったとつくづく思う。


自分の食生活の偏り具合がわかり、気を付けどころがわかった。これはとんでもなく大きかった。なんといっても初得点が13点なので学びも大きいのである。


自分が、ひいては家族が、こんなにダメダメな食生活をしていたとは思ってもみなかった。


しばらくお姉さんとは距離を置き、また忘れた頃に時々入力をして食生活をチェックしてもらおう。


記事にしてくれたちこくみさんとアプリを作って下さった開発者様には感謝の気持ちでいっぱいだ。



(…こんな使い方では開発されたあすけんさんには申し訳ありませんが、本当にとても良いアプリです。3Ⅾで体形を再現されたり、大抵の市販品は自動登録されていたり、工夫が満載です。ちこくみさん、勝手に引用させて頂きました。何か問題ありましたらご連絡くださいませ。)

ブリッジ出来ますか?

酷暑の夏。

エアコンの効いた室内で漫画ばかり読み呆けていた私に、チビデブおばさんがお灸を据えにやって来た。

onoesan.hatenablog.com


身の危険を感じて、それ以来、とりあえず毎日10000万歩以上は必ず歩いている。


読書(漫画)三昧だった生活を考えたら痩せないわけがなかった。


しかし体重計の表示はピクリとも変わらない。


絶望感がヒタヒタと迫ってくる。


若い頃なら、そう、30代だったら、もうこの時点である程度の結果が出せているはずなのだ。


どうなってんの。


50代は漫画を読んでダラダラしていたら、新陳代謝が底の底まで落ちるらしい。


もしくは動かな過ぎたばかりに、体が「動物である」という事実を忘れかけている。そういうことかもしれない。


自分は動物なのだと体が思い出すまでの間、荒療治が必要なのかもしれない。


たとえどんなに遅くても、走った方が良いだろう。疾走して風の感触を感じることで、動ける素晴らしさを体に思い出させよう。


でも。歩くだけでも腰が痛い。走ったらますます悪化してしまう。


仕方ない。走るのは体重を少し落としてからだ。


そう考えていた。


でも、実際これでは埒があかなかった。体重が減らないからいつまで経っても走り出せないというジレンマ。


これはアレだ、腰を治すのが1番の課題だ。


それでストレッチを始めた。


ストレッチを始めたところ、とんでもなく体が硬くなっていることに気がついた。


そう言えば最近よく孫の手を使っている。なんて便利なんだろうと思っている。小さな頃、自分が孫の手を使うなんて想像も出来なかった。


ふと思った。


…ブリッジ、いつから出来なくなったんだっけ?


器械体操部だったため、大学生あたりまではトンボ返りや180度開脚などが造作なく出来た。


今そんなことを試したら間違いなく、確実に入院する。何やってんの、バカじゃないのと家族に罵られ、親族を泣かせてしまう顛末にもなりかねない。


でもブリッジはどうだろう。ここ十数年、やろうと思ったことすらない。


どれ試しにやってみるか、と体勢を整えてみた。寝転がって四肢に力を入れる。


「フンッ!」と鼻から変な音をさせながら高々と体を持ち上げようとした。


出来る気がまったくしないだけあって、やっぱりまるで出来なかった。腕も伸びないし、お腹も反らせない。


でもなぜかしつこく、天啓のように、ブリッジが出来ることは大事なことでは?という気がし始めた。


誰かの、「ブリッジ、やりなさい…あなた、ブリッジができるようになりなさい…」という声が聞こえてきた。誰だろう、頭の中で私に語りかけたのは。チビデブおばさんじゃないことは確かだ。


それで「ブリッジ 50代」で検索すると、出てくるのは軒並み「歯のブリッジ」。


50代になると歯がグラついてきがちなので、皆さん、歯のブリッジについて調べていらっしゃる。


私の探している方向性のブリッジの動画は2つしか出て来なかった。


ひとつはオジサンが一生懸命ブリッジのポーズに取り組んでいる動画。結局、頭がついたままの美しくないけど頑張っていることは伝わる画で終わっていた。少し励まされた。


それからトレーナーさんらしき若いお兄さんが、「ブリッジが出来ない人は肩こりや腰痛になりやすいから、頑張って出来るようになろうね!ニコッ」と、大変優しく語りかけてくれる動画。


こんな私にあまりにも優しい声で言ってくれたから、うっかり「うん、頑張るね」と約束してしまった。だってこんなに優しく話しかけられたの久しぶりなんだもの。


それで、歩き始めて10日くらい経ったあたりから、ブリッジを目標にしたストレッチにも取り組むようになったのだった。


それにしても気になる。


ブリッジが出来る人って日本人全体の何割くらいなんだろう。


10年前は出来ていたはずの主人も、今回やってみてもらったところ出来なくなっており、かなりショックを受けていた。


ムスコはこの2年間、サッカーで左右の鎖骨を続けざまに折っているため、いまだ肩まわりのストレッチは怖いそうで試してくれなかった。まあ、多分そんなこと関係なく彼はもともと出来ない。


いつかまた、ブリッジが出来る日が来るだろうか。


達成したらYouTubeにアップしてしまおうか。


今回の私と同じような志をもって検索する人がいたら、きっと、歯のブリッジ動画の中から私の動画を見つけ出し、勇気を出してくれるに違いない。


その人のために頑張ってみよう。そう思っている。


サイレント・チビデブおばさん。

しばらく書くことをサボっていたから、あの日から既に半月以上が経っている。


酷暑には絶対いなくなると思って放っておいた。


今年の正月明けに突然現れた、私の中の私。ちびデブおばさん。

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梅雨が明けても体内にしぶとく居座り、のさばり続けた。


夏の間、え?スカートが脱げない…とか、今ビリッて音がした…、あれ?穴が開いた…ということは、けっこうあった。


でも、そのうちいなくなるだろうと思っていた。なんたって暑いもの。チビデブおばさんは夏の暑さと共に消滅する、そう信じていた。


そんな呑気な本体を尻目に、彼女は沈黙を保ち、虎視眈々とタイミングを見計らっていたのだった。


そして、オセロを一気にひっくり返す勢いで、実に残忍な手口でとどめを刺しにきた。


ひさしぶりに体重計に乗った時のこと。


そこには信じられない数値が表示されており、その瞬間、世界から音が消えた。


足の力が抜け、その場にうずくまった。


壊れている、絶対に壊れている。


何か…何か計るもの…と、たまたまそばにあった詰め替え用の柔軟剤700mlを、震える手で掴んだ。


それを体重計に乗せてみようとして、やめた。


怖い。


怖くて乗せられない。だってきっと壊れてない。


四つん這いになったまま、しばしボーゼンとした。


自分の体が確実に、ゆっくりと支配されつつある。


これまで体験したことのない異変が起きている。


ヨロヨロと力なく立ち上がる。


痩せなければ。


レッドゾーンをはるかに超えている。


こんな体になっちゃって。


翌日の早朝。


駅まで車で主人を送ると、出勤途中のサラリーマン男性が何人も歩いていた。


ついついお腹を見てしまう。


仲間がたくさんいた。


中高年男性は、基本的にチュニックスカートを着ることができない。


すべてをさらけ出して歩いている。


私は自分のズルさを思った。


お腹もお尻も隠している。


ズルかった。自分は隠しておきながらオジサンたちのお腹を品定めするなんて。卑怯このうえない。


夏のスーツ姿はウソがつけない。


臨月かというほどに出てしまったお腹をさらけだすのは、重く、情けなく、悲しいかもしれない。


でも一度ポコリと出来てしまったら、ラクダのコブのように脂肪分をよく溜め込み、よほどのことがない限り取れないのだ。


私だってそういう状態になっているのに、こんなのフェアじゃないだろう。


同じ土俵で勝負しなければ。そして見事一抜けしなければ。


オジサンたちはなぜか恥ずかしそうにしていない。


あれはおそらく、目が慣れてきてしまったのではなかろうか。


そうであれば、私にしたところで、うかうかしていると目が慣れてしまうかもしれない。


そうしてそのうち、「あっはっは!!健康なら良いのよう!」などと、言ってしまうかもしれない。


先々そんな風に笑い飛ばせる人になるのは素敵かもしれないけれど今はまだダメだ。急がなければ。


そんなわけで先月の中旬辺りから毎日1万歩、最優先事項として必ず歩くようにしている。


今のところ、体重計はピクリとも動かない。


20年前、うっかり挑戦してしまったマウイ島でのフルマラソン。あの、たくさん走り込んで最も軽かった時よりも7キロ太っている。


身長160センチ未満の7キロ増量は、高身長の人の7キロ増量と違って隠し場所が全然ない。


ひさしぶりに歩いて、体がきしんで悲鳴を上げている。けれど続ける以外に道はない。


そうしてちびデブおばさんと、正面から向かい合って、半月あまりが経とうとしている。


絶対に負けられない戦いが、こんなとこにもあるのだった。