断食で食い意地とサヨウナラ

食い意地が張っていたのは昔からだった。


朝は食欲がないの…と呟きそうな、竹久夢二の描く細身で雰囲気のある女性に憧れていた。


そんな私が、朝ごはんを食べないという取り組みを始めて半月余りが過ぎた。


きっかけはチビデブおばさん。


なんとか痩せて、彼女におなかから出て行ってもらいたい。体重計にはいつだって、慣れ親しんだ数字を表示してもらいたい。


試行錯誤を繰り返す中で、自分は"一度食べ始めたら最後、腹八分目に抑える理性を持っていない"という事実に遅まきながら気がついた。


それくらいなら、明確に時間で区切った方がうまくコントロールできるのではないだろうか。


摂取→消化吸収→排出の3ステップだから、1日を3分割して、公平に8時間ごとのお当番制にしてみたらどうだろう。


摂取12時〜20時、消化吸収20時〜4時、排出4時〜12時。基本的にこの枠に収まるように生活する。排出タイムの午前中は、具なし汁物を含めた水分のみ。摂取時間は制約一切ナシ。


そう考えた。


自分で考えたはずが、結果的に、前から興味はあったものの自分には到底無理だと思っていた"朝断食"っぽくなったのだった。


最初の3日間は不安で仕方なかった。


ー今もしも突然死んでしまったら、心残りで成仏できないのではないだろうか。


ーおなかが空き過ぎて、道端でフラついて倒れてしまわないだろうか。


ー人と話す時、空腹のあまり失礼な態度をとってしまわないだろうか。


そんな思いが頭を駆け巡り、タイムリミットの20時ギリギリまで食べまくる。


空腹に耐えて昼の12時を迎えると、解禁だとばかりに血糖値などおかまいなしに食べまくる。


その後も夜の8時までスキあらば食べまくる。


そんな生活を送ること3日間。


体重は全く変わらなかった。


当たり前だ。8時間でいつも以上に食べていたのだから逆に太ってもおかしくなかった。


でもその時は途方に暮れた。


ー(プチ)断食までして痩せられないなんて。一体どうしたらいいんだろう。


それでも続けていたところ、1週間を過ぎたあたりから、体重を減らすことしか頭になかった私にとって、思いもよらない変化が起き始めた。


ー頭がスッキリとしている。


空腹を感じながらも、頭はなんというか、いつもより澄んでいる感じ。脳のスペースに余裕があるというか冷静でいられるというか。


ー味覚が鋭くなる。


舌の上で、味の粒がプチプチと割れ、そこから深い味わいが滲み出てくるような感覚。
いつもの食事が謎にランクアップし、米の一粒一粒がなぜか美味しい。
味わって食べるせいか、前より少ない量で満足できるようになった。


ー気持ちに余裕が生まれる。


体も問題なく元気なのだから、そんなに慌てて食べなくても大丈夫だと思えるようになった。
その結果、食べて良い時間が来てもドカ食いをしなくなった。

食に振り回されない、自己コントロールできているという感じが自信となり、結果として、漠然とした不安感が減るのと同時に気持ちの安定にもつながった。


そんないくつかの変化があった。


加えて深い気づきがあった。


今、自分の家でゆっくり食事が摂れることのありがたさ、


そもそも食べないでみる、などということを試みられる状況、


私の大切な飼い猫と同じ、私や息子とも同じ、かけがえのない命を食べているという事実の重さ、


まさに今この時、食事の叶わない人がいる。お腹を空かせた子供達が大勢いる。そういう現実があるのに何もしていない自分。


そうした、いつも頭に浮かんでいることがいつも以上に深く感じられて、グサグサと刺さるようにストレートに腑に落ちてきた。


ほんの2週間あまり、しかも午前中に食べることをやめただけ。それだけなのに一体どうしてこんな感情が湧き起こるんだろう。


不思議に思った。そして気づいた。


断食と言えば宗教じゃないか。


さまざまな宗教で断食行為が取り入れられているのって、こういう気づきを体感で得られるからなのかも。


生きるための、最も根源的な欲求のひとつである食を断つという行為によって、食への感謝、ひいては弱者を労る気持ちや自分の行いを律する気持ちなどを鮮明にする。


もともと食い意地が張っている分、心に大きく影響したのかも。なんちゃってプチ断食でこんなに変化を感じるのなら本格的な断食をしたら悟っちゃうのでは!?


育ち盛りや働き盛りなど、別のタイミングでやっていたら、食い意地がかえってひどくなり健康も損なったかもしれない。


このタイミングで思いついて良かった。これからもゆる〜く、上手に続けていきたい。チビデブおばさんに感謝である。


そんなこんなで体重は少し減ったのだった。