ゆるんで、たるんで。

私の中でチビデブおばさんが生まれたのは、年が明けて間もない、1月のことだった。

とうとう、この日が来たという話。 - onoesanとなんやかんや。

 

月日は瞬く間に流れて、とうとう、年の瀬を迎えてしまった。

 

暑い夏の日々、体重計に乗ることすらサボって怠けまくっていた私を尻目に、彼女は水面下で着々と領土を拡大していった。

 

秋の到来を感じる頃になってようやく、遅まきながらコトの深刻さに気づいたのだった。

 

このまま大人しく彼女の軍門に下るわけにいかない、なぜなら私はまだここにこうして存在しているのだから。

その思いが体の底から湧き上がり、先月から猛然と反撃を開始した。

そういう流れであった。

 

しかし、走れども走れども痩せない。筋トレしても痩せない。若い頃より食べる量を減らしているのにまったく痩せない。

 

もう何をしても痩せる気がしない。

 

私の体は石になってしまったのだろうか。

 

完全に手詰まりとなり、深い、闇のような絶望感に襲われた。しかし諦めたら最後である。何とか考えを巡らせ、時間で管理するという作戦を思いついて実践したのだった。

※時間で管理…1日を3交代制にして食物の摂取タイムを8時間に限定する作戦。私は昼12〜夜8時に設定した。(発想過程は違うものの、やり方はリーゲインズとかオートファジーとか、きちんとした名称の付いているダイエット方法と一緒だということをブクマ他で教えて頂きました。ありがとうございます!!)

 

その作戦を実行したところ、それがプチ断食スタイルであったことから、プチ悟り症状が起きてしまった。

 

感謝が止まらない。止まらないというより爆走を始めた。

 

店で服を買う。

 

すると、その服をデザインした人、縫製した人、タグを付けた人、店舗に搬入した人、平棚に並べた人、店頭で販売した人などなど、考えてみれば膨大な人たちの力によって、今、私はこの服を着ることができている。

その人たちのことを考えているうちに胸がいっぱいになる。

 

なんてありがたいんだろう。合掌。

 

目に映るすべてのものに深い感謝を感じずにはいられなくなった。万物礼賛。日々、心が感謝でいっぱいになり、しみじみしているうちに時がたち、夜になる。そんな毎日。

 

悟りをひらいてしまったことは誰にも言わなかったけれど、悟りのオーラは出てしまっていたのかもしれない。

 

人は、悟りをひらいた人に何かを施したい、もしくは何か食べさせてあげたい…どうやらそう思うようだった。そうでなければ、彼らは実際、チビデブおばさんの放った刺客だったのかもしれない。

 

コストコで買い過ぎた、大根が採れ過ぎた、銀杏をたくさん拾った、みかんが大量に送られて来た、オープンセール大特価だったからお裾分けだよ…さまざまな理由で、あとからあとから私の元に知り合いから食べ物が届けられた。

 

そうしてある夜、とうとう日本酒がやって来て、それにより私のブッダな日々が終わった。

 

箱パックの黄桜のドンを、大切に大切に飲んでいるのが日常の私は、一升瓶に完全に目が眩んでしまった。

 

先日頂いた銀杏を煎り、ハンマーでカチカチと割る。エメラルドグリーンの艶々と光る実を4つずつ楊枝に刺して塩を振った。時すでに23時。

 

やめたやめた。「20時以降は食べないことにしていますから」なんて、私はいつからそんなつまらない人間に成り下がってしまったのか。考えてみれば美味しい頂きものをくださった先方にとても失礼な話じゃないか。

 

そうしてその日から毎晩、いそいそと銀杏を煎り、久しぶりの久保田をうっとりと味わった。

 

数日後、一升瓶が空になった頃にはすっかり還俗していたのだった。

 

現在。

 

私がチビデブおばさんでチビデブおばさんが私で。

 

という状況である。

 

もはや私もチビデブおばさんも存在しない。

なぜなら2人はひとつになったから。

 

平和的共存という出口に私たちは立ち、そして融合した。勝利も敗北もない世界観。

 

心ならずも盛り上がった闘争と悟りの日々の中で気づいたことがある。チビデブおばさんの存在理由だ。

 

彼女が私の中に誕生したこの1年で、私は顕著に正義感が強く、図々しく、細かいことが気にならなくなった(詳細はチビデブおばさんの軌跡カテゴリー)。

 

これまで、この性格は元の私とは相容れないものだと思っていた。

けれど最近、どうやら反抗期のムスコに対峙するにはこのくらいが丁度良いということがわかってきた。いちいち傷つき凹んでいると子供が育たない。

 

また、心身ともにいよいよ老化一直線。何事につけ、気にし過ぎるのが1番いけない。

 

それからこんなこともあった。

先日、家族そろって体調を崩した。

リクエストにより、ひたすら湯気の立つ料理を作るはめになった。おかゆを炊いたりウドンを煮込んだり、である。

 

この手の料理を食べる時というのは体が弱っている時である。そんな料理を作る時に絵になるのは、ある程度の、なんというか余裕のある体つきではないだろうか。

弱っている人間が食べるモノであるからこそ、パワーをお裾分けできるくらいの雰囲気が望ましい。

 

また、自分自身が体調を崩して食べられない時にも備えあれば憂いなし。復旧力が衰えているのだから、備蓄に力を入れることはとても大事である。

 

若い頃と違い、有事の際の瞬発力や適応力がない。別の形でエネルギーを温存し、余力を保ちたい。

 

そんなわけで中高年は、どちらかと言えば、痩せていくよりは太っていく方が健康へのチャンスがある。

腹囲さえキープ出来たら体重増加はむしろ喜ばしいことなのだった。

 

運動が日常に定着した結果、若い頃のプラス2キロくらいで落ち着いている。

 

もうこれでいい。

 

ゆるんでたるんで、若い頃より体重は増えたままだけれど、どうやらこれが現在の私のベスト体重なのだろう。

 

2キロの増量分は、加齢と共にほんの少しだけ広がった知見、それによって得た優しさとか、諦めた分だけ得た余力などが詰まった、必然の結果かもしれない。

 

なんやかんやで年末。私はこうしてチビデブおばさんのライフスタンスを認め、助け合って共に生きていくことにしたのだった。