ムスコは不思議そうな顔をしながらも、素直に「こども大百科辞典」を持って和室に来た。
虫カゴの中身に気づくと少し驚いた顔をした。
少し、であったことに私は満足した。
今、大騒ぎされると、せっかく淡々と粛々と対処しようとしている気持ちに水を差されてしまうような気がした。
「お母さん、これどこで捕まえたの?」
「和室。(長押を指して)あそこから落ちてきたの。」
ムスコはしげしげと子ネズミに見入っていた。
「子ネズミがいる、ということは、親ネズミもいる。
親ネズミはこのように可愛い雰囲気ではない上に、私たちを病気にしてしまうような悪い菌もたくさん持っている。
だから、速やかに家族全員で引っ越しをしてもらわなければならない。
とりあえずこの子は、ウチから遠く離れた自然のある場所で、1人で頑張って生きていってもらわなければならない。
こればかりは他に選択肢はない。」
と、自分に言い聞かせるように話した。
ムスコは「こども大百科辞典」の「ね」の所から既に「ネズミ」のページに辿り着き、熱心に読み始めた。
ネット検索すると、さまざまな種類のネズミがいることがわかった。
住んでいる場所がおそらく天井裏であること、子ネズミの顔つきからいって「クマネズミ」であると断定して良さそうだった。
イメージ的に「ドブネズミ」でないことに安堵した。
ドブネズミはかなり凶暴な雰囲気だが、クマネズミは親のサイズもそれほど大きくなく、リス程度らしい。
何より、ウチにドブネズミが住み着いたのと、ウチにクマネズミが住み着いたのでは文字面から受けるダメージが全然違う。
まぁ欲を言えばハツカネズミが良かった。
素性が割れたため、この子ネズミには退場願うことにした。
子ネズミの入った虫カゴを持って息子と外に出た。
一方、ここまでの一連の行動の中、飼い猫のルナは、この緊迫した空気にも、不法侵入者にも、全く気づいていない。
いわゆるネズミに対しては最強カードのはずの猫ではあるが、それは一般的な猫の話であって、どのネコに当てはまるとは限らない。
ルナは思ったとおり我関せずだった。
玄関を出ると、ちょうどお隣の高野さんが花壇に水を上げていた。
高野さんは母と同い年の、とても品が良い、素敵な雰囲気のお隣さんだ。
でも私は子ネズミを見せることを全くためらわなかった。
品が良いと言っても、生まれも育ちもこの土地の方だし、私よりもこの土地での人生経験が多い分、こういった事態に遭遇した経験があるかもしれない。
このあたり一帯は同時に建てられた分譲地なので、我が家にいたとなれば他の家もうかうかしていられないはずだ。
高野さんに虫カゴを見せると、普通に驚いていた。
「ぎゃーっ」とか「やめて!」とか言われて逃げられなくて良かった。
「あら?それなぁに?」といつもの気さくな雰囲気で聞いてくれた。
話をすると、高野さんのお宅ではこういった害虫害獣は今まで出ていないが、200メートルくらい先の高野さんの実家にはコウモリが住み着き、フンを大量にされて大変だったらしい。
高野さんのお宅は公道に面している上、日頃からご夫妻でお庭の掃除などをよくされているので付け入る隙がなかったのかもしれない。
しかしウチには形だけとはいえ「猫」がいる。
一体どうして我が家が選ばれたのだろうか。
家から800メートルくらい先にある、田んぼが連なる川べりに子ネズミを放して帰る道すがら、そんなことや明日からのことをぼんやりと考えるのだった。