PTA会議が大喜利大会のようだった話。

先週、中学校で今年最初のPTA会議があった。


ムスコが進学するまで、PTAなんて小学校だけだと思っていた。


だから進学して最初の保護者会で、校内美化委員会の副委員長に当たったことを知った時は本当にショックだった。

が、気づけば残すところあと数ヶ月だ。


PTAはボランティアというのは名ばかりで、例年相変わらず、恐怖のクジ引きが決行される。


以前は小学校同様、自分のクジは自分で引くというシステムだったため、4月の保護者会はスリルと緊迫感に満ちていた。


しかしコロナ禍により、校長先生が代わりに引くというシステムに変わった。

(当初は担任が引いていたが、担任に"当たりクジ"を引かれた保護者が担任を罵倒し、担任業務に支障をきたしたため校長が一括することになったらしい。)


校長先生は、
「この要職についたおかげで髪が薄くなってしまった」
と、保護者の同情を引きつつ薄毛の言い訳も盛り込んだボヤキを口にした。


確かにそんな恨まれ役をやるのは災難だし、髪が薄くなってしまった校長先生を責める気持ちにはなれず、粛々とお役目を仰せつかったのだった。


実際、月1回の定例会に毎回出るなんて不可能だと思っていたが、時々代わってもらったりして何とかやりくりすることができた。


そうして任期の終わりも迫ったこの日、会議はスムーズに進み、最後に会長がいつもどおり、

「では何かご意見、ご質問のある方はいらっしゃいますか?どうぞご遠慮なくおっしゃってください。」

と、締めにかかった。

いつもは手が挙がることもなく、これでおしまいとなるのだが、その日は、

「すみません、ちょっと個人的な悩みで、ここで聞くことでもないんですが皆さんのお話を伺いたくて…」

と、私の隣の隣に座っていた、とても優しそうな雰囲気のお母さんが思い詰めた表情で切り出した。

会長は少し驚いたものの、嬉しそうに、

「どうぞどうぞ。何でも大丈夫ですよ。」

と、続きを促した。


「すみません、実は最近、ムスコが全然口を聞いてくれなくて。部屋にも入るなって言われてて、もう、とりつくしまもなくて。配られたはずのプリント類も全然渡してくれなくて困ってしまって…」

と、本当に困り果てた様子で言った。


それを聞いて私は、
「コレが話に聞いている反抗期か…」
と思った。


確かにウチのムスコも似たようなものだ。


そもそもムスコが一番立派だったのは小学一年生の頃だ。
あの頃は本当に良い子だった。


今となっては到底信じられないコトだが、学校から帰宅すると真っ先に、いそいそと、ランドセルを開けた。


そうして国語の教科書を取り出して、私のそばに来ると「はなのみち」を高らかに音読してくれた。


冒頭の、

「くまさんが、ふくろをみつけました。おや、なにかな。いっぱい はいって いる。」

を一生懸命に読んでいる姿は、本当に可愛いすぎて、世界中の人に見せてあげたいと思ったくらいだった。


それが高学年になると、靴も脱がずにそのまま遊びに行くようになった。


ランドセルは、玄関からリビングに向かってアイスホッケーのパックのように滑ってきて、そのままセミの死骸のように転がって、翌朝まで触れられることもなくなった。


中学校になったらもう、持っていっているリュックはリビングにすらやってこない。
ランドセルと違って滑らない素材だからだろうか。
玄関脇にとどまっている。


そんなことを思っていると、


「ウチなんか…」

誰かが言い始めた。

「壁に穴を開けたんです…」

するとまた別の人が、

「ウチなんか…外で会った時は他人のフリをしろって言うんです。」

すると、堰を切ったように次々と、

「ウチなんか…部屋に入る時は3回ノックしろって言うんです。」

「ウチなんか…半径1メートル以内に入ってくんなって言うんです。」

「ウチなんか…オレが"良い"って言うまで絶対目を合わせるなって言うんです。」


さながら、
お題「ウチなんか」の5文字で始まる、大喜利大会の様相を呈してきた。


甲乙つけがたい出来だったが、私の中で優勝したのは、

「ウチなんか…通知表は犬が全部食ったって言うんです。」

ヤギだろ…と言いたくなるのと、テーマの反抗期から逸脱しているものの、こんなムスコはありだな…と思ったのだった。