onoesanと猫と保育となんやかんや。

おいぼれ猫たちとの日々と、あれやこれや

五十三、(猫の)退院後の療養生活が、専属看護師(私)と共にスタートした。

この1年間、奴隷、コック、メイド、掃除婦などなど様々なステータスを踏んできたが、今回は看護師だ。

看護師は前にもやったことがあるが、今回のミッションは、退院後の高齢のおじいさん(猫)の全面ケアである。
退院後、と付く所が新しい。

帰宅してソルが真っ先に向かった先はトイレだった。
頻尿ぶりは想像をはるかに超えていた。私なんか目じゃない。

トイレに入った、オシッコ出た、ハイ、トイレから出る、また入る…をエンドレスに続ける。
そうしては、ほんの少しずつ排尿する。
慢性の膀胱炎で、膀胱自体がとても硬くなってしまっているらしい。

徐々に改善されていくらしいが、その間は専属看護師というより、専属オシッコ処理隊だ。

オシッコが出るたびに出来る紙砂のカタマリを取り除く作業を怠ると、次のオシッコの時に、その塊も他の砂と一緒にかいてしまい、猫砂全体の劣化が早まってしまう。

オシッコを通過させるタイプのシステムトイレがこの点だけは楽で良いのだが、下痢を考えるとコスパ、後始末の両面においてノーマルなタイプが良く、さらに病気の早期発見という面から考えると、システムトイレを使うわけにはいかなかった。
これは尿路閉塞して初めて痛切に感じたことだ。それまではシステムトイレはラクで、何の文句もなかった。

そんなわけで最初の2日間は、ソルがトイレに入る時には常に付き従うという、要人のSPのような日々を送らなければならなかった。
ああ面倒くさい。

とは言え、オシッコの後始末は、頻度こそ突出していたものの、トコロ構わずの下痢便や嘔吐の片付け、その都度汚れるエリザベスカラーの手入れに比べたら可愛いものだし、さらに言えば、朝晩4錠ずつの投薬や、カラーを付けての飲食の介助などなどの中にあっては、むしろ安らぎとも言える部類だったかもしれない。

肝心のソル本体の方はどうかと言えば、手術の負担が大きかったようでヨレヨレ感に拍車がかかってしまった。
エリザベスカラーで視界が悪い上に、バランスも取りづらいようで、いつも以上にヨタヨタと心許ない様子で部屋の中をうろついている。

最近はどうやら目もますます悪くなっているようで、よくしばたたかせている。
老眼鏡が似合いそうな風貌なのだが、残念ながら猫用の老眼鏡を売っているのは見たことがない。ジイサン臭さを強調してしまうから本人も嫌がることだろう。それは私も同じなので強要はできない。
口の中も何か不具合でもあるのか、フードを食べるとクチャクチャと飲み込むまでに結構な時間がかかるようになった。

360度、どこからどう見ても「老いぼれ」感が満載である。

ひょっとしたら、専属で付いている看護師(私)がもう少し若かったら、じいさん猫だけにもうすこし覇気を取り戻すかもしれない。
が、残念ながらウチのスタッフ(家族)にそんな逸材はいない。

しかしこうして、好むと好まざるに関わらず、毎日身近にいて世話をし続けると「愛着」という厄介なシロモノがフツフツと湧いてきてしまう。

それこそが私が最も恐れるところである。

ソルが来るまで、私は日々、ルナが居なくなった時に備えていた。
日々、悔いのないように愛で、いつかいなくなるということを意識して過ごし、覚悟を新たにする訓練を積み、いざという時の心の備えを抜かり無くしておくように気をつけていた。

それがソルが来て、訓練する時間がなくなり、ルナをなおざりにしてソルの世話にかまける日々。

ソルはとても世話が焼けるし、既にフラグが立っているような状態で我が家に来たので、最後に手厚くお世話をしたら手が離れる予定でいた。

その時私は、ようやく大変なお世話を終え、ルナ喪失に向けてのトレーニングを再開し、いつもの日々に戻る予定だった。

それが。

ここまで生活を掻き回され、親身な介護を余儀なくされたらどうだろうか。

迷惑千万なのと同じくらい、とても愛しくなってきてしまったのである。

ソルに関しては、逝ってしまう時に向けての喪失訓練をまるでしていない。
淋しいけどホッとする程度だろうと考えていた。
果たして自分は大丈夫だろうか。

一年経って、地味に家族になっていたのかも。

そして家族とは。
結婚と一緒で、病める時も健やかなる時も、共にあるものなんだなあ。

愚痴も文句も出るけれど、幸いソルは気にしないし、おそらく自分の名前と「ゴハン」「ちょーだいちょーだい」以外の人間の言葉は知らないので、時に、おいそこのボケじーさん、などと蔑称で呼びかけることでうさを晴らすことが可能である。

すっかりゴツゴツしてきて、撫でてもちっとも気持ち良くないソルの背中を今日もたくさん撫でながら、とにかく日々の平穏に心から感謝して過ごすのみである。