初めての病院で、鎮痛剤を打って尿道カテーテルの処置をされたソル。
翌日は、早速かかりつけの先生のところへ行き、昨日の病院で渡された血液検査の結果を見せながら、ことの顛末を話した。
その間、ソルは昨日とはまるで別猫のようだった。
いつもの獣看護師さんに優しく撫でられ、もう、されるがまま。あろうことかゴロゴロ言い出した。
この病院には、この一年でもう何回来ているかわからない。
環境にも慣れ、先生やスタッフの皆さんのこともとっくに覚えていたのだということが、別の病院に行って改めてよくわかった。
昨日からソルの前でこんな話ばかりする自分に嫌悪感を持ちながらも、かかりつけの先生にも安楽死について聞いてみることにした。
この先生は、安楽死というワードを出すことすら、はばかられるようなオーラを放っている。
オブラートに三重くらい包んで切り出した。
「次にまた尿管が詰まってオシッコが出なくなったら、膀胱を切開して石を取り出すことになるんですよね。年を考えると手術も可哀想な気がするので、そこが(安楽死の)タイミングなのかという気がするのですが…」
先生の答えは想像していたとおりだった。
楽にしてあげましょう、などという発想はまったくなかった。
今はまだそんなことを考える段階ではない、ということをはっきり言われた。
そんな風に、生かすことを諦めない先生だからこそ、この1年間、本当に全幅の信頼をして診て頂けたのだと思うし、ソルも身を委ねているのかもしれない。
それだけに、もしも安楽死を選択することになったら、出来ることならこの先生に処置してもらいたいとも思う。
しかし一体全体、この老いぼれ猫(認知症の疑い
あり)はどこまで頑張るつもりなのだろうか。
思えば猫コロナからも不死鳥のように蘇った。今回はどうなるのか。
九、老猫ソル、ついにお迎えか。 - onoesanと猫と保育となんやかんや。
手術となったら費用は20万を下らないだろう。
…先生、ウチにはこれから湯水のように学費を使う予定の若いオス(人)がいるのです…家もあちこちボロボロだし、そもそも家計が破綻したらソルも生活が続けられません…。
心の中で呟くのだった。