※これはあくまで私の体験談をベースとした話です。保育方法をはじめとする諸々は保育園によって千差万別です。
勤めている保育園の近くに広い公園がある。
公園の外回りをグルリと囲む公道には、4ヶ所のゴミ集積所があり、決められた曜日の決められた時間になると、ゴミ収集車が1箇所ずつ収集してくれる。
子どもたちにとってゴミ収集車は、ダンプカーやクレーン車と同じくらいステキなクルマだ。
みんな大好きである。
だから、収集車の流すアナウンスが聞こえると、皆、遊んでいた手を止めて立ち上がる。
最初に見つけた子が、「あっ!!」と叫びながら指を差すと、みんなが一斉に振り向いて、その方向に向かって走り出す。
一方、ゴミ収集車に乗る作業員さんたちは、そんな子どもたちにすっかり慣れている。
子どもたちにとって、彼らはヒーローなので、作業中はずっと真剣に見つめられているし、作業が終わって収集車に乗り込む時には、これでもかと言うくらいに手を振られる。
そんな子どもたちに、オジサンたちは、これもアイドルの宿命とばかり、とびきりの笑顔で手を振り返してくれる。
もはやルーティンなので、そのアイドル的な動きもすっかり板についており、オジサンたちにはまったく「照れ」がない。
笑顔で手を振りながら颯爽と車に乗り込み、発車してからも、ヒーローとして、アイドルとして、追いかける子どもたちに手を振り続けてくれる。
数十メートル先の収集場所でも同じことが繰り返され、これが4回続く。
そんな光景を、保育士たちはいつも微笑ましい気持ちで見守っていた。
「ほらほら、転ばないようにね」
「子どもたちって本当に元気よね」
などと言いながら。
オジサンたちに軽く頭を下げながら。
子どもたちの動きは一直線に収集車に向かっているので、なんなら、今日の夕飯何にしようかな…などと考える心の余裕が持てる束の間の時間であった。
その日までは。
その日。
作業車から出てきたのは、いつものオジサンたちではなかった。
作業車の中から出てくるはずがない、ましてや保育士として働いていて、お見かけする可能性が全くないような人間。
出てきたのはパリコレモデルですか?と二度見じゃ足りず五度見してしまうくらいの、180センチ超えの、20代とおぼしきハーフのイケメンだった。
こんなに場にそぐわないのに、子どもたちはその違和感に全く気づかない。
子どもたちは、オジサンと、この「超」のつくイケメンに対して、収集車に乗っているという事実に基づいて、極めて平等、公平な視線を送っている。
しかし保育士はそうはいかなかった。
私を含む、そこにいた20代から50代までの誰もの瞳孔がカッとひらいた。
イケメン恐るべし。
場の違和感も相まって、なぜか緊張感すら漂う。
イケメンの作業員さんは、新人のはずなのに軽やかに爽やかに手を振った。
これは、他のオジサンたちがゴミ収集車に乗ってから身につけた動作とは違い、明らかに実生活で身につけたものに違いなかった。
ゴミ収集車の後を追って、次の収集場に走りだす子どもたちに負けじと、次の収集場に向かう保育士たち。
保育士たちの本気を敏感に嗅ぎ取って、いつも以上にキャーッとハシャギながら走る子どもたち。
そう。
私たちはイケメンにまったく慣れていない。
普段、会話を交わす異性は6才以下。
もしくは、6才以下を養育している育児と仕事に疲れたイクメン。
後は70代の園長先生、それに家族のみである。
ウツクシイものを見ると、疲れって吹っ飛ぶんだな。
皆がそんな顔をしていた。
どんなイキサツで収集車に乗っているのかわからない。
が、その日以来、保育士たちも収集車に手を振るようになっていたことに気づいたのは、そのイケメンがいなくなってしまってからである。
イケメンがいなくなった途端に、
ー「あれ?私たち大人なのに、どうしてゴミ収集車のオジサンに手を振っているんだろう。」
そうして従来の会釈に戻り、日常に戻ったのだった。