※これはあくまで私の体験談をベースとした話です。保育方法をはじめとする諸々は保育園によって千差万別です。
もうすぐ2才半のリクトくんは、最近、手を洗うことを「とてもめんどくさい」と思っている。
多分ご家庭では、トイレ後にも食事前にも「チャッ」と洗うことすらしていない。
ご家庭でどう過ごそうが、それはもう仕方がないことである。
各々の家庭に方針や文化があり、それに対してああだこうだ言うのは傲慢というものだ、と私は思っている。
しかし保育園に足を踏み入れた瞬間、トイレ後、外遊び後、食事前に、石鹸で手を洗わないという所業は、金輪際許されない。
決して多めに見てもらえないルールである。
ところで2才半のお子さまにとって「ウソをつく」というのは、かなり高等なテクニックだ。
誰にでも出来るわけではない。
特にゆったりと育てられているひとりっこのお子さまにはハードルが高い。
しかし男ばかりの3人兄弟の末っ子、こなれたリクトくんは、それをたやすくやってみせる。
手を洗いたくない一心で、手持ちの言葉や記憶をフル活用してあらゆるウソをつくリクトくんを、私はひそかに「かなりスゴイ」と、なかば尊敬さえしている。
例えばリクトくんはこんな手を使う。
蛇口の前に立って、濡れてない手をパッパッと振って、さも洗い終えて水を切っているように見せかける。→濡れてないね、と突っ込まれて結局洗う。
あるいは。
「リクトくん、手は洗った?」
「洗ったよ〜!」
と言うので、ならばと、
「誰と洗ったの?」
「にいに!」
→お兄ちゃんは学校にいるよね、と突っ込まれて結局洗う。
洗うことをすっ飛ばしてタオルで手を拭く。
→どうしてタオルに土が付いているのか突っ込まれて結局洗う。
他にも、洗い終えたお友だちの後ろにピタッとくっついて、先生に見えないつもりでそのまま水道の前を通過しようとしたり、ママに洗うなと言われてるなどと言ったりもする。
2才半で、手洗いを回避する為にここまで色々考えるとは。
あの手この手と作戦を繰り出して手洗いを免れようとするリクトくんの機転には脱帽する。
そんなリクトくんに対して、微力ながらこちらも応戦する。
「リクトくんに洗って欲しいんじゃないよ。先生、手を洗いたいから蛇口ひねってくれない?」
→そのまま巻き込む。
「リクトくんは、今日どっちの手から石鹸つけるか決めた?先生は、え〜っと、え〜っと…決めた!今日はコッチにする!」
→会話好きなリクトくんは、じゃあリクトはこっち!などと乗ってくれる…日もある。
「リクトくん、見て!みっちゃんが手を洗うところ。すごく上手だね。みっちゃんって本当にすごいよね〜。」
→煽る。
お願いカメさん、から始まる「手洗いの歌」を口ずさむ。
→つられてそのまま洗い出す…こともある。
などなど、日々、あの手この手でお誘いを繰り返しているが、かなり苦戦している。
そんな折。
みっちゃんがリクトくんを誘った。
「リクトくん、一緒に手を洗おう?」
いつもみっちゃんはマコちゃんを誘う。
マコちゃんにとても憧れているのだ。
保育園で。着たい服がカゴに入ってなかったマコちゃんが納得してくれるまでの話。 - onoesanと猫と保育となんやかんや。
いつでもマコちゃんに
「マコちゃん、一緒に○○しよう?」
と誘いかけ、共に行動したがる。
その時はたまたま、近くにマコちゃんが見当たらなかった。
そこで手近なところにいたリクトくんに声をかけた。
一方、リクトくんはみっちゃんが大好きだ。
どのくらい好きかというと、一度リクトくんの洗濯物を間違えてみっちゃんにお持ち帰りさせてしまい、みっちゃんの家で洗濯してもらったことがある。
リクトくんは、みっちゃんの(おウチの柔軟剤の)ニオイがするその服を決して洗わないように、とママに泣いてお願いしたほどである。
だからリクトくんはもちろん、
「うん、いいよ。ぼく、一緒に洗ってあげる。」
と、意気揚々と手を洗い始めた。
聞かれてもいないのに、
「ぼくがどうやって手を洗うか知りたい?教えてあげようか。いい、見てて。」
などと少しめんどくさいお願いをしている。
みっちゃんはもちろんこれっぽっちも聞いていない。
でも。今日はもうこれでいいか、と思った。
明日もラッキーな偶然が起きるかもしれない。
みっちゃんが言ってくれなきゃ意味がないのはわかっているけれど、次は久しぶりにストレートに、
「先生と一緒に手を洗おう?」
と誘ってみようと思った。
ストレートにお誘いしたら、たまには素直に頷いてくれるかもしれない。可能性は極めて低いけど。
リクトくんとの手洗い攻防戦は、きっとまだまだ続く。
ご家庭と保育園、どちらの習慣が根付くだろうか。
リクトくんのママは忙しいので登園日数も多い。
勝ち目はある。
そんなことを考えてると、ふと笑ってしまった。
ささやかな毎日の積み重ねの日常。
リクトくんが当たり前に手を洗うようになる日が来ても、こんな日々のことはとっくに忘れている。
この時間がとても愛おしく思えてしまったのだった。