次年度に向けての話し合いがあるということで、新年早々、町内会から呼び出しがあった。
いつもならスルーしてしまうところだが、今回は組長の任期に当たるため、重い腰を上げて参加した。
町内会館は急階段を上ったところにある。
時間ギリギリに、心臓をバクバクさせながら上っていくと、先を行く人はことごとく高齢の方ばかり。
皆、必死に階段をのぼっている。
「今日は何か老人会の催しでもあるのかな…」
考えながら到着すると、特にそういった催しはなく、階段を上ってきた人たちは皆、話し合いに出席する人たちだった。
今、この辺り一体は急激に高齢化が進んでいるのだ。
現実を目の当たりにした。
皆が席に着くと、現会長がヨロヨロと中央に進み出て、早速、総会が始まった。
なんと私が最年少だ。もう、そんな体験は人生最後かもしれない。
とんでもなく久しぶりに「若い人」になった。
会長はマイクを持つと、
「現町内会長をしております、クスノキ、と申します。
新年早々、皆さまをお呼び出しいたしましたのには、ワケがございます。
実はワタクシ、昨年末にベランダで日光浴をしておりましたところ、急に意識がなくなりまして。救急車で運ばれたのでございます(一同ドヨメキ)。
その後、目の調子もおかしくなり、眼医者に行ったところ、緑内障にもなっていると。
他にもカラダのあちこちに不具合が生じまして、今は1週間に3回、お医者さんに診てもらっているような状況でございます。
色々と考えた末に、この会長という役を降りさせていただくことを決断いたしました。
思えば、皆さまのお役に立ちたいと考えて、昭和の時代から云々…」
クスノキ会長のお話は、その後30分くらい続いた。
どうやら、体調不良のため会長職を降りたいということのようだった。
続いて、副会長のシゲタさんが前に出てきた。
「ワタクシ、副会長のシゲタ、と申します。
クスノキ会長は長年にわたり、この地域の発展のためにに多大なご尽力を…略。
このたびは、是非、ワタクシに次期会長を任せたい、という身に余る光栄なお話を頂戴した次第でございます。
ところがワタクシ、このところ、めまいがすることが多くなりまして、今日もこの階段をのぼる最中に、どうしたことか、うずくまってしまった次第でございます。
会長の、是非ともこのシゲタに、というお気持ちに応えたいのは山々ではありますが、このポンコツなカラダでは、とてもこの大事なお役目をまっとうしてやる、と意気軒昂に申し上げられない次第でございます。
思えば、クスノキ会長と二人三脚で昭和の時代から云々…」
シゲタ副会長のお話は、その後20分ほど続いた。
どうやら、会長にはなれない、ということのようだった。
ーでは誰が会長をやるのか。
まずは自己紹介をしましょうという流れになった。
到着した順に席に着いたので、私は一番最後である。
「ワタクシ、3班代表のカワゾエでございます。一昨年、くも膜下をやりまして。
今、奇跡的に生かされましてリハビリに励んでいるところでございます。」
「5班の組長をしております、コンドウと申します。
一昨日の囲碁初打ち会に参加された方は既にご存知でありますが、ワタクシ、心臓をやられまして。
幸い、どうにかこうにか退院して元気にやっとります。
ただ、ついつい頑張りすぎる性分でございまして、ムリは厳禁などと医者からいつも怒られる始末であります。」
などと、次から次へと様々な病名の報告が続く。
さながら病歴の発表会の様相を呈してきた。
皆さん一様に、それじゃあ会長は無理か…という説得力のある病名を次々にぶちかましてくる。
どうしよう…自分の番が近づいてくる。
私の焦りは高まるばかりだった。
ーパンチの効いた病名を繰り出さねば、このままでは会長になってしまう。ナニカナイカ…。
飼い猫の病気ならいくらでもあるのに。
いっそソル(飼い猫)に代理出席してもらえたら絶対に勝てたのに…。
どうする?更年期が辛いことを告白してみようか…いや、更年期はもうみんな興味がないだろうから聞いてももらえない可能性が高い…そもそもそんなカードじゃ、とても勝負になりそうにない…。
頭の中で色々な思いが逡巡する。
待てよ。隣に座ってる女性は、この中では若そうだし血色も良さそう。背筋もピンと伸ばしてお元気そうだ。彼女に賭けるしかない。頼む!健康体でありますように…。
やがて彼女の番が来た。
祈るような気持ちで彼女の自己紹介に耳を澄ませる。
「皆さま、ノグチでございます。初めまして、の方もいらっしゃいますね。9班でございます。
ワタクシ、こう見えて実は、おなかの中はもう、空っぽなんです…」
それから、再三にわたる癌の摘出手術を受けていることを赤裸々に明かした。
ーもう完敗だ。
次期会長のワタシ、おめでとう…。
せっかく中学校のPTAのくじ引きで当たってしまった校内美化委員会の副委員長職がもうすぐ終わるっていうのに何てこった…。
そうして番が来た私は、立ち上がった。
「8班から来ました。コレと言った大きな持病は抱えておりませんが、果たして会長が出来るかと言われると、ちょっと…」
繰り返される自己紹介という名の病名発表のたびに、「まあ…」とか、「ああ…」とかざわめいていた部屋の中が、水を打ったように静かになった。
と、そこへ誰かの声が。
「あらあら、現役ちゃんはいいのよう!」
…現役ちゃん??
「そうそう、現役は関係ない。」
誰かが続く。
「現役ちゃんは、大変なんだから。今日来てくれただけで十分なのよ。ありがとね。コレは私たちの問題だから。」
ーえ?そんな仕組みなの?そもそも現役ちゃんとは!?
現役ちゃんとは、年金受給をしていない、子育てや仕事に従事している人のコトを指すのだった。
そして現役ちゃんは、町内会の役員はやらなくて良い、という暗黙の了解があるようだった。
知らなかった。
知っていたらこんなにドキドキしなくて済んだのに。
ありがたく、他の皆さんで決めている様子を他人事のように眺めつつも、
ーこのような裏方のボランティアを、病気を抱えながらやって下さっているのだなぁ。
ということに初めて思い至り、心から感謝したのだった。
そして、来たるべき免除のなくなった日に、果たして自分は健康でいられるだろうか、ポンコツでございまして…などと挨拶していないだろうか、考えてしまったのだった。
とにもかくにも急な階段には、くれぐれも気をつけて活動して頂けますように。