掃除しなければ、と思うだけで疲れるという話。

月に何回か、いや、週に何回か、いや毎日。
「このままじゃイカンな…」
…と反省している。なのに改善しない。


家の掃除である。


若くて体力があり、ムスコがまだ小さく、お友だちが頻繁に家に来ていた頃はこうじゃなかった。

迎えに来たママが家に上がることも多かったので、基本的には誰がいつ来ても良いくらいにはなっていた。

それがコロナ禍と子どもの成長が合わさって、家中、気が抜けた状態になってしまった。


やる気が全く起きない。


昭和の一般的な家庭で養われた価値観のせいだろうか。
主人が、"頼んだコト"や"今日やるしかない家事"、例えば風呂掃除や洗い物をしてくれる時は心から嬉しい。

なのに、床の隅や窓のサッシ、ストーブの枠などを気を利かせて拭いているのを見かけると、なぜか自分の不甲斐なさを露呈されているような気持ちになってしまう。

厄介な価値観だなと思っている。


それでも昔に比べたら、だいぶ素直に「ありがたい」と思えるようになってきた。

どころか、「ついでにあそこも気づかないかな…」とまで思うようにさえなってきて、そこまで思ったところで義母の顔が浮かんできて、また厄介な価値観が戻ってくるのだった。


そんな風に、気づくとチョコチョコとキレイにしてくれる主人だが、基本的に目が悪く背が高いため、私が気づかないと床などは大抵、汚れたままだ。

そして猫が1匹増えただけで、ここまで床は汚れるのかと思うほど、ソルが来てからヨゴレが倍加した。

昨日も朝から下痢便を踏んだ足で歩き回られ、主人はシャンプー、私は床の掃除に追われたのだった。


そうした"今日やるしかない家事"だけで体力的にいっぱいいっぱいだから、今日やらなくても死ぬわけでもなければ、中身も見えない換気扇やエアコンのフィルター、風呂の排水溝などはどんどん後回しになる。

結果、それらを見るたびに自責の念にかられる。


SNSには、世の中のすばらしく優秀な女性たちが、とても賢く家事と仕事を両立しているという情報が、これでもかというくらいに溢れている。

三人の子どもがいてフルタイムワーク。
でもスキマ時間に勉強して、そのうち起業。
年収がとんでもない額になったけど、家の中は賢い立ち回りで常にキレイです…。
と、そういう状況が「ウソじゃありませんよ」と写真やタイムスケジュールや、普段作る料理のレシピなどとともにたっぷり載っていたりする。


そういう人の情報が、掃いて捨てるほど出てくる。

タイムスケジュールは分刻みで、総理大臣か!と突っ込みたくなるくらいだが、いやいや本当に見上げた人たちで、もう穴があったら入りたくなるのだった。


気を取り直して、私も少しでも頑張らなければと、少しでもラクな掃除の仕方を求めて検索などしてしまったら最後、こちらも自分とは違う、とんでもなく見上げたヒトたちで溢れている。

掃除だけで本を一冊書けるようなヒトたちの話は聞いちゃいけないと、見てから後悔するのだった。

あるヒトは、掃除機を使った後は掃除機から雑菌が出るのを防ぐために、毎回吸い込み口を洗った後にガムテープを貼って塞ぎましょうとレクチャーしていた。

またあるヒトは、朝起きたらまず家中を軽く拭き掃除することを勧めていた。俄然その日の気分が変わりますと。


それはきっとそのとおりだと思う。
気分はさておき、ホコリを最も効率よく取り除くには朝イチが良いよねと。


でも朝起きて家中を拭く時間があるなら、その時間はもう、絶対に絶対に、コーヒーを一杯飲みながら本を読むのに使いたい、と心の底から思ってしまうのだった。


これらすべてのスバラシイ人たちは言う。
「習慣化が大事」だと。


これまた、そのとおりだなと思う。
本当にそのとおりで言葉もない。


で、見終わるとなんだかもう疲労感でいっぱいになり、もう掃除する気になんて到底ならないのだった。


明日こそは必ずやろう、と思っている。いつも。