いかにも梅雨らしい心持ちになった。

少し前に誕生日が来た。

自分が、今日本に住んでいるすべての女の人の平均年齢よりも上の年になるなんて(実際その日は何年か前に来たのだけれど)、正直言ったら思いもよらないことだった。

社会に出て、結婚して、子供を育てて、主人と家を買って、私がいないと3日と生きられない病気だらけの老猫と、1ヶ月生きられるかどうか怪しい老猫の世話をしているけれど、自分は相変わらず、全然まったく、何ひとつまともにできないという感じがすることに驚く。

普段の生活を何とかやり過ごして、やれている風を装ってきたけれど、誰よりも一生懸命に打ち込んでいるように頑張っている感じを出したりもしてきたけれど、実のところ何一つ身を入れてやってこなかったような気もする。

体のあちこちに不具合が出過ぎていて、いちいち向き合っていたら体も時間もいくつあっても足りないから、できるだけ目を逸らして、見ないようにしている。

昔のように時々母に甘えたくなる。
思いきり肩の力を抜いて、子供の頃に戻って、
台所で料理をする母の近くにゴロンと寝転がって、安心しきってもう一度眠ってみたい。

もう、本当に大変でさ、大変なんだよまったく…と愚痴を言えたら幸せだろうな。
もっと味わっておけば良かった。

でも今、母の愚痴を聞いている時の自分は、まるでいっぱしの大人になったような気分がして悪くない。

「おかあさんも大変だよね、無理しないでね。何かあったらすぐに言ってね。」
なんて、本当は子供の私が言う。

車に乗せてあげられるし、代わりに荷物も持ってあげられるし、お掃除だって料理だってしてあげられる。
けれどもしもこの人がいなくなったら、本当に心が参ってしまった時に一体どこに行けば良いのだろう。
父のことも大好きなのに、いなくなって困らないヒトなんて周りに誰もいないのに、どうして母だけ特別そう思うのだろう。

一年に何度かしか会わないのに。

この年になってやっと、少しばかり良い生き方みたいなものがわかりかけてきた気がしたり、人生を楽しむコツみたいなものを掴みかけてきた気がしたり、知らない人の優しさに偶然出会えたかと思えば、他人のふるまいに恐怖のドン底に突き落とされて怖くなったり悲しくなったり。
そうしたたくさんの経験を、あれこれと生活に生かせるくらいには、ほんの少しくらいはマシになってきたような気がしたりもする。
もう一回やれたら、もうちょっとはうまくやれるのになあ。

でももう一回やるのも大変か。一回で良かったかも。

でももったいないなあ。色々わかったことがあるのだけれど。

ヒトに活かしてもらおうにも、このノウハウは私個人のモノだから若い頃の私にしか意味がない。

まったく人生は残念だ。
私みたいにスローモーでサボり気味だと、オロオロしているうちに終わってしまうだろう。

梅雨が始まり、お天気がジトジトと鬱陶しいのに合わせて私の心持ちもとても鬱陶しい感じになった。
でも今日は天気に逆らわずに過ごすことにする。