老猫と共に、なぜか見守られる私。

老猫ソルは、これまで何度も重体と言って良い状態から復活しているけれど、さすがに今回の復活は、日頃はソルとあっさりとした付き合いをしている主人も目を丸くした。


丸2日近く、ほとんど飲まず食わずでグッタリ動かなかったのだから無理もない。


「2本足でまた立ちそうな勢いだね。」


ーそれがもう、明け方から何度も立っているのだよ…


ハラがヘッタ!と鳴くソルに、


「おまえ、昨日の今日でよくそんなデカい声が出せるな」


と、さらに驚いている。


無理もない。


ソルには私もビックリしているし、動物病院の先生だってビックリしている。


別に大袈裟な猫というわけではないのだ。


もしも私がソルだったら、こんなに畳み掛けるように病魔に襲われたら、もっとひねくれて、誰も撫でてくれないような不幸な顔になっているだろう。


なんと言っても立ち直りが早い。


食べ物のことに意識が集中し過ぎていて、それ以外のイヤだったことは全部、すぐに忘れるようだ。


あの状態まで悪くなって、また引き返してくるなんて。


猫ってすごい生き物なのか、彼が特別なのか。


さっきもそうだった。


肺が大きく波打つような、明らかにとても苦しげな呼吸になったことに主人が気づいて、皆で切なく見守っていた。


が、私が席を立って冷蔵庫を開けるやいなや、…あ、そう言えばお腹が空いてたんだった…と、思い出したようにヨロヨロと立ち上がり、キッチンにやってきてニャオンとひと鳴き。


やっぱりカギとなるのは食に対するガッツなのかなと思わされる。


もしかしたら食への本能が他の猫よりも強めなのかもしれない。


ただそんな呑気なことを言っていても、なにしろこの数日間の目まぐるしい急変。


今度こそ、別れはもう遠くない。


早晩、利尿剤は効かなくなるだろう。


溜まった水を抜くことは彼の場合は難しい。


肺に水が溜まると呼吸が辛くなり、最終的には溺れたような苦しさだという。


その苦しさを少しでも和らげるための、ペット用の酸素室のレンタルを病院の先生に教えてもらった。


これだけ生きることにガッツがあるのなら、最期も粘るかもしれない。


長引く可能性があるのならと、念のためレンタルの段取りもつけておく。


主人は苦笑い。


「ノラネコなら薬も飲まないで5年くらいの寿命なのにね…。まぁ、後悔しないようにやったらいいよ!」


もともとソルに一目惚れして飼うことに決めたのは主人だ。


そして、紆余曲折あって10年以上の若くて健康な日々を共に暮らしていたのは実家の家族だ。


なのに、なぜに私はみんなに「まぁ、あんたがやりたいようにやったらいいよ。悔いのないようにね!」という雰囲気で見守られているのか…。


少し納得がいかないところではある。


さておき、今さらノラネコのメンタルを身に付けろなんて無理な話である。


赤ちゃんのように守られてきた家猫なのだから、最後まで少しでもスヤスヤと眠った顔を見せて欲しい。


というのは、なにしろ私のワガママからくるのだけれど、まぁ、主人も実家の家族もそう言ってることだから、後悔しないようにやらせてもらおう。