私も出産していたのだった。

少し前に、脱力生活くらぶさんの出産の記事を読ませて頂いた。
あまりにもパンチの効いた内容に、ヒーッ痛い痛い助けて〜!ハラキリノーノーね、私は子供は絶対に産まないぞ(もう産めないけどね)と固く心に誓った。

datsuryokuseikatsu.hatenablog.com


そして昨日、育児猫さんの出産時の痛みについての記事を読ませて頂いた。
こちらもまた、軽い気持ちで読むとヒーヒー言ってしまうことになる、絶妙な例えによる出産の痛みに関する指南書といった感じだった。

www.ikujineko.com


一気に読んでドッと疲れたので、立ち上がってお茶を取りに冷蔵庫に向かった。


「あー、痛い痛い…出産はホラーだね。ホラー、苦手なんだからもう。そういや昔おかーさんも、産んだ後は街で見かけるフツーのおばさんたちがみんな偉大に見えたわよって言ってたっけな。しかし女の人って大変なんだな〜」


などと思いながらマグカップにお茶を注いで、再び、どっこいしょと椅子に座ってお茶を飲んだ。やれやれ、怖かった。フーッとため息がもれた。


…。


…。


……?


……あれ、ウチ…子供いるよね。あれ???


その瞬間まで、出産の痛い話は完全に他人事、なんなら心の中で、本当におつかれさま!とまで思っていた。


しかしこの時、自分の中で完全に封印していた出産の記憶がワラワラとよみがえってきたのだった。


多分、覚えていると再び出産したいと思えなくなるので、脳が無意識に封印していて、それが、もはや出産に関係しないお年頃になったためひょっこり出てきたのではないかと思う。


あれから10数年が経ち、この先もう出産がない今、心に余裕がある。


そこで私も2人の先人に倣って、こんな感じの痛いバージョンもあったよ編を書かせて頂こうと思います。


私の出産の始まりは、買い物帰りの破水からだった。


帰宅してそのまま病院へ。もちろん即入院だった。寝ていると助産師さんが来て、おごそかに言った。


「いいですか?これからあなたは、今までの人生では経験したこともない、とんでもない痛みを経験することになります。でもみんな乗り越えています。だからあなたも絶対に大丈夫。頑張りましょう。」


陣痛が来なかったため、促進剤を2度打ったところで陣痛が始まった。


しかし子宮口が開かない。結局、最後の最後で帝王切開となった。


私の場合、出産の中で本当に辛かった記憶はここから始まる。


普通分娩のお母さんたちは、壮絶な痛みを乗り越えて出産する。


ただ、生み出したあとは割と早く人間に戻れる。


笑顔で赤ちゃんを抱き、そこから一気に育児モードに入る。


しかし帝王切開の場合は、赤ちゃんの頭が出るくらい腹を切るので、しばらく痛いし出血量も多い。


それまで陣痛モードでさんざん削られていたこともあってか、術後は誰かにさすっていてもらわないと足がどうにかなってしまいそうな辛さだった。


その後も痛みは全然ひかない。


辛くて、夜中に2度もナースコールしてしまった。看護師さんに人生初の坐薬を入れてもらった。


夜勤の看護師さんは、我慢の足りない高齢初産婦に対してとても腹を立てていた。


ものすごく不機嫌に坐薬を入れられ、こんなのみんな我慢してるのに…と捨て台詞を吐かれ、惨めな気持ちになり、布団の中でさめざめと泣いてしまった。


正直、産んだ子に思いを致す心の余裕は全然なかった。


明くる日も痛い。とにかく痛いのに、


「ここで動かなきゃダメ。このくらいの痛みは普通なの。いつまでも寝てたら腸も動かないし、起き上がれなくなるわよ!」


と、とにかく動くようにと、白衣の天使の格好をした鬼教官に指導された。


いや、本当に痛くて歩けないんです…と言うと、ため息をつかれ、本当に弱いのね…と、またがっかりされてしまった。


人から褒められたい優等生気質の私は、その後、退院するまでの1週間、教官に褒めてもらえるように這ってでも歩こうと、痛みに堪えて必死で頑張った。


でも痛い。痛すぎて毎日泣いていた。一刻も早く、この訓練所から逃げ出したい。


しかし誰も泣いている様子はない。みんななんて強いんだろう。それにひきかえ、私は本当に痛がりのダメダメ産後人間だ…そう思ったらまた泣けた。


そうしてようやく来た退院予定日。院長先生による最終チェックの前に、ベテランの(多分)看護師長さんが来た。


もしも師長さんにダメダメ産後人間であることがバレるとこのまま幽閉されてしまう…そう思い、ほうら、こんなに普通に歩けますから!と全力で歩いて見せた。


そうしたところ師長さんは、長年の経験から割とすぐに、私が恥骨を骨折していることに気付いてくれたのだった。


陣痛で折れたらしい。


横になって良いから、歩いちゃダメよ、と言われた。


ああ、もう特訓しなくて良いんだ…。ベッドに倒れ込んだのだった。


熱を測ると微熱があった。


院長先生は、うーん、熱があるなぁ…と考え込んでいたが、私はもう限界だった。どうしても家に帰りたいと、切々と訴えた。


そうして、平熱ではなかったけれどなんとか家に帰してもらった。


玄関のドアを開けると、母がゴハンを大盤振る舞いしたらしく、でっぷり太った飼い猫がのしのしと近づいてきた。


長く留守にしていたことに腹を立てていることがよくわかった。


プイッとそっぽを向いて奥に引っ込んでしまった姿に愛おしさが込み上げた。


その時やっと、全身の力が抜けたのだった。


そんな入院期間というか、訓練期間のことをひさしぶりに思い出したけれど、今でも思い出せるのはこれがすべて。


母乳指導とか、それこそ可愛い我が子と初めて対面した時とか、たくさんたくさんあるはずなのに痛みがすべてを凌駕していたらしく、ほかの記憶が一切ない。


キレイに忘れることってあるんだなと驚いている。


同時に、出産現場というのは、とんでもなく痛い場面があちこちに転がり過ぎているため、痛いことを訴えても、割とハイハイ、そうなのよ当然なのよ…と流されてしまいがちな現場であるということ、それから、生まれてきた子に注意が向きがちで、母体の方の痛みは、そりゃ痛いわよねえ、と、ボチボチ水に流されてしまいがちである、ということにも思い至ったのだった。


脱力生活くらぶさま、育児猫さま、勝手ながらリンクを貼らせていただきました。
問題があればすぐに記事を取り下げますのでお知らせいただけたら幸いです。とても面白い記事をありがとうございました。