老いる楽しみが欲しいという話。

チビデブおばさんは地味に歩を進めている。


先週受けた健康診断で、腹囲を測ってくれた看護師さんは、


「成長しましたね」


そう言ってニッコリ笑った。


これは主人に、主人の20代の頃の体重を超えてしまったことを告白した時の


「おめでとう」


と、少し響きが似ているな…と思った。

矛盾だらけの毎日だ、という話。 - onoesanとなんやかんや。



いずれにせよ、これで「ポッコリお腹」であることが公的にも証明された。



ありがとうございます。



成長したり、「おめでとう」と言われたりする機会は年々減っている。



ここは内容を深くほじくるような真似はせず、お礼を言っておこうと思う。



もしも若い頃に、"腹囲"などというプライベートなトコロでの行き過ぎを指摘されたなら。



真っ赤になって俯き、外に出られないくらいに恥じ入り落ち込み、とにかく一途に痩せようとしただろう。



いや、それ以前に健康診断の1週間前くらいからベストスコアを目指して奮闘したと思う。



歳月は怖いくらいにヒトを変えてしまう。



ここ数年は、健康診断の前日に、

今日は飲めないのか…

と思うだけである。



失いつつあるのは、人目を気にする恥じらいかもしれない。



まあともかく、腹囲に関しては一見、前向きなハッパをかけられたのだった。



がっかりしたのは視力だ。


小さな頃からとにかく視力だけは自信があった。


視力検査のたびに褒められ、驚かれた。


「出身はケニアですか?」


と聞かれたのは一度でなない。


列に並んで順番に測定していた頃は、測定後によく拍手が起きた。


30代までずっと2.0だったし、測定可能ならもっと、ずっと良かったと思う。


それが今回、1.0を切ってしまったのだった。


コレにひどい老眼も加わる。


若い頃、裸眼で雪山を滑りまくっていたから白内障にも遠からずなるだろう。


視力を皮切りに、50才の直前あたりから一気に体が衰えを見せはじめた。


子どもの成長は右肩上がりの直線ではない。


アレがまだ出来ないだの、コレが出来ていたのにまた出来なくなっちゃった…だの、停滞したり逆戻りしては親をハラハラと心配させる。そして突然ググッと成長したりする。


それと似て、大人の老化も右肩下がりの直線ではないことを実感している。

ある日ガタガタッと落ちる。

そう言うコトが何度かあり、子どもがやがて成長するように、大人もやがて気づい頃にはすっかりご老体となるのだろう。


今はその"慣らし期間"のようなものかもしれない。


聞き分けよく納得するのは辛いところだけれど、少しずつ体に教えられていく。


視力が一気に低下して辛気くさくなったが、捨てる神あれば助ける神あり。


今回良かったのは、痛いコトで有名なマンモグラフィーが大した痛みに思えなかったことだ。


年を重ねると"色々痛い"のが日常モードなので、この程度の痛みはどうってことないと思えたのか、はたまた老化に伴い感覚を受信するセンサーも劣化したからか理由はわからない。


おそらくその両方だろう。


ところで年を取ると、映画館が半額で入れたり、バス代がタダになったりする。


大変ありがたいと思う。


しかし個人的には、特権的な部門もあって欲しいと思っている。


とうとう人生ここまでクリアできたね!おめでとう!周りには感謝したかな?
それではお待ちかねのとっておきの世界にご招待しますよ的な、ご褒美めいたモノが欲しい。


嗜好食部門であれば、

「50才おめでとう!今日からいよいよハイボールをどうぞ!」

とか、

「雪見大福がとうとう食べられるよ!祝60才」

とか、

「ポテトチップスのコンソメパンチ味をそろそろ知っても良い年頃だよね!ようこそ70才」

とか、

「100才になるまでとっておいたけど、やっと、うまい棒をストローにして牛乳飲んでみる時がきだよ。咽せるかもしれないから気をつけて!」


という風に段階を踏んで楽しめたら嬉しい。


それまでは禁止としてくれたら、魅惑の味を堪能するために肺や喉の健康に気を配って何とか頑張ってみようと思うのではないだろうか。


少しずつ解禁する方式で、節目節目ごと、ささやかな庶民の人生にささやかな幸福感を。


企業の開発部門の皆様には、さまざまな分野で、生きる喜びの開発と後押しを心からお願いしたいのだった。