黒い車

主人は最近、半年前にやってきた黒い車の世話を頑張っている。


汚れが目立つ黒い車はイヤだと言っておいたはずなのに、他のことにうっかり気を取られている隙に新車の色を決められてしまった。

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半年が経った今、息子が自転車で横切るたびに擦って、順調に傷をつけている。


傷を見つけるたびに、とても切ない顔をしている。


私に、駐車場の壁スレスレに停めることを求めてくる。


停めているつもりなのだが、気に食わないようで、必ずやり直している。


今まで洗車なんて年末にしかしなかったのに、急にこまめに洗車なんかできるわけがないと思っていた。


ところが納車このかた、毎週のように何時間もかけて車を洗っている。


掃除を終えて家に入ってきても、ああ、車は炎天下の下でかわいそうに…と、つぶやいている。


洗車が終わると、最も暑い昼日中に車に乗り込み、どこかに出掛けて何時間も帰ってこない。


どこで何をしているのだろう…と、使い方を覚えたばかりのGPSで主人の位置情報を確認したら、ホームセンターにいるのだった。


ここのところ、毎週毎週ホームセンターに何時間もいる。


DIYの趣味などまったくないので、不思議に思って聞いてみたら、車が暑くて可哀想だから屋根のあるホームセンターの大型駐車場で休ませていると言う。


今までの車と扱いが違い過ぎる。


前の車がこのことを知ったらワナワナと震えるだろう。


一体なにが違うのよ、と。


私も同感だ。


我が家の3代目の黒い車。名前はまだない。


主人のハートに火をつけた。


車の買い替えは毎回、昆虫が最後にバラバラになって土に帰るのと同じように、車体がバラバラと崩れそうになって初めて検討する。


黒い車は、いつまでこんな風に大切に扱われるのだろうか。


そんな主人を見ていて、この前の冬、年下の友人とランチに行った時のことを思い出した。


妊娠中の彼女は、最近むくみがひどいと言っていたのに細身のシルエットが美しい、黒革のロングブーツで現れた。


予約しておいた個室は座敷席だったから、ブーツを脱がなければならなかったが、むくんだ足から全然外れない。


結局、店員さんと私の2人がかりでなんとか引っ張り下ろしたのだった。


友人は、その脱げたブーツを愛おしそうに、傷がつかなかったか念入りに確認しながら撫でていた。


その日の夜、主人にその話をすると、


「女の人の鏡だね。痛みや面倒くささを我慢してでもオシャレをしたい、綺麗でありたい、身につけるものを大切にする。すごく良いと思う。」


と、満足気に言った。


友人への褒め言葉に見せかけた、以前より見た目を気にしなくなってきた妻に対する小言である。


でも確かに、もしも主人が女性だったら、多少の痛みは我慢してでも黒革のロングブーツを履きそうな気がする。


汚れが目立つ黒い車体は掃除を頻繁にしなければいけない。


ということは、手間がかかる上に水道代も高くつく。おまけに傷も目立つ。


私なら絶対に選ばない。


でも主人はそういう大変さよりも、黒ならではの光沢感やなめらかな艶、フォルムが最も立体的に引き立って素敵に見える色として、妥協はできないと黒を選んだ。


こちらから見ると、大変そうだな…としか思えないが、私に足りないおしゃれ心ってそういうことなのかもねって何となくわかったような気がしたのだった。