息子が珍しく塾の宿題をしている。
息子が勉強をしている姿はめったに見られないので、見かけると胸を打たれる。
ほんの少しでも物音を立てた瞬間に、繊細なやる気は線香花火のようにポトンとこぼれ落ちて消えてしまう。
だから本当は一度近くで見てみたいけれど、気づかれないようにそっとしている。
洗濯物を干す時、ベランダから息子の部屋を盗み見てジーンとしていたら、珍しく息子が私を呼んだ。
ものすごく久しぶりに、わからない問題があるから教えて欲しいと言う。
たまに聞かれることがあっても、英語は「自分で調べろ」、国語は「大きな声で読んでみろ」、数学は「わからないから聞くな」と毎回言っていたら、そのうち何も聞かれなくなった。
いったい何を教えて欲しいのだろうと思ったら数学だった。
数学はわからないと言ってるのに…と、イライラした。
しかし、ちょっとくらいは考えてみなよ、となぜか上から目線で食い下がられた。
木が池の周りを等間隔で生えていようが、走っていたら途中で兄に抜かされようが、食塩水の濃度がさっきよりも薄かろうが、本当に興味が湧かない。あーあ、時間がもったいない。
洗濯物を干しているのがわからないのか、そのあとだってやることがいっぱいあるんだから…と言い訳を並べたてた。
引かないので、本当にわからないんだったら、その問題を紙に写して1日中持ち歩け。たとえ3日かかっても良い、どんな方法でも良いからとにかく解け、それでもわからなかったらその時初めて持って来い…と言ってみた。
そうしたら、もういいよ…と諦めてくれた。
やれやれ…と部屋を出ようとした時に、当の問題がたまたま目に入った。
一次関数の問題だった。あーグラフか。イヤな感じ。
でも、なぜだかジッと見てしまった。
…。
…あれ?
問題文を読んだら、うっかりそのまま椅子に座ってしまった。
グラフに直線といくつかの座標値、それに囲まれた面積などのヒントがあって、t値の座標を求めろとある。
台形の面積ってどうやって出すんだっけ?考えた瞬間、40年の時を超えて公式がスラスラと出てきた。
そのことに驚愕しつつ、色々当てはめて解いたら、実にあっけなく解けてしまった。
…何これ。
…週末のお楽しみの、朝日新聞の別刷beに連載されている数独や論理パズルみたいに面白い。
これ、数学じゃないじゃん、クイズじゃん。なにこれ、クイズ集なの??
他のページをめくってみても面白そうにしか見えない。
私の頃と数学が変わったのだろうか。私の頭が変わったのだろうか。
わからない。
わからないけれど席を立てなくなってしまった。
面白くて他のページもペラペラとめくって、うっかり新聞と同じ調子で問題集にガンガン書き込んでしまった。
うわー、やった!こんなにできちゃった!!と嬉しくてペラペラめくっているうちに、ハッと気づいて慌てて消し始めた。
そのうちに席を占領されたためリビングにいた息子が戻ってきた。汚い字がいっぱい書き込まれてしまった問題集を見て、
「おかあさんってそういう人だよね…」
と溜息をつき、あとは自分が消すからもう出ていくようにと言われた。
なんとなく、これでもう2度と聞かれなくなったのだということがわかったのだった。