台風と老猫のことが気になって直前まで迷ったけれど、父と母だって年を考えればいつ何があるかわからない。
「お盆の帰省は見合わせる」と電話した時の母の声が寂しそうだったのが引っかかり、やはり行くことにしたのだった。
前の日の夜中、老猫は、引き止めたいのかと思うほど普段よりも下痢と嘔吐をしたけれど、幸い明け方には落ち着いた。
投薬を済ませ、後のことは主人に託して息子と車で出発する。
寝不足の中、日帰りの強行軍である。
心配だったけれど「そういう時ほど緊張感で眠くならないものだ」と主人に言われ、ああ確かにそういうものかもな…と、妙に納得したのだった。
しかし結果的にコレは間違っていた。少なくとも私には当てはまらなかった。
帰り道、居眠り運転の危機に襲われた。
スムーズに流れていたのは最初の30分くらいで、その後すぐに恐れていた渋滞にスッポリとはまった。
そこに重ねて天候はどんどん悪くなっていった。
スコールのような激しい雨。ワイパーをマックスにしても前方が見えない。
周囲の車のハザードランプを頼りに徐行運転する。
ただでさえ最大限の注意が必要なそのタイミングで、目が開かないほど強烈な睡魔はやってきたのだった。
ここから自宅最寄りの高速出口が見えるまで、思いつく眠気対策を総動員する羽目になった。言わば、眠気対策総復習の旅である。
眠気に最も素晴らしい効果を発揮するのは、そもそも足りてない睡眠を補う仮眠である。
しかしサービスエリアに向かう車両は、左車線を長蛇の列で埋めてピタリと止まっている。
あそこに加わって完全に止まってしまったら、私の思考も完全に止まる。今あそこに加わったら最期だ。
進むしか道はない。仮眠は出来ない。
お茶を飲む。水分の摂り過ぎは危険だ。ガムを噛んだ。噛んでいるのに意識が飛びそうになる。
息子に窮状を話して協力を要請することも考えたが、彼はイヤホンを装着して夢中でYouTubeを聴いている。
反発を考えると、今は話しかける気力もない。エネルギーを吸い取られるのは得策ではない。戦力外とあきらめる。
こういう時は、もっと小さな頃の方がずっとずっと役に立った。
そもそも幼い息子の笑顔を見るだけで、眠気なんて吹っ飛んだ。
そうだ、近くを走る車に可愛い赤ちゃん、さもなくば犬、猫などは乗っていないだろうか。もしくはイケメン。そうだ、イケメンが有効かもしれない。
まあ、どれでも良いから見つけたら手を振ってみよう。ギョッとされたら、そのショックで目が覚めるかもしれない。
そう思って周囲の車を見渡すが、暴風雨で何も見えない。
全力で歌ってみる。NHKのど自慢大会に選ばれた自分を想像する。鐘を鳴らしたい。最後まで完璧に歌いきるのだ。
歌っているうちに瞼が吸い寄せられる。ダメだ。
YouTubeに登録してある中川家の漫才を聞く。何百回聞いても笑えるはずなのに頭に入ってこない。
ちぎれるくらいに耳を引っ張ってみる。引っ張ったり回したり。
頭をわしゃわしゃと搔きむしって池中玄太になってみる。
ダメだ、眠い…
頬や腿を、ひたすらつねる。効かないので頬っぺたをバシバシと叩いた。
人からつねられたり叩かれたりしたらショックできっと目が覚めるだろう。
けれど、自分でやったところでたかが知れている。人間はつくづく1人では生きられない動物だ。
息を止めてみる。これはほんの少しだけれど、覚醒を促してくれた。何度か繰り返し、やがて効力が無くなる。
エアコンの温度を一番下げる。もはやケチなことを言っている場合ではない。
息子が食べているカラムーチョをひったくる。刺激を求めて一袋食べてしまったらお腹が満たされて、逆に眠気が助長された。
主人が知ったら絶対怒るけれど、背に腹は代えられない。
暴風雨の中、運転席の窓を全開にした。すごい勢いで雨が降り込んでくる。自分も車内もビショビショになった。
大事な車をビショビショにされて怒った主人の顔が目に浮かんだ。こんな目に遭っているのに怒るなんてひどい。涙が出てきた。
窓を開けたまま、「助けてー」と絶叫した。
暴風雨の中、もちろん誰の耳にも届かない。
泣きながら何度も絶叫する。
ダメだ、もう何をやってもダメ。眠い…
と、その時、目の前に自宅最寄りの高速出口が見えてきた。緑色の看板が優しく笑っている。助かった…
そう思ったら不思議なくらいあっさり目が覚めたのだった。
ひどい渋滞の時には6時間以上かかることもあるけれど、今回は3時間とちょっと。
けれど6時間の時よりもずっとずっと辛かった。
帰宅して、猫に薬をあげたところで力尽きて、そのままソファーに倒れ込んで爆睡したのだった。