本日お手紙風です。

朝夕はようやく人心地つけるような気温となってまいりましたが、皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

 

さて、8月の終わり頃からしばらく更新をせず、また皆さまのブログを拝読することもなく過ごしており、ひさしぶりに先日更新しましたところ、無事で良かった的なメッセージを数件頂きました。

 

日頃綴っている余命宣告された老齢ヨボヨボ猫のことを心配してくださったに違いない、ついでに飼い主の私のことも心配してくださったに違いない、そう思うと、思わず駆け出してしまいたくなるほど嬉しかったです。

本当にありがとうございました。

敢えてメッセージまではね…でも、最近見かけないなとは思っていたよ、という方も(勝手に存在を仮定)大変ありがとうございました。

 

老猫も私も、おかげさまで元気にしておりました。

可愛いソルが、なんと秋を迎えようとしており感無量です。

 

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そのことに感謝し、ついでに、唯一食べても下痢にならない輸入品である猫缶の大幅な値上がり(300円が400円に)に心を痛めれば痛めるほど、紛争の続いている地域の飼い犬や飼い猫たちの事情が気になります。

 

私たちと同じように、ささやかな日常を生きていた人たちが、今、その、本当にささやかで大切な日々を奪われている。

 

昔、同居していた祖母は、部屋にあるすべての電化製品の緑色や赤色の小さな光(テレビや電話などの通電状態を表示するランプですね)、あれをすべてガムテープでふさいでいました。

夜、真っ暗な部屋の中でそれらを見ると爆撃機の光を連想してして怖くてたまらなくなるからでした。

 

祖父の右手首には弾丸が埋まっていました。それはもう骨と癒着して、触ると硬くてゴリッとしていました。もはや痛くもなんともない体の一部となってしまっていました。

 

祖父母の箪笥の中には、偉そうな箱に入った勲章がたくさんありました。それは、幼い私にはオモチャの首飾りとまるで変わらない存在で、キラキラととても綺麗だったから、よく勝手に取り出しては、並べて遊んでいました。

 

祖父はそんな孫を一切咎めず、何の価値もない、オモチャよりも価値がない、とばかり、好き放題に遊ばせてくれました。そのうち本当にオモチャ箱にしまうようになって、気づいた頃にはなくなっていました。

 

乱暴に遊んだあげく失くしたことすら、これっぽっちも叱られなかったのは、祖父自身、そのたくさんの勲章に嫌悪感を抱いていたのかもしれないし、本当に、今さらもうどうでもいいと思っていたのかもしれません。

 

話が飛びました。

 

しばらくブログから遠ざかっていたのは、大変お恥ずかしい話ですが、漫画を読みふけっていたからです。お恥ずかしい。52才・・・。

 

7月に実家から数百冊の漫画の処分を頼まれ、いつもならさほど時間をかけずに、売れるものは売り、古紙に出すものは出し、と機械的に作業をするのみなのですが、今回はそうはいきませんでした。

 

最初の半分はサクサクと進みました。比較的最近、映像化されたようなものです。

懐かしさにパッと読み返して、楽しみ、どんどん売っていきました。新しいし、処分目的の価格なため、簡単に引き取ってくださる方が見つかりました。

 

ブレーキがかかったのは「ガラスの仮面」あたりから。

正直、ガラスの仮面は長いし、古いし、読み直さなくても良いかな・・と考えていました。

なんといっても、人形役で2時間瞬きをしなかったとか、姫川亜弓のあり得ない空気イスのポーズとかが非科学的過ぎるし、連載スタートが1975年で私が4才の時です。

 

その時の主人公が13才の設定ですので、50年近く経った今、実際の人なら既に還暦を超えている。なのにいまだに20才を少し過ぎたくらい。そうして長過ぎる青春時代の間に、実際の時代が変遷しすぎて、中華料理屋に住み込みで働いていた母の元で育っていた娘は、2018年の最新刊では携帯電話を持つにいたっていました。

50年間で10才も年を取らない成長ストーリーとなると、設定がめちゃくちゃになってしまい、読む方も途方に暮れる場面だらけ…これはもうそのまま処分でいいかな…そう考えていました。

 

…ところが読み始めたら、これが完全没入です。なんていうか、熱量。これに尽きるのかもしれない。

 

特に舞台の場面は圧巻で、作者の描きたい世界に、注ぎ込んだエネルギーの大きさに圧倒されました。ここまで続いているのは読みたい読者がたくさんいるからであり、面白くなければ続いているわけがないのだと思い至りました。

 

それから山岸涼子の「日出処の天使」。

これは厩戸皇子聖徳太子)が超能力者で同性愛者という設定なのですが、よくもここまで想像力が働くな…と圧巻で、古臭さなどまるで感じさせないこと、少女漫画という枠には到底おさまりきらない世界観にただただ唸るばかりです。逆に、これを10代の女の子たちが楽しんでいたことに、大袈裟かもしれませんが文化水準の高さを思うほどでした。

 

他にももう挙げ始めたらとてもじゃないけどキリがない。

しかし、激しい経年劣化で売ることもできず、かと言って託す相手も置く場所もないのだった。

 

…あ、うっかりいつもの「だ、である」調に。

 

というわけで、ただ今、顰蹙を買ってしまいそうで大きな声では言えないけれど、漫画読破に全力を注いでいる。

 

一昨日は少し休憩(漫画を読んで休憩と言うのも憚られるけれど、熱気に当てられた感じがして)、ひさしぶりにブログを更新した。

 

それから未読だった読者登録をしているブログを一気読みした。

以前、10年以上ブログを継続されている方の記事を続けざまに一気読みした時、これがもうとんでもなくドラマチックで、内容も大変面白く、感動したことがあった。

 

だから今回も、いつも拝読しているブログをちょっと寝かせて、一気読みしたらどうだろう、と思いつき、少し溜めてみたのだった。

 

そうして一昨日、半分くらい一気読みしたのだけれど、皆さん大雑把にくくれば大体同世代、しかもたった半月だったので、ドラマチックな展開は特になかった。

お変わりなくて良かったですわ、というお年頃の方の記事ばかりを、選り好みして読みがちだったという自分の傾向性もわかった。

 

半月でもドラマチックな展開が期待されるドキドキ世代のブログもたまには追いかけて、刺激をお裾分けしてもらおうと思ったのだった。(そういう世代はそもそもそんなにブログを使わない説…)

 

とは言え、まだ未読をちょうど半分残しているので楽しみ。

ブログの一気読みはとても楽しい。

 

ところで、年内には絶対に片付けを終えたいと言う私に、そんなに思い入れがあるなら焦って処分しないでとっておき、老人ホームに入所したら読みなよと若い友人は言う。

 

けれど、あんなに視力が良かったのに老眼鏡をかけるようになった今、本を読むこともページを頻繁にめくることもやがては億劫になる日が必ず来る。時間の流れを早く感じるようになった今、その日が来るのも実はそんなに遠くはないことに気づいている。

 

幸いオーディブルキンドルもある。はてなブログをひらけば、いくらでも個性豊かな記事が待っている。読み物には困らない。今が処分のタイミングだ。

 

せめて最後に、作者への感謝と敬意の気持ちとともに、その世界を思いきり楽しませて頂こうと思っている。

 

なので、更新がとだえていたら、あーまた漫画読み耽ってるんだ、呆れる!チッ…と思って頂いて大丈夫です。

逆に、そろりそろりと皆様のところに顔を出し始めたら、あー、やっと漫画読み終わったんだ、とご理解頂けたらと思います。

 

それでは一度やってみたかった、ですます調ならではの締めのご挨拶を。

 

今日もお読みくださりありがとうございました。皆さまの日々が楽しく、幸せでありますように。