久しぶりにセンパイにしごかれた。

ちっとも痩せなくて、歩いたりストレッチしたりする日々が続いていた。当然、王道のスクワットもやっている。…10回くらい。


Juniper(id:JuniperBerry)さんは、頑張る時はスクワット70回、とブログに書かれていた。さすが目下、営業マンとの負けられない戦いに挑んでいる人は気合いが違う。私も頑張ろう。そう思い、その記事を読んだ日は、珍しくよく頑張ったのだった。


その翌日。ある団体から、研修の受講生のお子さまたちを会場内で預かってもらえないかと頼まれていたため、電車で会場へ向かった。


100人ほど収容できそうな大会議室に到着すると、後方に2畳分のマットが置かれていた。マットの隅に申し訳程度に玩具が入った箱がある。


ここでお子さまたちを2時間、研修中なので泣かさないように預かっていてね、ということのようだ。


気になるお子さまの顔ぶれがここで告げられた。


来場のお子さまは5人。


内訳は0才の赤ちゃんが3人、1才が1人、2才が1人。


…なるほどなるほど。この5人のお子様を2時間、泣かせることなく1人で預かるのか。


…。


…。


…無理だな。


早くも結論が出た。


無理無理。初対面で2時間、5人を泣かさずなんて。そもそもこの人数構成じゃ、保育園の規定にも引っかかるよ。


…と、まあ額面どおり受け取れば無理難題なのだが、こうした場合、母親から離れられないお子さまがほとんどだ。


ぐずりながら抱っこやおんぶをされ、いなされながら母親のそばから離れないだろう。別室じゃないんだから。


おそらくこのマットまで来るとしたら1才男児と2才女児だけではないか。ひょっとしたら、そのどちらも人見知り真っ盛りの時期かもしれない。


その場合、私はマットの上にポツンと2時間、1人で佇むことになる。それはちょっと淋しい。


…2才の女の子だけ、ここに来たら最高だな。


期待する展開は、可愛い盛りの2才の女の子とホンワカ2時間、このマットの上で楽しく過ごす、だ。
コレ以外ないな、という計算結果が出た。


もちろん赤ちゃんには触りたい。しかしここは会場内で、2時間泣かしてはいけないのである。


安全にいきたい、安全に。やっぱり2才の女の子オンリー。コレコレ。コレで行こうよ。


妄想していると、すぐそばに何かが無造作に置かれた。


ん?何?


振り返ると、おくるみ的なモノにくるまった3ヶ月女児がそこにいるではないか。ビックリしていると頭上から声がした。


「じゃ、すみませ〜ん!ここに置いておくんでお願いします!」


とてもカジュアルな雰囲気でそう言い放ったお母様は、そのまま、もっと近くが空いてますよ〜という私の心の声も届かず、遠くの、遠く過ぎる遠くの席に着席した。


なんてこった。


3ヶ月の赤ちゃんは、おしっこが出てもビックリして泣く。寝ていなければ大体泣く。そんな泣きレベルである。


幸い、たった今、本人は呆然としている様子だったのでそのまま呆然としていてもらうことにする。


その後に来たお母さまが、抱っこ紐から5ヶ月のお子さまを取り出してマットに座らせた。


こちらのお母様も、お子さまが鳩が豆鉄砲を食らったようなポカンとした顔をしている隙に、忍者なのかと疑ってしまうほど一瞬で遠くの席に着席。おいおい、そんなに遠くじゃ心配じゃないか!私が!


お子さまはもう、目が合ったら最後、ギャン泣き確定。そんな顔をしている。そう確信し、目を合わさないように注意しながら、そっと玩具をそばに並べる。


人生が期待どおりにいったことなんてない。


目の前で止まったベビーカーから、3人目の、6ヶ月の男の子が降ろされた時にそう思った。


当初の勝手な予定は完全に狂った。


もう来るな、母のそばにいろ…と一生懸命念じたおかげで、残りの2人は来なかった。見ると、1才男児はベビーカーでそのまま爆睡、2才女児はコチラに来たいものの1人では来られず母親にしがみついてジッとコチラの様子を窺っている。


ほどなくして研修が始まり、会場内に聞こえるのは講師の声だけとなった。


3ヶ月の女児がビクッと震え、おしっこが出たことがわかった。すかさず気を逸らすため、キラキラと光るチェーンを、催眠術をかけるように目の前で揺らす。


5ヶ月の男の子がずり這いで進み、マットから30センチ離れたところでポカンとしている。


そのままそのまま。どうかあと1時間、そこでポカンとしていて。


6ヶ月の男の子は、玩具にまったく興味を示さずひたすら抱っこをリクエストしてくる。抱っこをせねば泣きますからね、と訴えてくる。でも、1人を抱っこしてしまったら、残りの2人に何かあった時に対応できなくなる。いえいえ、そんな顔したって抱っこはできませんよ…と、いないいないばあ!をして誤魔化す。幸いとても気に入って頂けたため、3ヶ月の女の子に催眠術をかけながら、片手で顔を隠し、サイレント&エンドレスいないいないばあ!で時間を稼ぐ。


そんな、ギリギリのところで均衡を保っていたその時、主催者側の中年女性がマットの脇を通った。


マットから30センチ程はみ出た場所でポカンとしている男の子に「こっちで遊ぼうね〜」と声をかけている。


「あ、その子はそのままで…」


慌てて女性の動きを止めようとした。が、時既に遅し。


女性は、荷物を移動するように背後からお子さまをヒョイッと持ち上げ、マットの上に乗せた。


ポカンとした状態を極めていたお子さまは、いきなり後ろから持ち上げられたため、当然ものすごくビックリした。


知らない場所で、意味もわからず、あっけに取られていた赤ちゃん。彼の心の糸が、その瞬間ブチリと切れた。


静まり返った会場に、雷が落ちたような大絶叫、大泣きが響き渡った。


お友だちが泣いたら、自分はもっと大きな声で泣かなければという気概を持っている0才さんたち。


最初のお子さまの声に驚き、残る2人も盛大に泣き始めた。


…終わった。


移動した張本人の女性は、


「あら?私、余計なことしちゃったかしら?ごめんなさいね、あらあらそんなに泣かなくっても大丈夫よ〜。」


お子さまに、定型通りの慰めの言葉をかけて、そのままそそくさと会場を出て行った。
赤ちゃんたちに囲まれている。なのになんだろう、すごく孤独。


抱っこを封印した状態で、この場を乗り切ることは悔しいけれど不可能。


そう判断し、敗北感でいっぱいになりながら、やむなく会場内に視線を向けた。


この子らのお母さんは速やかにこちらに来て!そして私を助けて!とにかくすぐに来て!とサインを送る。


すると2人のお母さんがそのSOSをキャッチして、来てくださった。2人は母の元へ。オバチャン、力不足でごめんね。


残る1人を抱き上げる。ヒョイと持ち上げられたお子さまだ。


ここで初めて抱っこし、スクワットを発動する。


ひざをしっかりと曲げて、深くスクワットをすると泣き止む赤ちゃんセンパイ。


ひさしぶりにセンパイによるしごきが始まった。


スクワットをやめると会場内に響き渡る声で号泣する。もう眠くて仕方がないのだ。でもこの環境はいつもと違い過ぎる。こんなに違うんじゃ、眠ってしまうのは危険だ。ボクは今、寝ちゃダメだ…、絶対に寝ないぞ…と必死のセンパイ。センパイ、大丈夫です。ジブン、センパイに寝て欲しいっす…。ああ、初対面じゃなければ、この環境じゃなければ、5ヶ月じゃなければ今頃はとっくに夢の中なのに。


太ももが限界だ。


昨日頑張ったから、今日はスクワットはしないつもりだったのに。既に痛すぎて曲がらない太ももを決然と動かしてスクワットを続けた。


センパイ、もう足が動きません!寝てください!センパイ…お願い、寝て…。


結局、センパイは研修が終わるのと同時に寝息を立てたのだった。


そして、研修が終わるのと同時に、2才の女の子が走り寄ってきて笑顔でマットの上で遊び始めた。めちゃくちゃ話しかけてくる。どうやら私のことを安全だとジャッジするのに丁度2時間かかったらしい。もう研修は終わりだよ。本当はオバチャン、可愛いアナタと2時間ホンワカする予定だったんだよ。


人生は本当に思い通りにはいかない。


でも久しぶりの赤ちゃんセンパイの可愛さ柔らかさは圧巻で、肉体は削られたけれど、心はすっかり満たされた。ああ、やっぱりセンパイにはかなわない。自分1人じゃこんなに追い込めない。


翌日は階段を登るのも辛かったけれど、偉大な赤ちゃんセンパイたちには、やっぱり、ありがとうなのだった。