普通という凶器

今週のお題「最近読んでるもの」


「夫のちんぽが入らない」


という、かなり、かなり手に取りにくい本を読んだ。


作者のこだまさんの別の本をたまたま読み、来歴が気になったので検索したらこの本が出てきた。


5年以上も前に発刊され、漫画化、ドラマ化もされ、賞もとって話題になっていたらしいけれど全く知らなかった。


上野千鶴子さんや小池栄子さんを初めとする大勢の方が推薦文を書いている。


気になって読んでみることにした。


タイトルがタイトルなので、家族、特に思春期の息子の目に触れると面倒だと、隠れてこそこそと読んだ。


そこには、数時間で読みきれてしまうことに申し訳なさを感じてしまうような、作者のせっぱつまった、懸命で切ない20年間が詰まっていた。


すべての出来事は作者の中で既に消化済み。だから、ほどよい距離感を保って書くことができ、結果、エンタメ要素も内包する書籍として実を結んだ。そんな、書き上げた時点での著者の安定感が全体に通底していた気がする。


完全に咀嚼することはできなかったけれど、飲み込んで、気づいたら一応消化していた…そんな感触が伝わってくる私小説だった。


読んで、自分のことを気持ち悪がったり軽蔑する人もたくさんいるだろう。敢えてわかって欲しいとは全く思わない。けれど誰か、わかってくれるかもしれない誰かに私のこれまでを届けてみたい。そんな、密やかで悲痛な願望。


自分を傷つけた人たちに、その凶器がどれだけ深く自分を抉ったのかを知って欲しい。


あの時そんな気持ちでいたのかと分からせて、少しだけスッとしてみたい。


でも実際のところ、自分でも、本当にそれを望んでいるのかよくわからない。


自分を理解することすら絶望的に難しいのに、他人が何を抱えているかなんて、もっとずっとわからない。


いくら想像し、心を寄せようと努めても、すべてを理解することは不可能だ。


それでも、生きて、色々と体験していったら、それだけヒントは手に入る。そういう意味では多様な、特に困難な体験は、生きていく上で悪いことばかりじゃないな…その渦中にいる時は辛くてイヤだけどね…と改めて思う。


そして、読んで痛切に感じさせられるのは、人は、そこに存在するだけで無自覚に他人を傷つけるという事実。


他人を一切傷つけることなく生涯を終える人は、この世の中にただの1人もいない。生まれたての赤ん坊だって、時に誰かをとても傷つける。


誰しも、まったく思いもよらないところで、思いもかけない誰かを深く傷つけて生きている。そればかりは避けることができない。たとえどんな人でも、そうなのだ。


同時に、無自覚に誰かに傷つけられていることもある。傷つけられている自覚すらまるで持たずに。


普通という概念の、なんて厄介なことだろうか。


私たちは皆、なんて窮屈な場所に存在しているのだろうか。


そんなことに思いを巡らせてしまう一冊だった。