最近、スーパーに買い物に行くと、
「え?カゴの中、こんなにスッカスカですけど?いつも通り、つましい食材だけですけど何かの間違いでは?」
と、レシートを見てため息が出てしまうことが多い。
物価がどんどん上がっている。
結婚した当初、主人も私も細かいことが苦手で、押し付けあった結果として、やむを得ず家計管理を担当するハメになった。
しかし、最初はイヤイヤだったものの、だんだんと「節約」というものが面白くなっていった。
何か「不必要なモノ」「余分なモノ」「意味のないモノ」は、ないだろうか。
日々の生活の中で「削れるモノ」を物色する。
それが密かな楽しみになった。
もう15年くらい前の話だ。
主人が焼酎を飲みながら言った。
「あー。やっぱり良い焼酎は味が全然違うな。」
別の日に、コーヒーを飲みながら言った。
「あー。やっぱり豆が良いとコーヒーの味が全然違うな。」
この場合の「良い」は、「高い」と同義語である。
主人の口癖は、
「お金のことはいいから良いモノを買って。」
である。
だから(安く購入しても)
「これ、けっこう高かったんだ。」
と言うと、安心してくれる。
要するに、高いモノだと思えれば良いはず、だった。
主人の不在時に、大五郎の4リットルを「良い」焼酎の瓶に注ぎ入れブレンドし、割合を少しずつ変えていき、舌を慣らしてもらっていった。
最初の数日間こそ、どうだろうか…と心配していたが、わずか2週間で完全な移行に成功した。
たまに「良い」焼酎の空き瓶を、台所の脇に飾る演出も忘れなかったし、大五郎の大きなプラスチックボトルを外の物置に隠すことも忘れなかった。
「昔、子供の頃にさ。じいちゃんが飲んでる熱燗の中身をお湯に入れ替えたんだよ!でも、うめぇ!って言いながら気づかないで飲むからおかしくってさ。
階段の陰で必死で笑いを堪えたなぁ!
あれはホントに面白かった!」
などと主人が話した時には、内心ギクリとしたが、
「ホントに?へえ。案外気づかないんだねえ。」
と、落ち着いて相槌を打つことに成功した。
その後コーヒーに着手したのは、節約というよりも完全に次なる"刺激"を求めてのことだった。
こちらは酸味という点でバレるかもしれないという心配があった。
台所の隅で、速やかにインスタントコーヒーの粉をかき混ぜて提供した。
刺激を求めてやった割に、全く問題なく移行することができた。
そうして大幅なコストダウンに成功した。
数ヶ月間は完全犯罪だった。
ところがある日、スプーンでカラカラと混ぜる音を聞かれてしまい、すべて白状することになってしまった。
それからは大変疑り深い目でコチラを見るようになってしまった。
残念なことだった。
あれから早15年。
ほとぼりもすっかり冷めた。
昨今の物価高の中、やりくり上手な主婦として、再び抜本的な節約に立ち上がらなければならない。
しかし。
子どもが生まれ、コーヒーはインスタント、焼酎は紙パックなのは既にかなり前から同意の上だ。
住宅ローンやら病気三昧の猫を抱え、秘密裏に遂行可能な節約箇所など、もはや何ひとつ残されていないのだった。