少し前から右の前脚が痛むようで、びっこをひくようになったルナ(雌猫15才)。
ああ痛そうだなと思って見ていると、目が合う。
目が合うと、
「なに?いつもどおりなんだけど?フツーに歩いてるけど?見るのやめてくれる?フン!」
と、その瞬間からシャキシャキとかっこよく歩く。
ルナはいつだってそうなのだ。
急性腎不全になった時もそうだった。
石油ストーブにあたる私のそばに突然ヨロヨロと来て、そのまま何も言わずに(猫だから言わないのだけれど)パッタリ倒れた。
目も合わせてくれなかった。
「痛くて気絶したように見えてるかもだけど、フツーに寝てるだけなんだから…ね。フン!」
という感じだった。
動物病院で、ルナの「おかあさん」と呼ばれることにずっと違和感があった。
私はルナのお母さんじゃない気がする。
ところがソル(雄猫15才)を連れて行く時には、その呼称になんの不自然さも感じない。
素直にソルのお母さんという呼び名を受け入れている。
少し前にも書いてしつこいのだけれど、やっぱり種を超えて共通する性差がある気がしてならない。
(もちろん甘えん坊な雌もたくさんいるし、あくまで私見であります。)
哺乳類だけではない。
カブトムシを飼っていた時も、オスの方が圧倒的に存在感があった。
オス1匹に対しメス4匹くらいのケースの中で一番大騒ぎをし、ゼリーをガツガツと食べ、あたりを汚しまくった。
そしてあっけなくサヨウナラしたものの、全員に卵を産ませたのか翌年にはとんでもない数の幼虫が出てきた。
熱帯魚をたくさん飼っていた時もそうだ。
水槽のヌシのようにデンとのさばって、全体の空気をピリリと締めていたマーブルグラミーはメスで、私の姿を認めると水槽のヘリに寄ってきては可愛くシュリンプをねだったオスカーはオスだった。
何かを訴える時、ソルは要求がかなうまで様々な声色で鳴きまくり、うろつき、スリスリと甘えてくる。
一方ルナは、少し距離を置いて、ひたすらまっすぐこちらを見るだけだ。
保育園でも、性差を感じる場面は山ほどある。
保育園というところは、小さなハプニングが集まってできているような空間である。
ひとりとして同じお子さまはいない。
毎年毎年、こちらの想像の上をいくようなことが起きるし、起こす。
それ自体は何も男の子に限ったことではない。
好奇心の塊のような女の子もたくさんいる。
ただ、同じことを「やらかした」場合(言葉に語弊がありますね)、たとえ0才さんのクラスでも、女の子は、大人の顔色を見るだけで、それがどれくらい危険だったり、こちらがやって欲しくないことだったのかを瞬時に見透かしてしまうことがある。
一方、男の子が「やらかした」場合、たとえどんなにこちらが「イヤだった」とか「危なかった」ということを、これでもかと力説してもあまり気にしてもらえないことが多い。
だから何度だって繰り返す。
やめてもらうには、何度も繰り返して、いよいよ本人が「これはもう飽きたな」とか「ちょっと怖かったな」と思ってくれるのを待つのが結局のところ一番早かったりする。
飽きてくれるその時まで、それは真剣な顔つきでアホなことを繰り返す姿を、まったくもう(可愛いくて仕方がないんだから…)と言いながら、見守るのみである。
こちらの許容の限界を大きく超えるのにも関わらず、男の子本体は全然変わってくれないため、結果的にこちらの器の方を男の子に合わせて大きくせざるを得なくなる…というのが、男の子をたくさん生んだお母さんが"小さなことを気にしないキャラ"に変貌していくメカニズムなんだろうな…と思っている。
(でもそんな中にも、時々、こちらの様子を観ることにとても長けている男の子もいる。良い悪いではなく、こういう子がまぁモテるんだろうな…などと勝手に想像したりするのだった。)
ルナが、びっこをひくほどではないけれど、心なしか片脚を庇っているような気がしたのはもう1年以上前で、その時は、老化による関節痛という診断だった。
それが悪化しているのかもしれない。
通い詰めすぎて、見ていて恥ずかしくなるくらい診察台でゴロゴロとリラックスするようになったソルと違って、ルナにとって病院は恐怖のドン底だ。
昨日から、少し距離を置いて、ひたすらまっすぐにこちらを見つめるルナ。
そろそろ病院に行ってみようかねと、やんわり声をかけている。