保育園で。ママの顔が曇ったのが目だけでわかった、という話。

勤めている保育園では年に3回、保育参観がある。

今年も、年度最後の保育参観が近づいている。

3才くらいまでのお子さまたちは、ひとたびパパやママの顔を見つけたら最後、もう戻ってきてはくれない。

たとえ戻ってきても、嬉し過ぎてチラ見が止まらなくなる。

だから、パパとママにはあの手この手で正体を隠していただく。

やり方はさまざまだ。

例えば。

吊るされたカーテンに開けてある小さな穴から覗き見る。

帽子やマスクで顔全体を隠す。

全体的に変装する。

変装を通り越して仮装する…紙袋をかぶったり着ぐるみを着たり。
(この場合、場を共有することは出来るが、落ち着いて我が子を見ることはムズカシイ。)

…などなど、部外者からしたら笑ってしまうが、お子さま相手に必死である。

勤めている園では、保育室の窓全面に目隠し用のシートを貼っている。

貼るときに、窓枠から2センチくらいのスキマを開ける。

そのスキマから中を覗いてもらうのである。

保育室の中から見ると、週刊誌などで一般人の目の所が黒塗りされたりするけれど、逆に黒塗りされる箇所だけが見える状態となる。

最初の頃は、目だけがたくさん、色んなところからコチラを見ているのでドキドキした。


いずれの方法を取るにせよ、とにかくお子さまに気づかれないように、パパ、ママには全力で気配を消して頂く。


戸外へお散歩に行く際には、充分な距離をとって遠巻きにご覧頂く。

忍者のように、時に茂みに隠れながら回り込むなどし、距離を取りつつ、悟られないように迅速についてきてもらう。

ご両親で参観に来られる場合は問題ないが、パパが一人で来て単独行動をとってしまうと、ご近所の方から不審者に間違われて通報されてしまう危険があるので十分な注意が必要だ。


去年の参観の時のことだ。

その日、9時過ぎに0才さんの保育室に入ると、既にお部屋の窓のスキマからは、たくさんの熱い視線が注がれていた。

毎回、参観の朝は気が重い。
その目線は、私などには少しも注がれないことは分かっている。
皆さん、可愛い我が子を見に来ているのだ。
けれど粗相のないようにせねばならない。

最初の3分くらいは緊張している。
(3分も経つと、見られていることを意識する余裕などすっかりなくなる)

その日も、ママ手作りのチュニックワンピースを着たチズルちゃんはとっても可愛らしかった。

チズルちゃんのママは、あろうことか布おむつカバーまで手作りする、お裁縫がとっても上手なママである。

だからチズルちゃんは、いつも、ママが作った可愛いチュニックワンピースを着ていた。

本人も1才にして、
「この服を着たアタシは、かなりイケてるみたいね」
と思っている。

登園するとしばらくの間、裾がなびくようにクルクルとまわってみせる。

それがチズルちゃんの日課だった。

そして我々保育士は、チズルちゃんがひとしきり回り終わると、

「そろそろ詰めましょうか」

と誰かが言い、そのタイミングでおトイレに誘う。

オムツを交換したら、履いているレギンスの中に、チュニックの裾をぎゅうぎゅうに詰め込む。

それから、パンパンに膨れあがったレギンスを、これでもかと上に引き上げる。

それが日課だった。


上着の裾は下のズボンに収めなければならない。
当たり前のことだった。

理由はもちろん、おともだちが引っ張ったり、何かにひっかけたり、自分で踏んづけたりと、そうした事態を回避するためだ。


ただチズルちゃんは、着ている服の性質上、圧倒的過ぎるちょうちんブルマ感だった。

だからよく、

「ママにはちょっと見せられないですね…」

などと話していた。


そのくらい、チュニックワンピースの裾を、紙オムツの上に履いたレギンスに詰め込むと、ちょうちんブルマ風になってしまう。

1才のお子さまだから、何をどんなふうに着ていたって可愛い。

だけど、ちょうちんブルマの醸すテイストは、オシャレなチズルちゃんのママが意図した可愛さとは別の可愛さだ。

だから保育園では、実のところ、お散歩に行く時ですら、ず〜っとその格好なんだけれど、お迎えの時にはしれっと元に戻していた。


ところが参観の時、このことをすっかり忘れていたワタシは、いつも通りパンパンに詰め込んだレギンスを思いっきり上に引っ張り上げてしまっていた。


そのスタイルで、チズルちゃんと一緒にオムツ替えのスペースから出てきた時、たまたま外から覗く視線と目が合った。


窓のスキマから覗いているのは明らかにチズルちゃんのママで、顔が曇ったことが目だけでわかってしまった。そうして、やってしまったことに気がついた。


でも、もうどうすることもできない。

せめてもう少し控えめにやれば良かった。

今日のレギンスは大きめだったから、胸の辺りまで引き上げてしまっていた。


そうして。

その日を境にチズルちゃんのワンピースの裾はすべて短く詰められたのだった。

ちょうちんブルマのチズルちゃんも、チュニックワンピースに負けないくらい可愛かったので、密かに残念に思っている。


※これはあくまで私の体験談をベースとした話です。保育方法をはじめとする諸々は保育園によって千差万別です。

世界には、宇宙から始める1年生もいるというお話。

唐突ですが、一時期、将棋の藤井聡太さんで大いに有名になったモンテッソーリ教育


「え?ウチの子も天才になれちゃう?」と、人気が高まって、幼稚園や保育園では、程度の差こそあれ、導入しているところが結構あります。


ただ、そこまで。


日本では、モンテッソーリ教育の小学校となると認可外小学校となってしまうので、わずか数校しか存在しません。


でも、モンテッソーリの小学校で一番最初に教わる「宇宙教育(Great Story)」


これが、日本のフツーの小学校の一番最初と全然違うので「へぇ〜〜っ」てなります。


かなり昔、日本のフツーの公立小学校の1年生だったワタシは、

「こんな風に小学校のお勉強がスタートするのも良いな〜」

って思ったりします。



というのも、日本のフツーの公立小学校に入ったら、国語、算数、理科、社会、体育…と、科目別にそれぞれが、よ〜いどん!とスタートします。


それはそれでワクワクするけれど。


モンテッソーリ教育の方は、まずは大きく広く、全体から、というスタンスです。


考えられる一番大きなVisionということで、宇宙のお話からスタート。


入学すると、まず、ビッグバンから銀河系〜地球誕生までを、先生が物語のような形で易しく語ってくれます。


それから、岩とか水とか大気とか。
それぞれが調和しながら地球が形成された話。非生物のお話。


次に生命の誕生。人類が現れるまでのお話。


そして人類の誕生。
知性とか、愛とかココロの起源。


で、文字。
文字が生まれて「歴史」の始まり。
知恵の深まり。


で、数字の誕生。ゼロの発見。



最後に、大いなる川の物語、です。

この物語は、人間の体、内臓器官を巡る血液のお話であるのと同時に、社会を網羅する流通のお話でもあります。



6章から成る一連のお話を、入学から卒業までの節目節目で何度も聞かせてもらえます。


知識が深まると、物語もどんどん深く理解できるような仕組みになってます。


初めてキチンとお勉強をスタートさせる最初の最初に、こんな壮大な話をわかりやすく聞かせてもらえるのってめっちゃ親切!



「なんで勉強なんかしなきゃいけないの!?」

の前に、本当は幼少期のワタシなどにもあったはずの知的好奇心がくすぐられるかもしれない。



実際の先生の語りでは、火山の噴火なんかをミニチュア版で実演してくださったりします。



まぁモンテッソーリキリスト教の信者なので、宗教くさい部分もあるのですが、高学年になってくると、お話の中に登場する「神様」を「科学」に置き換えて内容を理解できるようになっていくようです。



また、モンテッソーリ小学校には教科もなければ学年もない。
そんな学校も楽しいかもしれない。



Great Storyから始めてもらったら、冬の星座観察ももっと真面目にやったのではないか。

アサガオの観察に、生命の神秘を感じて夢中になったのではないか。


いや。


「壮大な宇宙の歴史の中にあっては、夏休みの宿題なんてホコリカスですらないから」


…などと悪態をついて、宿題を放り出している自分が目に浮かぶ。



向き不向きはあるかもしれません。

とうとう、この日が来たという話。

正月明け、成人の日の昨日。
ついにその日がやってきた。


ーもうすぐ来るかもしれない。


そう怯えつつも、さすがにいくらなんでもそれはあり得ないだろう…と考えを打ち消して、やり過ごしてきた。


しかしXデーは着実に、近づいていたのだった。


考えるだけでも恐ろしい。


恐ろしい。


が、そのXデーが来るのを待っている自分も、実は同時にいたのだ。


その日が本当にやって来たら、いくらなんでもさすがに自分のココロも定まるであろう。


定めなければならない。


このような生活を、終わりにしなければいけない。


そんな予感めいた気持ちを持ちつつ、静かに忍び寄るXデーの陰に怯えながらも日常、そして年末年始を過ごしていた。


で、とうとうその日が来た。

とうとう体重が、主人の20代の頃の体重を超えた。

結婚した当時、こんな日が来るとは主人はもとよりワタシも想像すらできなかった。

身長差約20センチ。

今でこそ中高年になり、彼の方とて体重計には手を焼いている。

しかし若かりし頃の彼を抜いてしまうとは。

これは何を意味するかと言うと、

「巷を歩いている痩身の20代の若者よりも重い」

ということを意味します。


「50代のチビでデブなオバサン」が、ここに誕生しました。

どうぞよろしくお願いします。


いや、どうしよう。

はっきり言ってうろたえている。

でも、この、たった今感じている、

「チョーやばい」

この感覚こそワタシが欲していたものでもある。


ここまで切羽詰まらなければダメだった。

崖っぷちから実際に落ちない限り、まったく動く気になれなかった。

どうやら本気を出さなければならない。


この正月、カニも食べた。
スキヤキだって食べた。
クリスマスには鳥の丸焼きまで作って食べた。


幸せな過去の話だ。


今年の目標など、とっくに立てて既に始動されている皆さま。

遅ればせながら、不詳ワタクシも皆さまの後に続いて頑張りたいと思います。

五十九、今年最初の動物病院に行ってきた話。

怒涛の体調不良ラッシュによる病院通いを繰り広げているソル。

果たして年末年始の休診期間中に、体調を崩さずにいてくれるだろうか。

救急には行きたくないな…。


と、色々心配していたけれど、意外にも何事もなく10日間近くを過ごしてくれたのだった。



「ソル、ありがとね!」




そう。

何気なく言ってしまったのだった。


本当にうっかり。


気を抜いていた。


血の気が引き、後悔が押し寄せる。


が、時、すでに遅し。



ソルには決して、

「最近、調子いいね。」

とか、

「ここんとこ、順調だな。」

などといった、

「手がかからなくなった」「世話が減る」ことを喜ぶかのような雰囲気、態度を見せてはならないのだ。


そういう特性を持ったネコなのだ。

青春か。じいさん猫にニキビが出来た。 - onoesanと猫と保育となんやかんや。

四十八、動物病院入院3日目。尿道の石をやっつけろ! - onoesanと猫と保育となんやかんや。


なのに今日、またしても性懲りも無く、年末は助かったよという旨の、感謝の言葉を口に出してしまった。


かくして本日、原因不明のヒドイ下痢となり、今年最初の受診となった。



年末、動物病院には年賀状を出していた。


年賀状を出すこと自体、そろそろ手を引こうと思っているくらいなのだが、今年はムスコから写真の掲載を断られたため、ルナとソルの写真ばかりペタペタと載せた。


そうなると、なんとなく、このヒト(ネコ)たちの唯一の知人?いや、恩人に送らないのもどうかな…と考えたのだった。


年賀状を送りつけたのが何となく気恥ずかしく、ソワソワしながら入口に立っていたところ、先生の方から年賀状のお礼を言って下さった。


良かった。



「あのような"かぶりもの"は嫌がったりしませんか?」


と聞かれたが、見ての通りだ。

どこからどう贔屓目に見ても、嫌がっており、かなりご立腹。
ビックリするほど可愛くなかった。
松重豊さんのような渋い感じになってしまった。

2匹とも、年賀状なのにこんなに不機嫌で良いのか、というくらいには気分を害していた。


正直、去年あれだけ世話をしたのだから、数秒間くらい可愛い顔をしてくれても良いではないか。



で、下痢の方は、

「何か拾い食いしたのかもしれませんね。」

とのこと。

床に落ちていれば、食べても良い療法食以外の、ゴミとかホコリとか全部食べる。

療法食以外の吸い込みが抜群のルンバである。


ましてや父が来ていた。

ずっと父のそばにいなければ、と思った話。 - onoesanと猫と保育となんやかんや。

何を食べていても不思議ではない。


様子を見ようという話で落ち着いたのだった。


膀胱結石に関しては、幸い、手術後から試している結石用のサプリメントが、先生の予想を遥かに超えた効き目を発揮してくれていた。

エコーを確認すると、切開手術後もしぶとく点在していた石が見えなくなっている。


新年早々なんてメデタイ話だろうか。


「ソル、良かったね!」


言いかけて、慌てて言葉を飲み込んだのだった。

町内会の役員決めに参加した話。

次年度に向けての話し合いがあるということで、新年早々、町内会から呼び出しがあった。


いつもならスルーしてしまうところだが、今回は組長の任期に当たるため、重い腰を上げて参加した。


町内会館は急階段を上ったところにある。

時間ギリギリに、心臓をバクバクさせながら上っていくと、先を行く人はことごとく高齢の方ばかり。

皆、必死に階段をのぼっている。


「今日は何か老人会の催しでもあるのかな…」


考えながら到着すると、特にそういった催しはなく、階段を上ってきた人たちは皆、話し合いに出席する人たちだった。


今、この辺り一体は急激に高齢化が進んでいるのだ。
現実を目の当たりにした。



皆が席に着くと、現会長がヨロヨロと中央に進み出て、早速、総会が始まった。


なんと私が最年少だ。もう、そんな体験は人生最後かもしれない。

とんでもなく久しぶりに「若い人」になった。


会長はマイクを持つと、

「現町内会長をしております、クスノキ、と申します。
新年早々、皆さまをお呼び出しいたしましたのには、ワケがございます。
実はワタクシ、昨年末にベランダで日光浴をしておりましたところ、急に意識がなくなりまして。救急車で運ばれたのでございます(一同ドヨメキ)。
その後、目の調子もおかしくなり、眼医者に行ったところ、緑内障にもなっていると。
他にもカラダのあちこちに不具合が生じまして、今は1週間に3回、お医者さんに診てもらっているような状況でございます。
色々と考えた末に、この会長という役を降りさせていただくことを決断いたしました。
思えば、皆さまのお役に立ちたいと考えて、昭和の時代から云々…」

クスノキ会長のお話は、その後30分くらい続いた。

どうやら、体調不良のため会長職を降りたいということのようだった。



続いて、副会長のシゲタさんが前に出てきた。

「ワタクシ、副会長のシゲタ、と申します。
クスノキ会長は長年にわたり、この地域の発展のためにに多大なご尽力を…略。
このたびは、是非、ワタクシに次期会長を任せたい、という身に余る光栄なお話を頂戴した次第でございます。
ところがワタクシ、このところ、めまいがすることが多くなりまして、今日もこの階段をのぼる最中に、どうしたことか、うずくまってしまった次第でございます。
会長の、是非ともこのシゲタに、というお気持ちに応えたいのは山々ではありますが、このポンコツなカラダでは、とてもこの大事なお役目をまっとうしてやる、と意気軒昂に申し上げられない次第でございます。
思えば、クスノキ会長と二人三脚で昭和の時代から云々…」

シゲタ副会長のお話は、その後20分ほど続いた。

どうやら、会長にはなれない、ということのようだった。



ーでは誰が会長をやるのか。



まずは自己紹介をしましょうという流れになった。

到着した順に席に着いたので、私は一番最後である。


「ワタクシ、3班代表のカワゾエでございます。一昨年、くも膜下をやりまして。
今、奇跡的に生かされましてリハビリに励んでいるところでございます。」


「5班の組長をしております、コンドウと申します。
一昨日の囲碁初打ち会に参加された方は既にご存知でありますが、ワタクシ、心臓をやられまして。
幸い、どうにかこうにか退院して元気にやっとります。
ただ、ついつい頑張りすぎる性分でございまして、ムリは厳禁などと医者からいつも怒られる始末であります。」


などと、次から次へと様々な病名の報告が続く。

さながら病歴の発表会の様相を呈してきた。


皆さん一様に、それじゃあ会長は無理か…という説得力のある病名を次々にぶちかましてくる。


どうしよう…自分の番が近づいてくる。
私の焦りは高まるばかりだった。

ーパンチの効いた病名を繰り出さねば、このままでは会長になってしまう。ナニカナイカ…。
飼い猫の病気ならいくらでもあるのに。
いっそソル(飼い猫)に代理出席してもらえたら絶対に勝てたのに…。
どうする?更年期が辛いことを告白してみようか…いや、更年期はもうみんな興味がないだろうから聞いてももらえない可能性が高い…そもそもそんなカードじゃ、とても勝負になりそうにない…。


頭の中で色々な思いが逡巡する。


待てよ。隣に座ってる女性は、この中では若そうだし血色も良さそう。背筋もピンと伸ばしてお元気そうだ。彼女に賭けるしかない。頼む!健康体でありますように…。


やがて彼女の番が来た。
祈るような気持ちで彼女の自己紹介に耳を澄ませる。


「皆さま、ノグチでございます。初めまして、の方もいらっしゃいますね。9班でございます。
ワタクシ、こう見えて実は、おなかの中はもう、空っぽなんです…」

それから、再三にわたる癌の摘出手術を受けていることを赤裸々に明かした。



ーもう完敗だ。
次期会長のワタシ、おめでとう…。
せっかく中学校のPTAのくじ引きで当たってしまった校内美化委員会の副委員長職がもうすぐ終わるっていうのに何てこった…。


そうして番が来た私は、立ち上がった。

「8班から来ました。コレと言った大きな持病は抱えておりませんが、果たして会長が出来るかと言われると、ちょっと…」


繰り返される自己紹介という名の病名発表のたびに、「まあ…」とか、「ああ…」とかざわめいていた部屋の中が、水を打ったように静かになった。


と、そこへ誰かの声が。


「あらあら、現役ちゃんはいいのよう!」


…現役ちゃん??


「そうそう、現役は関係ない。」

誰かが続く。


「現役ちゃんは、大変なんだから。今日来てくれただけで十分なのよ。ありがとね。コレは私たちの問題だから。」



ーえ?そんな仕組みなの?そもそも現役ちゃんとは!?


現役ちゃんとは、年金受給をしていない、子育てや仕事に従事している人のコトを指すのだった。

そして現役ちゃんは、町内会の役員はやらなくて良い、という暗黙の了解があるようだった。


知らなかった。

知っていたらこんなにドキドキしなくて済んだのに。


ありがたく、他の皆さんで決めている様子を他人事のように眺めつつも、


ーこのような裏方のボランティアを、病気を抱えながらやって下さっているのだなぁ。


ということに初めて思い至り、心から感謝したのだった。

そして、来たるべき免除のなくなった日に、果たして自分は健康でいられるだろうか、ポンコツでございまして…などと挨拶していないだろうか、考えてしまったのだった。


とにもかくにも急な階段には、くれぐれも気をつけて活動して頂けますように。

ネコはキライだったという話。

小さな頃から犬が大好きだった。


今も動物病院に行けば、犬の患者さんたちを舐めるように物色してしまう。


もしも自分の飼っている大型犬のカラダに顔をうずめられたら、どんなにか幸せだろう。


華奢でクリクリとした目、赤ちゃんそのもののような小型犬の振る舞いにも目が離せない。


あー。もう、犬!なのである。



一方、ネコはキライ、大っ嫌いだった。


小学校に入学したての頃、父が、庭の生垣の下で弱っていたシジュウカラを保護した。


鳥好きだった父は、庭に大きな専用のケージを自作し、そのまま大切に育てていた(違法です)。


とても賢くキレイな小鳥で、ヒモにエサになるものを吊るすと、器用に託しあげて上手に食べたし、ケージのそばに行けば愛らしい声で鳴いた。


大体このテーマで、この流れで、その後どうなったかは察していただけると思う。

今だに悔しくて泣きそうになるので、略。


ネコにやられた("やられた"を漢字に変換すると泣きそうになるので仮名表記。)のは、この子だけではない。


巣から落ちてきたヒヨドリの雛。

母鳥が迎えに来たまさにその時、目の前で…略。



当時は、あまりの悔しさに、「泥棒バカバカ猫」という曲を作り、毎日ピアノで弾きながら憎々しげに熱唱していた。
(多分今も弾くことが出来る。)



サカリのついたネコには、父にならって水をぶっかけたし、塀の上から睨みつけてくるネコがいたら、全力で睨み返した。



あと、ネコは昔、よく車に轢かれていた…略。



子供心には不気味で、良い思い出がひとつもなかった。



それが、まさか2匹も飼うことになるとは。



本当は犬が飼いたかった。



でも、当時はペット禁止の賃貸に住んでいた。

猫ならばバレないのではないか。

それで猫を飼うことを考え始めた。


不妊治療で精神的に参っていて、とにかく愛情を注げる存在が欲しかったのだ。


バレないのではないか、と考えて猫を飼うことを画策したのに、身体の芯まで小市民の私は、結局は直前で大家さんに相談した。


「あらぁ…。私も飼ってるのにダメなんて言えないわね。」


大家さんは70代の女性で、15軒が入居するその賃貸住宅の真向かいにある一軒家に、雑種の小さな犬と共に1人で住んでいた。


「ダメ」と言えないワケがなかった。



同じ会社の家族ばかりが住む、まるで社宅のようなその住宅の中では、私以外はすべて専業主婦で、小さな子がおり、出産ラッシュでとても仲が良かった。



不妊治療をしながら働く身にはとてもツライ環境だった。



気持ちをわかってくれていたフシもある。


数日後、正面玄関の掲示板に「小型のペット飼育可能とします。」と、達筆で大きく書かれた半紙が貼り出された。


こうしてルナとソルは我が家にやってきた。

一、そして再び飼いネコ2匹。 - onoesanと猫と保育となんやかんや。


あれから15年の歳月が流れ、今では、イヌとかネコとかいうよりも、ただのヨボヨボの家族である。


よく考えたら、あの時、大家さんに許可をもらえたのだから、犬を飼うことも出来たのだ。


でもアホな私は、飼えるという事実で頭がいっぱいになり、「猫を飼える」というところで思考が停止してしまった。


おかげでネコがキライだったのが過去の話になった。


アホで良かった。

保育園で。「はて?」から始まるという話。

※これはあくまで私の体験談をベースとした話です。保育方法をはじめとする諸々は保育園によって千差万別です。


0才クラスから入園するお子さまには、正真正銘の「赤ちゃん」もいれば、1才近い歩き始めのお子さまもいる。


心身ともにダイナミックな成長を遂げる、そしてそれを目の当たりに出来るクラスである。


一番小さなお子さまは、まだ寝返りも打てなければ座ることもできない。

「おなかがすいた」
「ねむい」
「あつい」
「さむい」
「かゆい」
「いたい」
「きもちわるい」

もう少し育ってくると、

「つまらない」
「かなしい」
「さびしい」

など。そういった諸々をすべて泣くことでしか表現できない。

だから一生懸命に泣く。

どうして泣いているのか、考えられる原因を探って対応する。

わからない時もある。

考えられる理由のすべてを確認しても泣き止まない時は、担当を変えたり、心地よい音を聴かせたりすると、意外な発見があったり落ち着いたり。

この時期のお子さまの泣き声というのは、自らの不快を取り除いてもらうための唯一の手段なので、それはもう耐えがたいトーンの大音量で、とにかく一刻も早く静めたくなる。

ワンオペのお母さんが泣きたくなるのは、こういう時だろうな…と思いつつも、こうした時間はほんの束の間だと身に沁みているため、また、1人で見ているわけではないという安心感もあってだろう、むしろ、この懸命な泣き声を味わっている自分もいる。


この時期はみんな、可愛く笑うことも増えるものの、まだまだボーッとしているように見える時間も多い。


そして、最初の最初の頃というのは大抵、

「はて?」

というお顔をしている。


海苔を貼り付けたような眉毛で、小さな頃のえなりかずき君にそっくりなトオルくんは、「はて?」のお顔がとてもよく似合っていた。

泣いているトオルくんに、

「おなかが空いたね。」

「はて?」

「つまんなかったね。」

「はて?」



ここが、始まり。


少し経つと寝返りが打てるようになる。

やがて自らの腕の力でググッと地面を押して、顔を高く持ち上げられるようになる。

自らの手で視界を一気に広げた、この時の勝ち誇った顔には毎回とても感動する。

そして、この頃だ。
がぜん、イキイキとした表情になってくる。
目がキョロキョロと辺りを見回す。


「おいおい、なんだなんだ!?この世界は?」

とでも思っているよう。


そしてハイハイが始まり、椅子や階段をよじ登りまくり、伝い歩きをして、歩き始める。

視界はさらにどんどん広がる。
(視力もこのあたりで1.0程度)

好奇心が溢れ出す。

そうなるともう、「はて?」なんて顔、してられない。


自分からどんどん見つける。

そして新たな発見をしては、

「あっ!」

と指さして教えてくれるようになる。


ヒラヒラと落ちてくる葉っぱを見つけて

「あっ!」

っていうお顔。

ああ。
世界の素晴らしさにとうとう気がついたか!


(カラダはツライけど)なんて幸せな仕事だろう。



そして、とうとう。

とうとう、コトバ。


お散歩で車を見かけて、

「クウマ!」

園庭に転がっていたボールを見つけて、

「(ぼ)おる!」


それはもう世紀の大発見とばかりに教えてくれる。


まだまだハッキリとした言葉ではないから、こちらもリスニングには相当気合を入れなければならない。


ここで、お子さまの意図を汲み取れるか汲み取れないかで、

「コイツはハナシのわかるやつ」

かどうか、お子さまにジャッジされるのだ。

何を言いたいのか、耳に全神経を集中させ、推理を働かせる。


ある日、トオルくんが真っ青な空を見つめて、

「あ!」

と指をさした。

トオルくんは真剣に空の一点を見つめている。

なんだろう。何を発見したのだろうか。

必死でトオルくんの目の先を追う。

わからない。

「はっぱ?」

「こーき(ひこうき)?」

「ちょーちょ?」

トオルくんの伝えることができるコトバを並べる。

しかしトオルくんは微動だにせず、指をさし続けている。

「正解ではない。もっと深く考えろ。」

と、態度で私に伝えている。


それでも全くわからない。


トオルくん、先生、全然わからないよ…」

呟いて、降参しかけたその時。

トオルくんがクルッと振り返って、ニッコリ笑った。



そうして目をキラキラさせて、

それは嬉しそうに、


「ないねぇ!」



そう。雲ひとつない良いお天気。

青い空には、空の他にはなんにもなかった。


ーそう来たか!

「ない」ことがわかるようになったトオルくん。



「はて?」のお顔、可愛かったなぁ…。